『ユダヤ人の起源』 シュロモー・サンド(武田ランダムハウスジャパン)
『トーラーの名において』 ヤコヴ・M・ラヴキン(平凡社)



 ユダヤ教徒は、長く離散の状態にあって、約束の地、シオン(エルサレム)に帰還する時を待ち望んできた。しかし、帰還のために実際に何かをしたわけではない。そうすることは神の意志を先取ることだから許されないのである。

 シオンヘの帰還の運動(シオニズム)が始まったのは、19世紀後半、ヨーロッパやロシアの各地で排外的なナショナリズムが生じ、ユダヤ人が追いつめられたときである。それに対抗して、ユダヤ人も自身をネーションとして意識し、国家を創ろうとした。当初、シオニズムは大多数のユダヤ教徒からは否定されていた。ユダヤ教の教えに反するからである。

 しかし、ナチズムを経験したのち、多くのユダヤ人が独立国家をつくることに賛同し、また、ユダヤ人の大虐殺(ジェノサイド)に責任を感じた欧米諸国もそれを支持した。その結果、1948年にイスラエルが建国されたのである。だが、それは先住していたパレスチナ人を追い出し土地を略奪することによってなされた。以来、周知のように、パレスチナ人の抵抗が続いている。近年、イスラエルへの批判は国際的にますます強まっているが、ジェノサイドの負い目をもつ欧米では、イスラエルへの批判は反ユダヤ主義として排除される傾向があった。

 そのような背景において、シオニズムを公然と批判する2冊の本が、イスラエルのみならず、欧米でベストセラーとなった。一つの理由は、これらの書が、ユダヤ人内部からのシオニズム批判だということにある。両書はともに、シオニズムがユダヤ教徒とユダヤ民族、あるいはユダヤ人とイスラエル国家を同一視することを批判している。むろん、視点や題材において違いがある。

 サンドは.「ユダヤ人の起源」を問う。この本の原題は「ユダヤ人の発明」なのだが、ユダヤ民族・人種なるものは、19世紀ヨーロッパのナショナリズムのなかで、まさに「発明」されたのである。その歴史的起源を見ると、ユダヤ人とはユダヤ教徒であって、民族(エスニック)とは関係がない。ユダヤ人がローマ帝国、アフリカ、ロシアにいたるまで増えたのは、ユダヤ教への改宗者が増えたからである。ところが、シオニストは、それを「民族」の歴史にすり替えた。さらに、西ヨーロッパ系のユダヤ人を優位においた。

 他方、ラブキンは、現在のイスラエルにおいて、ユダヤ教の立場からなされる、シオニズム批判に焦点を当てている。真摯なユダヤ教徒にとって、シオニズムは神を裏切るものであり、ユダヤ教史上、最大の敵である。彼らは政治的には保守的なのだが、イスラエル国家そのものを否定するという点で、左翼的な批判者と一致する。ただ、後者を「反ユダヤ主義」として斥けることができても、前者をかたづけることはできないのである。以上、両書を併せ読むことで、現代世界における最も深刻な問題の一つに関して、より包括的な理解が得られよう。

(柄谷行人:評論家)

(朝日新聞 2010-5-18)



目次


inserted by FC2 system