国家の品格 藤原正彦

新潮新書 2005.11


 昨今「今の世の中どうなっているんだ」「アメリカの植民地じゃないか」と嘆いている人も多い。かといって名案があるわけでもなく「しょうがないのかなあ」と諦めているのが大半です。本書はそういう人々に希望と勇気を与えてくれます。

 戦後、日本はアメリカを目標に馬車馬のように働き、経済大国にのし上がりました。しかしバブルが崩壊し、中国に生産工場が移転し、金銭至上主義がはびこり、社会が荒廃してゆく中で、ようやく日本人は、自分たちの精神の空洞化に気づき始めたのではないだろうか。本書では、自身喪失に陥った日本人に、日本独自の情緒や武士道精神を見直せと熱く語ります。
 今こそ日本の思想を再構築し、世界に発信すべき時じゃないでしょうか。

 特に第2章の「論理だけでは世界が破綻する」は、著者が数学者だけに説得力がありました。僕自身、若い頃から「論理的思考がすべてを解決する」と信じていました。しかし振り返ってみると、どのような結論でも「論理的説明」が出来るということです。ギリシャのソフィストがいい例です。要するにどんな主義主張にも「もっともらしい論理的説明」をつけることができるのです。重要なのは論理的思考の「出発点」であり、その出発点は論理では説明できないもの(情緒や形)なのです。

 第3章の「自由、平等、民主主義を疑う」もおもしろかった。
 ロックの説く自由や平等は王権神授説を否定するピューリタンの考えに過ぎず、神がかりのフィクションだという。ロックは、教会の権威を否定するために生み出されたカルヴァンの予定説に影響を受けている。「予定説」とは、救済されるかどうかあらかじめ神によって決められているという説で、決められているなら、教会に頼ることなく、個人は義務としての職業に励むことになった。これが資本主義を発展させることになったのだが、行き過ぎて金銭至上主義になってしまった。

 「人間の尊厳」「ヒューマニズム」「人権」という美しい言葉も、もとをたどればカルヴァン主義という信仰に過ぎないと言う。
 民主主義については、「国民は永遠に成熟しない」ので現実として必然的にマスコミが第一権力となってしまい、それを防ぐには高い教養を身につけたエリートの養成が必要だと提言している。


(抜粋)

第1章 近代合理精神の限界
○世界中の先進国はみな荒廃している。
○外交上、核兵器を持った方が確実に得をする。私の考えでは西欧的な論理、近代的合理精神の破綻に他なりません。
○日本が本気で提案した「人種平等法案」が否決される。……来るべき大東亜戦争の伏線となった。
○市場経済が進んだ結果、日本でも貧富の差が大きくなりました。現在のアメリカのように上位1パーセントの人が国富の半分近くを有するようになるかも知れません。
○デリバティブには、たった300万円の元手で億単位の損得が生ずる可能性がある。……実体経済とはかけ離れたマネーゲームとなっている。

第2章 「論理」だけでは世界が破綻する。
 破綻する4つの理由
1…論理の限界
○論理を通してみても、それが本質をついているかどうか判定できない。
○アメリカの高校生がタイプを習う。……タイプが打てるようになるが英語力が崩壊。
○アメリカの小学生に株式投資。
○日本の小学生に英語。

2…最も重要なことは、論理では説明できない。
○重要なことの多くが、論理で説明できない。
 (例)スミレが美しい。モーツァルトが美しい。

3…論理には出発点が必要
○「論理には出発点が必要」で、この出発点(仮説)を選ぶのは論理ではなく、選ぶ人の情緒なのです。情緒は、その人の総合力といえます。

4…論理は長くなりえない。
○論理を長々と展開する人をみると白けてしまう。だから、ワンステップしかないような論理が幅を利かせている。
○論理というものは、通っているとなぜか快感が得られるので、それに酔ってしまう。しかし各ステップの信頼度を量的に考えようとしない。
○量的思考をするには、知識や情緒、それに大局観が必要。

第3章 自由、平等、民主主義を疑う。
○自由の強調は「身勝手の助長」にしかならなかった。
○日本古来の道徳や日本人が長年のあいだ培ってきた伝統的な形というものが傷つけられてしまいました。
○どうしても必要な自由は、権力を批判する自由だけです。
○ほとんどの自由は、廃棄するまでもなく、あらかじめないか、著しく制限されているのです。欧米が作り上げたフィクションにすぎません。

