『1Q84』を読み解く…話題の村上春樹さん新作



 タイトルの『1Q84』はジョージ・ーオーウェルの長編『1984年』(49年)を踏まえたもの。『1984年』が近未来ディストピア小説なのに対し、『1Q84』は「こうであったかもしれない」近過去小説だ。現実の84年とは微妙にズレた、月が二つある「1Q84年」の謎めいた世界を描く。ミステリーの要素で読者を引っぱるのは、野間文芸新人賞を受けた『羊をめぐる冒険』(82年)以来、村上さんが得意としてきた技法だ。

 奇数章はインストラクターの女性「青豆」、偶数章は予備校の講師をしながら小説家を目指す「天吾」を主人公とする物語が交互する。この手法は、村上ファンの支持が高い『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(85年)、『海辺のカフカ』(02年)でも採用しており、“勝負球”を放った感がある。

 青豆は教義の厳しい宗教の信者だった親に育てられ、現在は女性を虐待した男性に報復する裏の仕事を請け負っている。天吾は、カルト教団から逃げた少女「ふかえり」が17歳になって書いた小説をリライトし、ベストセラーを生み出す。その小説「空気さなぎ」には教団での謎の体験が投影されている。

 宗教と暴力というテーマは、地下鉄サリン事件の被害者の話をまとめたノンフィクション『アンダーグラウンド』(97年)、オウム真理教の信者に取材した『約東された場所で』(98年)以降、村上さんが考え続けてきた問題で、善悪を単純に二分化できない状況が提示される。

 また、『海辺のカフカ』では父親殺しが描かれたが、『1Q84』では天吾と父親との対決など家族との確執が多面的に描かれている。
 さらに青豆と天吾は同級生だった小学4年以来、互いに思いを寄せながら離れ離れになったままとの設定だ。ここには、大ベストセラーとなった『ノルウェイの森』(87年)に通じる純愛がある。
 これまでの代表作の要素を集大成した長編と言えよう。

■善と悪の彼岸はどこか…森達也(映画監督・作家)
 イスラエルにおける村上春樹の「壁と卵」のスピーチは、めらゆる価値(善悪)や基準(正邪)は常に相対化されるからこそ、自分は「いま圧倒的な暴力によって虐げられ迫害され苦しみながら死にゆく」側に立つという宣言だ。
 紀元前から離散と迫害を宿命のように受け続け、紀元後にはイエス殺しの烙印とともにヨーロッパ中で忌み嫌われてきたユダヤ人は、まさしく被虐の民だった。

 その彼らが、600万人もの同胞が虐殺されたホロコースト後に建国したイスラエルは、被虐から加虐の主体へと急激に転換しながらパレスチナ人を迫害し、今も周辺諸国を加害し続けている。

 地下鉄サリン事件をテーマにした2冊の作品を経過して、オウム以前とオウム以降を考え続けてきた村上は、生と死とを転換する装置である宗教が内在する「善なる暴力性」についても、休まず思考し続けてきた。裁判の傍聴に通ったと村上が語る林泰男(地下鉄サリン事件実行犯)とは、僕も何度も面会し、手紙の交換も重ねてきた。とても心優しく穏やかで誠実な男であると同時に、多くの人を「あちらの世界に移す」ために殺害した彼は、今は確定死刑囚だ。

 だからこそ考える。罪と罰とは何か。善と悪の彼岸はどこか。僕らはどこに拠って立つべきなのか。
 地下鉄サリン事件以降に高揚したこの国の被虐意論は、危機管理という衣をまといながら善悪二元化を促准し、管理統制社会の到来を実現しつつある。それはまさしく、オーウェルが描いた『1984年』の世界へと至る憎筋だ。
 ただしこの国には、「ビッグ・ブラザー」はいない。すべての人の口の中から現れる「リトル・ピープル」が(民意や世相として)、この国の現在と、これからの形を決めている。

 決意や思想は、物語といろ間接話法によって、より強く読む側の意識に刻まれる。その意味ではラストにも納得Lた。続編はありえない。

(朝日新聞 2009-6-23)



目次   


inserted by FC2 system