「創価学会」 島田裕巳・新潮新書


 「創価学会」という本が出たらしい。
 ボクが学会員から勧誘を受けたのは、就職し、ひとり暮らしを始めた頃で、20才前後だった。学会員と討論するうち、仏教関係の本を読むようになり、知識も増えた。学会員の活動は非常に精力的で、その強引さが社会問題にもなっていた。学会を批判する本は何種類も出版されていた。

 ボクがどうしても納得できなかったのは、創価学会というより日蓮思想のもつ「法華経」への狂信性である。「法華経」こそがブッダの最高の教えだと頑迷に主張する。
 法華経信仰は古くからあるが、日蓮はそれをより先鋭化させ、法華経による人間革命さらには国家革命をめざした。同時に法華経に敵対する宗派を「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」(四箇格言・しかかくげん)と激しく攻撃した。

 学会員は「○○宗は病気になり、○○宗は家がつぶれる」と平気で他宗をののしった。
 当時読んだ仏教解説書は、どれも日蓮を好意的に書いていなかった。「最も仏教らしくない宗派」とか「法華経には、異教的要素が混入している」などと書かれていたと記憶している。
 
 確かに日蓮は鎌倉仏教のスーパースターであり、多くの信徒がいるが、ボクの心の底には、日蓮の狂信性、排他性への疑問がいまだよこたわっている。仏教系新興宗教の中では、日蓮系が多いが、単純でわかりやすいことや、革命的パワーに魅了されるのだろうか。だがこれは末期症状なのか、明るい未来への入り口なのか。

 創価学会の「平和と文化のネットワーク」というキャッチフレーズを目にし、苦笑いしてしまうのはボクだけだろうか。また公明党が自民党と連立を組んだせいか、昔批判的であった学者連中も、次第に創価学会に好意的になっている(丸め込まれている?)ような気もする。

 それはともかく、学会員に出会ったことで仏教を多少なりとも勉強できたことは、よかったと思っている。


《創価学会》 島田裕巳著・新潮新書

 今度の参院選で最も鮮明になったのは、自民党の凋落(ちょうらく)でも、民主党の躍進でもなく、公明党の存在感が日本の将来を左右するほどに飛躍したことである。自民党はいまや、公明党というより、その巨大集票マシンの創価学会の存在なしには政権党の基盤さえ失いかけている。その意味では、本書はまさに時宜を得て出版された。

 国民の7人に1人が会員といわれるこのマンモス宗教団体については、これまで数多くの本が書かれてきた。だが、大半はその閉鎖的体質や、反社会的活動に批判の筆が費やされ、この組織を客観的に取りあげ、冷静に分析したものはほとんどなかった。

 なぜ、この組織は驚異的に増殖したのか。その背景には、高度経済成長期における地方から都市への爆発的な人口流入があった、というのが、著者の答えである。地縁、血縁で結ばれた共同体を離れ、都市の中で流砂のように暮らす庶民が精神的紐帯(ちゅうたい)を求めて宗教に走るのは自然の摂理である。そこまでなら、いわば模範解答である。

 著者は宗教学者らしく、では、なぜ、ほぼ同時期に生まれた霊友会や立正佼式会は、創価学会の規模や影響力にはるかに及ばなかったのか、と問いかける。理由は二つあるという。一つは、霊友会や立正佼成会が先祖供養を重視したのに対し、創価学会はその要素が希薄だったことである。仏壇を携えずに出郷した農家の次、三男にとって、伝統的信仰と切り離された創価学会は、それだけで魅力的だった。

 もう一つは、日蓮正宗と密接な関係をもってきたがゆえに、同派の僧侶に葬儀を頼むことができたことだという。それが、会員を生家の信仰へ逆戻りすることを防いだ。

 都市下層民の受け皿となった学会がなければ共産革命が起こったかもしれない、という指摘は、明らかに買いかぶりだが、戦後社会の戯画としての創価学会という視点から書かれた本書には、それを差し引いてもなお残る説得力ある考察がちりばめられている。ここから浮かびあがるのは、依然ムラ社会のままの日本の姿である。

(佐野真一・ノンフィクション作家))


(琉球新報 2004-7-18)

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