○ジェファーソンは後に第3代アメリカ大統領になりますが、アメリカ先住民を大々的に迫害し、黒人奴隷を100人以上も有していました。
○ロックのいう自由や平等は、王権神授説を否定するピューリタンの考えに過ぎず、私からみれば、ほとんどが独断です。
○主権在民には大前提があります。それは「国民が成熟した判断をすることができる」ということです。

○ワイマール憲法は主権在民、三権分立、議会制民主主義をうたった画期的なものでした。その民主的な選挙で1932年、ヒットラーのナチス党が第1党となったのです。
○「自由とは面倒なものである。始終あれこれ自分で考え、多くの選択肢の中から一つを選ぶという作業をしなければならないからである。これが高ずると次第に誰かに物事を決めてもらいたくなる。これが独裁につながる」エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」

○民主国家で戦争を起こす主役は、たいてい国民なのです。
○民主国家では、現実として世論こそが正義であり、必然的にマスコミが第一権力となるのです。
○国民が時代と共に成熟していくなら問題はありません。……しかし、冷徹なる事実をいってしまうと、「国民は永遠に成熟しない」のです。

○それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。
○平等の旗手アメリカこそは、企業経営者の平均年収が約13億円で、一般労働者のそれが約300万円(2004年)の国なのです。……マスターズで有名なオーガスタ・ナショナルをはじめ、女性がメンバーになれないゴルフ・クラブがたくさんある国なのです。

第4章 「情緒」と「形」の国、日本
○論理とか合理を否定してはなりません。……論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの、それが日本人のもつ美しい情緒や形である。それが私の意見です。
○真っ先に言えることは、自然に対する繊細な感受性です。

○日本人の無常観は、「すべては変わりゆく」というドライな達観から派生して、弱者へのいたわりとか敗者への涙という情緒を生み出した。ドライな達観が、はかなく悲しい宿命を共有する人間同士の連帯、そして不運な者への共感へと変質していったのでしょう。
○この無常観はさらに抽象化されて、「もののあわれ」という情緒になりました。
○四つの愛=家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛

第5章 「武士道精神」の復活を
○私は、こうした情緒を育む精神の形として「武士道精神」を復活すべき、と20年以上前から考えています。
○まず仏教、特に禅から、運命を引き受ける平静な感覚と、生をいやしみ死に親しむ心を貰いました。儒教からは君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の間の「五倫の道」や、為政者の民に対する「仁慈」を取り入れました。神道からは、主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行などの美徳を取り入れました。

○私は「卑怯を憎む心」をきちんと育てないといけないと思っています。法律のどこを見たって「卑怯なことはいけない」なんて書いてありません。だからこそ重要なのです。

第6章 なぜ「情緒と形」が大事なのか
 「情緒と形」は、日本に限定すべきものではありません。美しい情緒や形には、世界に通用する普遍性があるのです。

1…普遍的価値
○資本主義をアメリカ化するため、冷戦後に、アメリカ式市場経済、リストラ自由のアメリカ式経営、株主中心主義、アメリカ式会計基準などを各国は半ば強要されてきました。経済がすっかり変わってしまい、どの国でも貧富の差が急速に拡大しつつあります。大都市の発展と田舎の衰退が共通に進んでいます。

○世界の各民族、各地方、各国家に生まれた伝統、文化、文学、情緒、形などを、世界中の人々が互いに尊重しあい、それを育てていく。このローカリズムの中核を成すのが、それぞれの国の持っているこうした普遍的価値です。

2…文化と学問の創造
○美しい情緒は文化や学問を作り上げていく上で、最も大事であるということです。
○野に咲く一輪のスミレ、その可憐さに愛情を感じ、その美に感動する。これが数学の研究をする上で重要ということです。

3…国際人を育てる
○真の国際人には外国語は関係ない。例えば明治初年の頃、多くの日本人が海外に留学しました。彼らの殆どが下級武士の息子でした。
○彼らの身につけていたものは何か。まず日本の古典をきちんと読んでいた。それから漢籍、すなわち漢文をよく読んでいた。そして武士道精神をしっかり身につけていた。
○もちろん語学だって出来ないよりは出来た方が遙かに良い。しかし、読書によって培われる情緒や形や教養はそれとは比較にならぬほど大事なのです。

