太宰治「人間失格」 


 幸か不幸か、ボクは十代の頃に太宰治と出会うことがなかった。人気のある作家だとは知っていたが、さして関心を抱かなかった。もっとも、ボクが20才以前にこの本を読んでいたなら、青春期の屈折した心情を代弁してくれるという意味で、狂熱的な受け入れ方をしたかもしれない。今回「人間失格」を読んでみて思うことは、率直に面白かったということである。
 それでは、葉蔵の生涯を追ってみよう。

 ☆

 彼の生涯にとって、資産家の家に生まれたことと、子供の頃から病弱であったことが、決定的な意味をもってくる。病弱であったということは、彼の脳裡に大きな精神世界を植え付けたことだろう。近所の子供達と思う存分遊び回わることは、断念するしかなかった。だが、その劣等感は彼自身に深く内向し、子供らしい行為にさえ侮蔑を示すことで、ようやく自己の存在を安定させていた。過敏な神経、世俗社会への嫌悪(同時にそれは、現実に対する自信喪失の裏返えしでもあったのだろうが)は、肉体的成長の度合を越えて、いよいよ先鋭化していった。

 また、大資産家の息子であったため「自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上もとっていてー」とあるように、先進的な文化的知識を吸収し、批判精神にさらに磨きをかけていった。そしてまた、彼のブルジョア意識は「生きること」を、まるで他人事のような絵空事のような傍観者的態度で眺めることを、彼に課したのであった。このような肉体と精神のバランスを欠いた早熟な子供の目には、大人の世界は限りない不合理の世界であったことだろう。

「現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか」

「自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。」

 また、次のような葉蔵の自意識過剰ともいえる危機感は、もう立派な大人であった。彼は既に子供の頃から、「死」を垣間見ていたのである。

「自分には、禍いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が背負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。」

 そこで彼が考え出したのは、大人の世界に同化すること、つまリピエロとなって大人に可愛いがられるような、子供らしい無邪気な振舞を演じることであった。

「そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。」

 中学校に入っても、このような態度は変わらなかった。ここで「竹一」という少年と出会い、彼の道化が見破られる。

「もはや、自分の正体を完全に隠蔽し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣を着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。」

 葉蔵と竹一の間で交わされた「お化けの絵」についての対話は、実に面白い。

「けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が付きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスター(巨匠・大家)たちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐(おうと)をもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑(おもわく)に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴ(根源的)な虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。」

 「人の思惑に少しもたよってはならない」というのは、芸術の本質を物語っていると思うが、しかし葉蔵にとって、このような芸術的創造の普遍的真理への開眼も、彼の情熱(自立的意志)をかき立てるには至らなかった。

「けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のか道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。また、学校の図画の時間にも、自分はあの『お化け式手法』は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。」

 彼は人間社会を嫌悪し、侮蔑しながら、そこを脱出しょうとはせず、逆に世間的関心の中にわが身を沈潜させようとするのである。何故これほどまで、世俗社会に執着するのだろうか。少くともボクには全く理解できない。自分を悲劇の人とうぬぼれ、その自虐的な感傷に酔いしれているのだろうか。もし、ボクが葉蔵の立場にあったなら「お化けの絵ばかり描く変人」として世間の人にさげすまれようとも、芸術的創造にわが命を賭けたことだろう。自分が病弱であればなおさらである。たとえ自分の命があと数年で燃え尽きょうとも、画家としての芸術的価値は、永遠に歴史の上に刻み込まれるはずである。

 だが葉蔵にしてみれば、このような永遠の価値も世俗社会の詭弁でしかなかったようである。つまり、葉蔵の精神には、既に大人の思慮分別が巣食っており、青春特有の若々しい息吹はどこにも見当らなかった。言葉を変えれば、世俗社会への批判の内に、彼は自らの主体的創造を放棄し、ピエロとしての立場は、返って居心地のよい自己保存の絶好の手段となっていたのである。こうして葉蔵は、竹一から「女に惚れられる、偉い絵画きになる」という予言を得て東京に出る。

 彼は堀木正雄から「酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想」を教えられる。葉蔵に言わせれば、酒、煙草、淫売婦は、人間恐怖をたとい一時でもまぎらす事の出来る手ごろな手段であった。太宰は「自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちにマリヤの円光を現実に見た夜もあったのです」と、我々の宗教意識をくすぐるようなことまで書いている。ここでの、葉蔵と共産主義との関係は多くの示唆に富んでいる。

「マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ(虚栄心)と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。」

 これもまた「お化けの絵」と同様、何やら共産主義の本質を言い当てているようで、妙に親近感が湧いてくるが、葉蔵はそれを非合法・日陰者として心情的にとらえていた。

「日陰者、という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日陰者のような気がしていて、世間から、あれは日陰者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の『優しい心』は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。」

