日本文化の五つの心



はじめに
 「日本人の道徳の基盤になっているのは何か」と問われて、新渡戸稲造が「武士道」という本を書いたというお話を聞き、私も日本文化の特徴について考えてみようと思いました。

 私が十代の頃は、高度経済成長のまっただ中で日本の一番エネルギッシュな時期でした。東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが華々しく開催されました。『巨人・大鵬・卵焼き』が当時の流行語で、野球では巨人が日本シリーズを9連覇し、相撲では大鵬が圧倒的な強さを誇っていました。
 欧米の流行が即座に輸入され、テレビや雑誌を通して瞬く間に全国に広がりました。若者には欧米の音楽や映画が大人気で、ベンチャーズやビートルズがロックの人気に火をつけました。日本でもグループ・サウンズが大流行し、コンサート中に失神する女性も出るほどでした。

 しかし、この「昭和元禄」の背景にはベトナム戦争があり、多くの若者がギターをかかえフォークソングを歌い、反戦運動・反体制運動にのめり込んでいきました。学生運動も全国に広がり、東京大学安田講堂占拠事件で頂点に達しました。その後、連合赤軍のあさま山荘事件や凄惨なリンチ事件の発覚を境に急速に支持を失っていきました。
 高校生の頃、現代思想といえば、マルクス主義や実存主義でした。サルトルなどの本をかじってはみたものの、非常に難解でした。ある本(丸山真男の「日本の思想」?)では、日本には中心になる思想がないと批判しており、恥ずかしい気持ちになりました。また、当時は「日本人論」が盛んでしたが、日本流の儒教的集団主義は個性と自由を奪う封建的思想で、欧米の個人主義の方が優れているという意見が多かった。

 宗教についても、キリスト教が一番優れているというイメージがありましたので、「般若心経」を唱えること、仏壇や神棚に合掌すること、墓参りをすることに抵抗がありました。母親がやっているのを見て、「なんでこんな迷信を信じているんだ」と心の中でつぶやいていました。戦後教育の影響かもしれませんが、欧米の物は「カッコ いい」、日本の物は「古くさくて時代遅れ」というイメージがありました。
 あの当時から40年以上たち、かつて羨望の目で見ていた欧米の文明は、少しメッキがはがれてきたような気がします。

 1989年ベルリンの壁が崩壊し、ようやく世界が平和になると思われましたが、その後もテロや紛争が絶えません。2001年には同時多発テロが起き、2011年以降、内戦を避けるため大量のシリア難民がヨーロッパに押し寄せています。

 紛争の原因は政治や経済の問題が複雑に絡みあっていると思いますが、宗教的にはキリスト教とイスラム教の対立があります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、旧約聖書を元に発展し、いわば親子関係・兄弟関係にありながら、歴史的に戦争を繰り返してきました。宗派内部の対立もあります。カトリックとプロテスタント。イスラム教ではスンニ派とシーア派です。彼らは明確な行動原理がないと生きていけないのでしょうか。原理が違えば戦争だってやる。日本人には理解しがたいことです。

 日本には、「水に流す」という言葉があります。何かトラブルがあっても互いに許し合い、前を向いて共に頑張っていこう、という考え方です。過去の出来事や関係を、すべてなかったことにしてしまう、というのは虫のいい話かもしれません。しかし、水に流すことによって、戦後の日本の復興があったのだと思います。
 世界の人々も、すべてを水に流し、リセットしてやり直すことができないものかと思います。

■ 日本という国の特徴  
 日本という国の成り立ちですが、極東に位置しており、四方を海で囲まれた島国であり、元冠を除けば他国に侵略されることがなかった。温暖な気候に恵まれた米を主食とする農耕民族で、何しろ「水と空気と安全はタダ」だった。植民地になったことはなく、西洋的な厳しい奴隷制度もなく、結果として驚くほど均質な国家がうまれた。
 ある中国人留学生は、日本をこう評したそうです。

 「私が中国の学校で習った『社会主義の国』って、簡単に言えば、だれもが平等の社会のことです。日本を見てください。誰が金持ちで誰が貧しいか分からないじゃないですか。中国は、こういう国をつくりたかったんです」
 次に日本の歴史を簡単にまとめます。

