神 道



■ 神道、日本の多彩な民間信仰
 神道とは、「神社」に象徴されるような日本人の民間信仰の形式が、長い年月をかけて体系化され、とくに明治時代以降宗教として意識されるようになったもの。
 太古の昔から人間は言い伝えが好きなようだが、日本においても各地で、いつの頃からか言い伝えられてきた数知れぬ伝承がある。例えば中国の場合は、伝承は「君主の話」として伝わっているものが多いが、日本の民話にはあまり君主の話はなく、むしろ、よろずの「神様」がよく登場する。神様といっても、キリスト教の「主(YHVH)」やイスラム教のアッラーのように善悪を絶対的に司る形而上的存在の「God」ではない。あえて英訳するなら「Spirit」(精霊的存在)くらいに考えるとよいだろう。

 八百万(やおよろず)の神様という言葉どおり、まず太陽そのものが「おてんとさん」という神であり、雲の上で和太鼓をたたき雷を落とすカミナリ様がいれば、お稲荷様をはじめとする米の収穫の神様、各氏族を護ってくれる氏神(うじがみ)様、徳の高い人が亡くなれば天国では神様、怒らせれば祟り(たたり)神になる。山や巨石や大木も実は神様、道ばたの石碑などに宿って旅の事故がないよう厄除けしてくれる道祖神、怠け者などの家にとり憑いてまわる貧乏神から疫病神、中国の仏典に登場する天人・天女様まで、日本人は実にいろいろなものを自然に信仰してきた。

 別に汎神論(存在する全てのものが神様で平等に信仰する)というわけではなく、特徴としては「すごいもの」「古いもの」「ありがたく、あやかりたいもの」が信仰の対象になる。物体や故人に結び付けられる神様だけではなく、死後の世界との境界として考えられる場所や概念、占いの力のようなもの、戦没者祈念碑、収穫祭、歴史上の事件などのモニュメントが聖地となるのも同じような感覚である。

 いつしかどの村にも神社が建てられ、地域や身分集団によって、さまざまな祭りや習慣が伝わってきたのである。
 なお、日本人の身近な「神様」好きは、近代になっても実は変わっていない。例えば、大阪や神戸の商店などでよく目にするビリケン様は、20世紀になってからアメリカで突如生まれた「神様」だが、縁起物が大好きな日本人は、ビリケン像を輸入するやいなや、たちまちありがたく福を呼ぶ存在として祭りあげてしまった。   
(出典=ニコニコ大百科)

■ 神道は宗教ではない?
 「神道」は宗教ではありません。先ず、宗教とは、読んで字の如く「教えるのを宗とする」ものです。従って宗教には必ず教える人と教えられる人と材料があります。
 キリスト教で言えば、教える人イエス・キリスト、教える材料は「旧約聖書」・「新約聖書」であり、教えられる人はキリスト教徒です。仏教では、教える人お釈迦様、教える材料は「仏典」・「経典」であり、教えられる人は仏教徒です。イスラム教で言えば、教える人マホメットあるいはモハムド、教える材料「コーラン」であり、教えられる人はイスラム教徒です。

 そして、これらの教える人は、私たちのような一般人ではなく、いわゆる神さまに近い聖人のようなお方です。また人間として私たち同様に、地球上に生を受けた人なのです。ここが神道と根本的に異なることに留意すべきです。
 神道には、教える人もいなければ、教える材料もないのです。誰が教えたという人はいません。また教える材料もありません。祝詞はありますが、祝詞は私たちが祈願をし、感謝を述べるものであって、教える材料などではありません。

 神道の特徴をまとめてみます。
   1、教祖がいない
 他宗教と異なり、自然発生的に成立した神道には、教祖がいないのです。
   2、教典がない
 教義を記した教典、教本が神道にはありません。神道では祭祀、儀礼を重視します。教典については「古事記」・「日本書紀」を挙げて反論する人もいますが、それらは歴史書であり、神道の教義教典に属するものは書かれていません。
   3、布教活動をしない
 鶴見神社宮司の私は信者獲得の為に、神道への宗教的勧誘や布教活動を一切したことがありません。鶴見神社の氏子のほとんどが仏教徒です。それでも千年の歴史を持つ鶴見神社で布教活動をした宮司は誰一人おりません。