 しかし、父が仕事の都合で郷里へ帰り、彼が下宿住まいを余儀なくさせられることになると、これを転機として彼の生活態度は急転回する。葉蔵には金の無い事と非合法運動に絶え切れず、短絡的に「死」を覚悟する。彼は、いよいよ戦々恐々とした小心者に成り下がっていった。ある夜、彼はツネ子というカフェの女給と知り会い、彼女と鎌倉の海に身を投げる。日陰者の葉蔵にとってたった一つ出来ることは、誰にも迷惑をかけず、ひっそりと自らの命を絶つことだった。だが小心者の彼は、一人で死に切れず、他人を巻き添えにしたのであった。「女のひとは、死にました。そうして、自分だけが助かりました」。

 その結果、彼はヒラメという父の知り会いの家に引き取られていく。しばらくして、彼は堀木の家でシヅ子という女性記者と知り会い、やがて彼女のアパートで同棲することになる。彼は漫画の仕事を続けるのであるが、ある時、シヅ子の連れ子であったシゲ子の「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」という言葉に衝撃を受け、子供に対してまで敵意に満ちた警戒心を抱くようになる。そして「自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いま二人を滅茶苦茶にするのだ」と後悔し、そこを離れ、今度はあるスタンドバーの二階に転がり込む。

 ここで太宰は「世間」について言及している。
「世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てぱいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋は世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。」

 やがて、葉蔵は処女性の無垢の美しさに引かれたのか、バーの向いの煙草屋のヨシちゃんと結婚することになる。第三の手記の二では、葉蔵と堀木との喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこが記されている。ここで、彼は「罪」の対義語(アントニム)を執拗に究明する。そして、ドストエフスキーの「罪と罰」に逢着するのであるが、その時、ヨシ子が小男の商人に犯されている現場を目撃する。彼にとって「それは、自分の生涯に於いて、決定的な事件」であった。彼は悲痛に叫ぶ、「神に問う、信頼は罪なりや」。

「けれども、自分たちの場合、夫に何の権利も無く、考えると何もかも自分がわるいような気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言えず、また、その妻は、その所有している稀な美質に依って犯されたのです。しかも、その美質は、夫のかねてあこがれの、無垢の信頼心というたまらなく可憐なものなのでした。」

 このような場面をみて感じることは、彼がキリスト教をどのようにとらえていたかという疑問である。罪のアントニムを探す場面を頂点として、本書の中には、何度かキリスト教を暗示させる文章が出てくる。これは明らかに、太宰が何らかの意味でキリスト教に興味を抱いていた証拠である。だがボクには、それは文学的技巧の、この小説の効果的なアクセサリーのような気がしてならない。もし太宰がキリスト教に対し、人生の苦悶を抱いて立ち向かっていたのならば、この小説のようなストーリーになっていなかったと思う。

 ヨシ子の事件を契機として、彼はまたまた自虐意識にさいなまれ、再び酒びたりとなる。葉蔵のアルコール中毒、薬品中毒は、増々彼の肉体を蝕んでいくのだが、彼は最後に父の助けを求めようとする。父を裏切った人間が、再び父に援助を求めるというのは、あまりにも虫が良すぎる話で、常識ではとても考えられないことであった。そして、勿論このような要求は受け入れられず、彼は脳病院に入院する。そして、ここで「人間失格」を高らかに宣言するのであった。

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 この作品は、太宰の死の年(昭和23年)に書かれたらしいが、彼がこの中で、人間社会の不合理・偽善をいかに暴き出そうと、ボクには主人公・大庭葉蔵の生涯が、言いようもなくみじめで悲劇的なものであったとは思えない。いや、そのように考えてはならないのである。彼自身「『廃人』は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです」と書いているように、これは一つの喜劇であり、痛快コメディーであった。何故そうなのか。それは、彼が人間生活・世俗社会を唾棄しながら、一方では何のためらいもなく、その「世の中」をあてにしているからである。まるで自立できない甘えん坊の赤子のようである。それは、次の「あとがき」の対話にも表われている。

「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」何気なさそうに、そう言った。「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも……神様みたいないい子でした。」
 
 何と通俗的で幼稚な言葉だろう。太宰自ら「人間失格」と名乗りながら、人々からこのような「衰れみ」を受けることを、心底から願っていたに違いない。
 人は皆、人生でさまざまな出来事に遭遇しながら前向きにたくましく生きているのである。自分一人が悲劇の主人公などと、決してうぬぼれてはならない。

 世の中の腐敗をいいことに、自己の行為を正当化することは、断じて許されることではない。それは「甘え」でしかない。「世の中」が愚劣で嘘・偽わりに満ちたものであるのは、今に始まった訳ではない。世の中がどうであろうと、自分自信の存在価値を不断に創造していく努力こそが、すべての人間に課せられた使命なのである。

 太宰が大庭葉蔵に託して自己の生涯を語り、世間への不平・不満を書き連ね、その上、死に行く者への同情を乞い、さらにはこの本(人間失格)が若者の熱狂的支持を受けている事実をみても、彼は人間失格どころか、無上のしあわせ者だと言わねばならないだろう。


(1980)

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