   「国家体制の確立」
 7世紀になると、天皇を中心とした国の体制が整ってくる。大陸の国々に広まっていた先端文化である仏教を導入した。大宝律令の制定によって国を運営するしくみが完成する。役人には位が与えられ、その中でも有力な人々はやがて貴族となっていく。
  9世紀になると貴族の藤原氏が力を伸ばし、天皇に代わって政治の実権を握る。この頃には日本独自の文化が育ち、かな文字や女流文学作品などが生まれた。10世紀には社会不安が広がり、浄土信仰が貴族の心を捉えるようになる。

   「武士の時代」
 1192年に源平の争いを制した源 頼朝が鎌倉に幕府を開き、本格的な武士の時代がはじまる。13世紀後半の元冦後には衰退し、足利氏の政権がこれにとって代わる。その足利氏の室町幕府も1467年の応仁の乱を境に混乱し、戦国時代へと突入する。
 この百年にわたる戦乱の時代を鎮めたのが、信長、秀吉、家康の三人。最後に天下をとった家康は江戸に幕府を置き、260年の長きにわたる長期政権の基礎を築いた。

   「近代化と敗戦」
 江戸時代の鎖国体制も、1853年のペリーの来航で破られる。江戸幕府に代わった明治政府は中央集権の体制を築き、欧米に追いつき追い越すことを目標に国家主導型の近代化を進めた。日清・日露戦争後は大国の仲間入りを果たすまでになった。
 1929年(昭和4年)には世界恐慌が起き、その影響は深刻だった。この状況を打破すべく、日本は朝鮮・中国に進出し、欧米諸国との対立を招く。日本は満州事変、日中戦争、太平洋戦争と泥沼の戦争状態に突入し、最後には広島・長崎に原爆が投下され、1945年8月15日に敗戦を迎えた。

   「戦後の復興」
 戦後の復興は、焼け野原からのスタートだったが、1964年には世界初の高速鉄道である新幹線を開業させ、さらにはアジアで初となる五輪も開催するなど、終戦からわずか20年で大きな復興を遂げた。
 復興の理由として、1、ソ連の大規模介入の前に太平洋戦争を終戦。2、日本の共産化防止のためのアメリカの援助。3、朝鮮戦争特需。4、アメリカの傘の下で専守防衛。5、勤勉な国民性、などがあげられる。        
(参考=かんたん日本史)

■ 1、自然を愛する心……神 道(しんとう)
 日本列島は四季の変化に恵まれており、自然の風物とともに生きる習慣が生まれました。そこから自然の恵みに感謝し、自然の至る所に神様が宿るという信仰が生まれました。動物や植物その他生命のないもの、例えば岩や滝にまでも神や神聖なものの存在を認めるアニミズム(精霊信仰)的な宗教です。大きな木や岩にしめ縄が張られていることがあります。偉大な業績を残した人も神様になっています(徳川家康=東照大権現)。
 神様がたくさんいて、数が多いことの例えとして「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言われます。日本人にとって「神」は、とても身近な存在でした。

 母親は、朝起きると朝陽を合掌し、今日一日の健康をお祈りしていました。無断で庭いじりをすると、ぶつぶつ呪文をとなえ、塩をまいて清めていました。地区には神社があり、周囲は高い樹木に覆われていました。子供の頃は、そこでよく遊びました。子どもながらに、神々しい厳かな雰囲気を感じたものでした。

 明治以前は集落ごとに大小さまざまな神社があり、それぞれに鎮守の森(杜)(ちんじゅのもり)があったという。鎮守の森というのは、神社を囲むようにして必ず存在した森林のことで、1906年の神社合祀令をきっかけに、鎮守の森は伐採されることが増えていきます。南方熊楠(みなかたくまぐす、生物学者・民俗学者)は、神社合祀反対運動を開始し、エコロジーという言葉を用いて鎮守の森の生命のつながりを説明しました。

 高度成長期には、大規模な土地開発が起こり、鎮守の森は激減していきます。首都圏には、鳥居と本殿はあるものの、森がない神社も多く存在します。本来の自然崇拝を背景とした神社の意味は、失われてしまっています。