 神道で大切なのは、「その対象はすべて大自然そのものである」ということであります。森羅万象のすべてに神さまが宿るという考え方であります。したがって、先人たちは、山には山の神さま、海には海の神さま、川には川の神さま、野には野の神さま、田には田の神さまと言うように、八百万(やおよろずの)神様がいらっしゃると捉えているのです。
 日本人は、こうした大自然の声を直接聞き、感応し、日々実践してきた民族なのです。朝日が昇ると一日が無事であります様にと祈願し、夕日が沈むと一日を感謝し、日々の行動には「お天道様が見ていらっしゃる」として自制し、それを各家々で、実践してきたのです。教えの中で学ぶというよりも、大自然の中で体験し、感じ取って見につけてきたのが神道なのです。

 今はこうしたことを忘れ、神さまから遠ざかってしまいましたが、早く率直で調和を求めた本来の日本人の姿に立ち返って欲しいものです。                              (出典=宮司の論文(鶴見神社))
 
■ 国家神道(こっかしんとう)
 神道の一形態で、近代天皇制国家が政策的につくりだした事実上の国家宗教。神社神道を一元的に再編成し、皇室神道と結び付けた祭祀(さいし)中心の宗教である。
 王政復古を実現した新政府は、1868年(明治1)祭政一致、神祇官(じんぎかん)再興を布告して神道の国教化を進め、神仏判然令で神社から仏教的要素を除去して、全神社を政府の直接の支配下に置いた。71年、政府は全神社を国家の宗祀とし、社格を制定して、神社の公的地位を確立した。

 明治中期には、教派神道、仏教、キリスト教の三教が、国家神道に従属する事実上の公認宗教となり、国家神道体制が成立した。1889年大日本帝国憲法が制定され、その第28条は「信教ノ自由」を定めたが、それは、国家神道の枠内での宗教活動の容認にすぎなかった。天皇は神聖不可侵の現人神(あらひとがみ)とされ、国家神道の最高祭司として祭祀大権を保持する存在となった。

 翌年出された「教育勅語」は、国民に天皇制国家への忠誠を命じるとともに祖先崇拝を強調し、国家神道の事実上の教典となった。また各学校へ配布された天皇・皇后の「御真影(ごしんえい)」は、国家神道の事実上の聖像として礼拝の対象となった。1900年(明治33)内務省に神社局が設置され、神社行政と宗教行政が分離された。 
 国家神道のもとで、国内をはじめ植民地、占領地などに靖国(やすくに)神社、橿原(かしはら)神宮、明治神宮、朝鮮神宮、建国神廟(びょう)などの神社が相次いで創建された。国民は天皇崇拝と神社信仰を義務として課せられ地元の神社の氏子に組織された。

 敗戦直後の1945年(昭和20)12月、GHQ(連合国最高司令部)は神道指令を発して、国家神道の廃止と政治と宗教の分離を命じた。                      
(出典=小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))

■ アニミズム
 無生物もアニマすなわち霊魂をもっているという世界観。エドワード・B・タイラーが『原始文化』(1871年)において原始宗教の特色を表す語として用いた。タイラーは、アニミズムとは霊的存在への信念であり、宗教の起源にのみかかわるものではなく、宗教発展の各段階を通じて存在するもので、すべての宗教の基礎をなしている、また、原始宗教は死霊崇拝や呪物崇拝(フェティシズム)、精霊崇拝から多神教へと発展し、やがて一神教が生まれた、と考えた。

 この進化論的考えは長く民俗学、宗教学において主潮をなし、アニミズムの概念は定着した。しかし、民族誌的資料の集積に伴い、アニミズムが主として農耕民族と結びついている事実に対して、多くの狩猟採集民には人格観念から発展した一神教が存在することが明らかになり、アニミズム=宗教起源論は衰退した。  
(出典=ブリタニカ国際大百科事典)



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