浄土宗



■ 念仏踊り(ねんぶつおどり)
 念仏踊りは、念仏を唱えながら踊る日本の伝統芸能で、さまざまな様式で全国に分布している。踊り手と歌い手が分かれているものと、自ら念仏を唱えながらおどるものがあり、後者は踊念仏とも言う。
 踊り手と歌い手が別れている念仏踊りの起源は、菅原道真が886年から889年の4年間、讃岐国司を務めた時に行った「雨乞いの踊り」とされ、翌年から村人達が感謝の意味で踊ったのが今に残るとされる。「念仏踊り」となったのは1207年に法然上人が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして「念仏」を唱えるようにさせた事による。

 現在でも香川県綾歌郡綾川町滝宮では8月25日に「滝宮の念仏踊」が行なわれ、全国に残る「念仏踊り」のルーツとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 念仏を唱えながら踊るものは、平安時代に空也上人が始め、鎌倉時代に一遍上人によって広められた言われ、空也念仏とも呼ばれる。国の重要無形民俗文化財に指定されている念仏踊りには、前述の滝宮の念仏踊のほか、長野県下伊那郡阿南町の「和合念仏踊り」、京都の「六斎念仏」踊りがある。    
(出典=ウィキぺディア)

■ じゃんがら念仏踊り
 じゃんがら念仏踊りは、琉球に浄土教を伝えた袋中上人の故郷福島県いわき市に伝わる念仏踊り。いわき市を中心に分布・伝承する郷土芸能で、鉦、太鼓を打ち鳴らしながら新盆を迎えた家などを供養して回る踊念仏の一種である。
 いわき市内では、単に「じゃんがら」と呼ばれ親しまれている。主に毎年8月13日から15日までの3日間行われ、いわきの夏の風物詩として知られる。いわき市の無形民俗文化財に指定されている。

 起源は、磐城平藩の郡奉行で用水路の工事を指揮した澤村勘兵衛勝為の霊を慰めるため、当時江戸で流行した「泡斎念仏」を村人たちが始めたことが、じゃんがらの起源であることが確実視されている。
 なお「じゃんがら」の語源は『御内用故実書』にも「じゃぐわらじゃぐわら」とあるように鉦の音の擬音と考えられる。
(出典=ウィキぺディア)

■ エイサー
 エイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能。この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。また、かつては祝儀を集めて集落や青年会の活動資金とする機能も重視され、その金でため池を設けた例もある。地域によってはヤイサー、エンサー、七月舞(しちぐゎちもーい)、念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれる。

 近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために沖縄全島エイサーまつりをはじめとする、各地域のエイサーを集めたイベント等も開催され、重要な観光イベントとなっている。
 東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。18世紀中頃には、托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(念仏屋、にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという。当時は現代のエイサーと形式が異なり、門付歌と念仏歌だけで踊っていた。

 明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間にエイサーが普及していった。沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化する中で、民謡などを取り込む例も増えた。
 戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。旧コザ市(現在の沖縄市)主催で1956年に全島エイサーコンクールを開催。この沖縄随一のエイサーイベントは後のエイサーの発展に多大なる影響を与えた。

 「エイサー」の由来は、浄土宗系念仏歌に挟まれる囃子の一つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ているとされる。また、「おもろさうし」に「ゑさおもろ」(「おもろ」は歌謡の意)の語があり、これを由来とする説がある。
(出典=ウィキぺディア)

■ アンガマ
 八重山のアンガマには、旧盆のソーロンアンガマの他に、節アンガマ、家造りアンガマ、33年忌のアンガマがあり、一般的にアンガマというと、ソーロンアンガマのことを指す。
 ソーロンとは八重山のことばで「お盆」のこと。「精霊」または「祖霊」から転じて「ソーロン」となったもので、盆に迎える祖先の霊のことだ。
 ソーロンは、旧暦7月13日〜15日、本土の旧盆時期と一致しており、八重山の旧盆行事の風習は日本(大和)から伝わったと考えられているが、それが八重山諸島にいつ伝承されたのかは、よく分かっていない。アンガマの起源や語源も明らかではないようだ。

 アンガマの語源については諸説があり、
  1、姉という意味  2、覆面のことを指す言葉  3、踊りの種類を指す  4、懐かしい母親の意味
  5、精霊とともに出てくる無縁仏
などと伝わっているが、これも真実は明らかではない。

 柳田国男によると「アン、アム」は母親、「ガマ」は小の意味であるため、お母さんというような愛称ではないかとのことだ。
 アンガマで歌われる歌には、念仏や供養の歌が多く、沖縄本島のエイサーと同じように日本から渡来した「念仏踊り」を起源とし、これに八重山独自の踊りや風習が結びついたと考えるのが自然だ。

 覆面踊りは、日本各地の盆踊りにもみられたもので、もともとは時の施政者に反抗して、覆面で、施政者を皮肉ったりしたのが始まりで、祭りのことなので、権力の側も大目に見てくれたのだろう。八重山のアンガマの子孫(ファーマー)たちが手拭マスクとサングラスで覆面しているのも同じ理由だろう。
 そんなことで、八重山のアンガマは、念仏歌とともに、日本の盆踊りと相通じるものがあるように思う。
(出典=石垣島発、私設かってに観光協会)

■ 阿弥陀仏(あみだぶつ)
 阿弥陀如来(あみだにょらい)ともいい、略して「弥陀」ともいう。この仏の信仰を中心として成立したのが浄土(じょうど)教である。阿弥陀という名は、もとインドにおいてはアミターユス(無限の寿命をもつ者、無量寿)とアミターバ(無限の光明をもつ者、無量光)という二つのサンスクリット語で表されていたのであるが、それが中国に伝えられて、どちらも阿弥陀と音写された。

 阿弥陀仏信仰を主題とする経典としては、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の「浄土三部経」がある。
 『無量寿経』によると、久遠の昔、世自在王(せじざいおう)仏が出現されたとき、阿弥陀仏は、法蔵比丘(ほうぞうびく、ダルマーカラ)という菩薩(ぼさつ)であったが、無上なる悟りを得ようと発心し、生きとし生ける者を救済するための本願として48願をたて、五劫(ごこう)という途方もなく長い間修行を重ね、ついにその誓願と修行を成就して、いまから十劫というはるか以前に仏となった。

 この仏は阿弥陀仏とよばれ、ここより西方の10万億仏土を過ぎた安楽(極楽、楽のあるところ)という世界(浄土)において、現在も教えを説いているという。このような阿弥陀仏とその浄土については、このほかにも多くの大乗経典に開説されており、その教えはインドからアジア全域に広く流布した。
 特に中国、日本においては、念仏によって阿弥陀仏の浄土に往生して悟りを得ることを願う教えを「浄土門」と称し、また他力(たりき)の教えともよび、仏教の一大系統を形成するに至った。浄土宗、浄土真宗(または真宗)、融通(ゆうずう)念仏宗、時(じ)宗などの諸宗派はみなこの系統に属している。   
(出典=小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))



目次   


inserted by FC2 system