 「神道」という言葉の由来は、6世紀に仏教が伝来し、仏教と区別するために、古くから日本にあった信仰を「神道」と呼ぶようになりました。自然にできた宗教なので「神道」には、教典はないし教祖はいません。他民族に支配されるという過酷な体験がなかったので、キリスト教のような救世主を待ち望む「強い宗教」を持つ必要がなかった、と考えられます。
 明治時代には天皇を中心とした国家体制を確立するため、国家神道がつくられましたが、戦後に解体させられました。

■ 2、切磋琢磨する心……禅 宗(ぜんしゅう)
 「禅宗」とは、座禅を中心に修行する仏教の宗派です。禅宗には、朝の洗面から、朝食、労働、昼食、就寝まで、厳しい規則があり、一日を全力で生きることを教えます。日常生活のすべてが修行です。
 日本の学校では、給食や掃除があり、集団生活で礼儀や規律を教えられます。自分勝手な行動は許されません。甲子園の高校野球を見ていると、どの学校もキビキビとして規律正しく、見方によれば、まるで禅をスポーツ化したように見えます。現に、座禅を野球の練習に取入れている学校もあると聞きます。

 「いただきます」「ごちそうさま」「もったいない」「おかげさま」という言葉も、禅の影響があると思います。私たちの日常生活は、無意識の内に禅の修行をしているような気がします。
 禅は仏教の修行の一つで、6世紀の前半に達磨がインドから中国へ伝えて発展させました。日本では鎌倉時代の初期、栄西の臨済(りんざい)宗、道元の曹洞(そうとう)宗、江戸時代に隠元の黄檗(おうばく)宗がそれぞれ伝わり発展していきました。すべての人には、内面に仏性があり、それを再発見するためには座禅の修行を行い、仏教における真理を自らの体験を通して悟るというのが基本的な考え方です。

 禅の教えは武士の気風に合い、鎌倉時代以降、武士の間に広がりました。ここから茶道、華道、武士道などが生まれました。
 詩集『にんげんだもの』で有名な相田みつをさんは、修行僧ではありませんが、禅を学んでいました。平易な言葉のなかには、禅のエッセンスがつまっています。アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、若い頃から禅に傾倒し、しばしばスピーチなどで禅の教えを引用しました。製品には、禅のシンプルなデザインが生かされているという。

■ 3、多文化を融合する心……密 教(みっきょう)
 日本人は、文明の中心から外れた後進国だという意識があり、世界の宗教や文化を積極的に受けいれ、それと共存して暮らしています。
 日本人の生活を見てみると、お宮参りや七五三は神道。結婚式はキリスト教。葬式は仏教。先祖を敬うのは儒教といった具合です。外国の文化をうまくアレンジして取り入れるのが、日本人の特徴です。沖縄でいうチャンプルー文化です。
 確かに外国人からみれば、「なんといい加減な民族だ」とお叱りを受けるかもしれませんが、宗教間の対立で爆弾テロが頻発するよりはいいかもしれない。

 マルチな才能を発揮した「弘法大師・空海」に、多文化融合の先例を見ることができます。空海は中国に渡り、当時の国際都市・長安で世界の文化に触れました。中国語は堪能でしたが、密教を会得するためインド僧からサンスクリット語を学びました。日本に帰り密教(真言宗)を布教しますが、他宗教を排除することなく、融和する方法をとりました。密教は、インドの最終的な仏教であり、もともと総合的・融和的性格をもっていました。最澄も同時に中国に渡りますが、天台の教義を学ぶのが目的であり、長安には行かず、中国語もしゃべれませんでした。

 密教とは、大日如来(だいにちにょらい)を根本とする仏教の教えです。7世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に最澄・空海によって伝えられました。修行者は、手で印を結び、真言を唱え、仏様を念じれば、仏陀となることができるという(即身成仏)。密教の世界を直観的・視覚的に表現したものが、曼荼羅となります。

