儒 教



■ 儒教の再評価
 中華人民共和国では「儒教は革命に対する反動である」として弾圧され、特に文化大革命期には、「批林批孔」運動として徹底弾圧された。多くの学者は海外に逃れ、中国に留まった熊十力(ゆう・じゅうりき)は激しい迫害を受け自殺したといわれる。儒教思想が、社会主義共和制の根幹を成すマルクス主義とは相容れない存在と捉えられていたためとされる。

 なお毛沢東は三国志を愛読し、曹操をとりわけ好んだといわれるが、曹操は三国時代当時に官僚化していた儒者および儒教を痛烈に批判している。だが、21世紀に入ると儒教は弾圧の対象から保護の対象となり再評価されつつある。
 2005年以降、孔子の生誕を祝う祝典が国家行事として執り行われ、論語を積極的に学校授業に取り入れるようになるなど儒教の再評価が進んでいる。文化大革命期に徹底的に破壊された儒教関連の史跡及び施設も近年になって修復作業が急速に行われている。

 ほかにも改革開放が進む中で、広く中国の古典(儒学や老荘思想など)を元にした国学が「中華民族の優秀な道徳倫理」として再評価されるようになり、国学から市場経済に不可欠な商業道徳を学ぼうという機運が生まれている。
(出典=ウィキぺディア)

■ 中国で空前の宗教ブーム
 NHKスペシャル「中国激動、さまよえる人民の心」(2013年)を興味深くみた。
 中国は1949年の建国以来、憲法で宗教を利用して社会の秩序を破壊することを禁止してきた。中国共産党は無神論の立場に立つ。1960年代末の文化大革命時には、キリスト教会が破壊されて宗教が弾圧された。それ以後も宗教は弾圧され、宗教と国家の関係は絶えず緊張関係あった。 

 ところが改革開放政策以降、中国政府の宗教に対する姿勢が変化した。当局の管理下において宗教の自由を認めようというのだ。とくに2007年以降、中国政府は宗教を利用して社会の安定をはかる方向へと方針転換した。中国政府の方針転換の背景にあるのは、貧富の格差拡大や共産党幹部の腐敗などによる社会不安である。
 鐙小平がうちだした「先富論」により、中国社会では拝金主義が蔓延している。金もうけがすべての社会。金もうけがうまい人が一番尊敬される社会。人を押しのけても自分だけが得するいびつな競争社会。

 その結果、倫理観がすたれ、道徳心が失われ、人と人のきずなが断ち切られ、思いやりや助け合いの精神がなくなり、中国の伝統的な社会が破壊された。豊かさから取り残された人々は宗教に救いを求めている。
 さらに、豊かさを手に入れた中間層や商業で成功した人たちのなかにも、何かを失ったと思う人々が宗教へと走っている。そうした「さまよえる人民の心」を救う者として、空前の儒教ブームが起きている。

 子どもたちが儒学を学ぶ学校はすでに一万校をこえ、大人向けの塾も大繁盛である。「洗脚礼」といって、子どもが親の足を洗うことで親子の絆を深める伝統的な儀式が各地で行われている。また「老師」と言われる拝金主義から良心を取り戻した人たちが、集会で自分の体験を語る講演会が各地で盛況である。
 「伝統文化論壇」でも私利私欲の中国社会を批判する儒学が全盛で、孔子生誕祭も盛大に行われている。
 文化大革命のときは他の宗教同様儒教も弾圧されたが、いまや共産党中央党校の授業にも儒学を取り入れている。中国政府は共産主義と儒学を融合して、人民の支配に利用しようとしている

 いっぽう、キリスト教では民家や集会所を利用した「家庭教会」といわれるものが流行している。キリスト教が貧しき人々に住む所や仕事を紹介し、生きる希望を与えている。
 こうした「家庭教会」をかつては弾圧した中国政府も黙認している。さらに農村ではキリスト教は政府に協力しながら信者を増やしている。政府もまた経済や社会の発展にキリスト教を利用している。その結果、キリスト教徒の数は一億人を超え、共産党の数をしのぐ勢いでふえている。

 急激な成長による格差拡大や腐敗による社会不安。中国社会に蔓延する拝金主義への危機感。そうした社会で、多くの人がお金だけでは幸せになれないことに、人と人のきずなの大切さや助け合いの精神の重要性などに気づいている。宗教や伝統思想が中国社会の大きなうねりとなって、「さまよえる人々の心」をつかんでいる。    
(出典=時代を駆ける)

■ 六諭衍義(りくゆえんぎ)
 寺子屋の教科書として使われた『六諭衍義』(りくゆえんぎ)という教えがあります。『六諭衍義』は、16世紀後半に中国浙江省会稽(かいけい)の范_(はんこう)という人が書いたもので、人が人として身につけなければならない六つの教え(六諭)が記された書物です。この『六諭衍義』を琉球に紹介したのが名護親方(中国名・程順則)です。
 若い頃、中国に渡った際、師事していた先生の家で『六諭衍義』と出会い、4度目の中国訪問の時、自費で印刷して琉球に持ち帰りました。それが江戸時代、薩摩藩の島津氏を通じて江戸の徳川吉宗将軍に献上され、和訳された後、寺子屋の教科書として使われ始め、明治時代中期まで修身の教科書として使われ、その教えが広まりました。

 孝順父母(父母に孝行し、いいつけを守りなさい)   尊敬長上(年上の人を尊敬しなさい)
 和睦郷里(郷里と和睦しなさい)       教訓子孫(子弟を教え導きなさい)
 各安生理(自分の運命に従いなさい)     毋作非為(悪いことをしてはいけない)  
(出典=ウィキぺディア)
                                        

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