4…人間のスケールを大きくする
○出発点を適切に選ぶということは、総合判断力が高まるということです。
○たとえば食料自給率を考えてみます。……この狭い日本で農業を振興するのは馬鹿げている。アメリカや中国などから安い食料をどんどん輸入すれば、国内で生産するより遙かに効率がよい……

○他方、もののあわれという情緒を強く持つ人は、全く別のことを考えます。農家を潰しては田畑が荒れ果ててしまう。美しい田園こそは、わが国の誇る美しい情緒やそれから生まれた文化や伝統の源泉だ。経済的利益などとは比べられないものだ。
○もののあわれとか美的感受性とか惻隠の情、こういうものがあるかどうかで、その人の総合判断力はまったく違ってくる。人間の器が違ってくるのです。

5…「人間中心主義」を抑制する
○人間中心主義というのは欧米の思想です。……しかしその裏側には拭いがたく「人間の傲慢」が張り付いています。美しい情緒は……「人間は偉大なる自然のほんの一部に過ぎない」ということを分からせてくれる。環境問題のことなどを考えると、こうした謙虚さはこれからどんどん重要になっていきます。

6…「戦争をなくす手段」になる
○美的感受性があれば、戦争がすべてを醜悪にしてしまうことを知っていますから、どんな理由があろうとためらいます。故郷を懐かしみ涙を流すような人は、他国の人々の同じ思いをもよく理解できますから、戦争を始めることをためらいます。

第7章 国家の品格
○数学や理論物理学のレベルは、実はその国の総合的な力にも深く関係しているからです。
○天才は人工に比例してあちこちから出現しているわけではありません。一定の国、一定の地域からしか生まれていない。

 天才を生む3つの条件
1…「美の存在」
○美の存在しない土地に天才は、特に数学の天才は生まれません。
○イギリスは天才が輩出する国ですが、その田園風景は実に美しいものです。

2…「跪(ひざまず)く心」
○日本の場合は神や仏、あるいは偉大な自然に跪きます。南インドはヒンズー教のメッカのような場所であり、人々はヒンズーの神々に跪いています。

3…「精神性を尊ぶ風土」
○文学、芸術、宗教など、直接に役に立たないことをも重んじる。金銭や世俗的なものを低く見る。そういう風土です。
○今のアメリカに、手前勝手なナショナリズムはあっても「品格」はありません。9.11テロでかき消されてしまいましたが、京都議定書の批准も拒否、国際人道裁判所の設置にも反対、そして自分の言いなりにならない国連に対しては分担金を滞納さえするのです。

○日本は正々堂々と経済成長を犠牲にしてでも、品格ある国家を目指すべきです。そうなること自体が最大の国際貢献と言えるのです。
○おそらく教会の過剰な権威を否定するために生み出されたカルヴァンの予定説と、王権神授説に対抗し個人の権利を確保するためにカルヴァン主義を利用したロックの自由、平等、国民主権などが、現代のすべてです。アメリカを旗手として世界を席巻しつつあるこれらは、一言で言うと「キリスト教原理主義」です。

○アメリカが信ずるのは一向に構いません。ただ、こうした思想と論理の浸透した文明国が、みな荒廃に陥っていることは注目すべき事実です。

 品格ある国家の指標
1…独立不羈(ふき)
○自らの意志に従って行動のできる独立国ということです。
○欧州各国と比べて、極端に低い食料自給率を高めることも独立国として大切です。日本が40パーセント弱であるのに比べ、イギリスでも75パーセント、ドイツは90パーセント、フランスなどは農産物の大輸出国です。

2…高い道徳
○日本人の道徳の高さについては、戦国の終わりから安土桃山時代にかけて我が国を訪れた宣教師をはじめとする人々が、異口同音に驚きの声を上げました。
○この日本人のDNAに染みついているかの如き道徳心が、戦後少しずつ傷つけられ、最近では市場経済によりはびこった金銭至上主義に、徹底的に痛めつけられています。

3…美しい田園
○美しい田園が保たれているということは、金銭至上主義に冒されていない、美しい情緒がその国に存在する証拠です。

4…天才の輩出
○学問、文化、芸術などで天才が輩出していることです。


(2006)

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