  (日本における多文化融合の具体例)
 日本語=中国の漢字+日本の訓読み+日本のかな
 神仏習合=仏教の仏や菩薩+日本の神          

■ 4、祖先を敬い、和を大切にする心……儒 教(じゅきょう)
 おじいさんやおばあさんを大事にする、父や母を敬うことです。長幼の序や上下関係を大切にすることでもあります。
 「和」は、ある国語辞典では「1、対立や疎外がなく、集団がまとまっている状態。仲よく、協力しあう気持ち。 2、争いをやめること。仲直り。 3、うまく調和のとれていること。つり合いのとれていること」とあります。
 聖徳太子が作ったとされる十七条憲法(604年)には、「第一条 和を以って貴しとなす〜」となっていて、「和」という言葉で人間関係の重要性を説いています。

  (第一条の現代語訳)
 一にいう。和を何よりも大切なものとし、いさかいを起こさぬことを根本としなさい。人はグループを作りたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずから物事の道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

 人間関係を円滑にするために、日本語には煩雑と思えるほどに敬語が存在しています。こんな言語は、他には無いといいます。日本語をマスターする外国人は大変です。
 また、相手や自分を指す言葉も状況によって使い分けます。英語では単に I と YOU しかありません。

 一人称=私、僕、自分、ワシ、俺、オイラ、ウチ
 二人称=君、貴方、貴殿、先生、お前、テメエ、お宅、そちら、あんた、われ、お兄さん、お姉さん
 現代人は、英語のストレートな表現にあこがれますが、逆に外国人は、日本語を学ぶことによって過激な性格から「柔らかく謙虚な性格」になるようです。それである言語学者は、日本語や日本を学ぶことによって柔らかく謙虚な性格になることを「タタミゼ効果」と名付けました。

 儒教は、孔子を始祖とする宗教で、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力をもたらしました。古えの君子の政治を理想とし、仁義の道を実践し、上下秩序の励行を唱えました。日本人になじみのある道徳規範(和、親孝行、忠孝、忠義、義理人情、恩など)は、上下関係を基本とする「儒教」の考え方から生まれています。

■ 5、芸能を楽しむ心……浄土宗(じょうどしゅう)
 「お盆」は祖先の霊を家に迎える行事で、日本では民族大移動の期間になります。この時期に開催されるのが、「盆踊り」です。最も日本人に親しまれている民俗芸能の一つで、やぐらの上で太鼓が音頭を取り、その周りを踊るのが一般的です。15世紀ころ始まり、約500年の歴史を持つと言われます。戦後あたりまでは、多くの日本人にとって事実上最大の娯楽でした。

 特に沖縄では、お盆の時期になると、「エイサー大会」があちこちで開催されます。盆踊りは念仏踊りが起源といわれていますが、沖縄では、東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教し、念仏や念仏踊りが広まったといわれます。明治以降になると、念仏の詠唱を村の若者が代行する形で庶民の間にエイサーが普及していきました。

 沖縄の人々は、歌や三線などを使って芸能を楽しみ、芸能が生活の中に溶け込んでいます。空手という厳しい武道だけじゃなく、芸能を楽しむという心の広さ、生活の豊かさを感じます。
 浄土宗とは法然(ほうねん)を宗祖とし、阿弥陀仏(あみだぶつ)を本尊とする仏教の宗派です。極楽浄土に往生することができると説き、そのためには、阿弥陀如来の救いを信じ、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を唱えます。念仏を唱えることで極楽浄土へ行くという考えは、「他力」という信仰になります。浄土宗では、浄土にいても、仏となってこの世に戻り、人々を救うことができると考えています。

■ まとめ
 以上、5つの特徴を述べましたが、もともと日本は、文明の中心から遠く外れた後進国で、世界に通用する思想や文化はなかった。そのため世界の優れた文化を積極的に取入れ、発展することができました。キリスト教国でなくとも近代化できることを、日本が証明したと思います。移民・難民で世界がゆれている現在、日本のあり方がひとつの「手本」になればいいな、と思います。

 ところで、日本人や日本社会の利点も、行き過ぎれば欠点になります。
  自然との調和をめざす……→情に流される。論理的に考えない。議論しない。
  和を尊重し、集団行動を好む……→自己主張しない。自己表現が苦手。
  年功序列の職場……→実力・才能があっても昇進できない。 
  治安がよく、テロもない……→危機意識の欠如。平和ボケ。



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