「親 鸞」 五木寛之(講談社)



 黒面法師やツブテの弥七といった悪役善玉が大立ち回りを演じ、親鷺が女性にもてまくるという読みやすい活劇にもなっている本書は、しかし一方で親鷺や師の法然の思想をていねいに描き込んでいて、下世話と高尚が見事に同居している。さすがは大作家の手練というべきか。
 平安末期から鎌倉時代にかけては戦乱や天変地異が続いた。貴族中心の絢燗豪華な密教にかわり、「念仏を唱え、救いを阿弥陀仏に求めるだけで往生できる」という親鷺のシンプルな教えは末法の世の民衆に広く受け入れられた。

 儀式としきたりで形骸化した宗教は、つねに宗教革命的な新たな潮流によって復古する。鎌倉の新仏教だけではない。同じようなことは歴史上何度も繰り返されてきた。16世紀ヨーロッパの宗教改革から20世紀初頭の日本の日蓮主義、さらにはイスラム原理主義の出現にいたるまで、事情はそれぞれ異なっても、そこに通底する背景放射は同じだ。つまりは宗教というシステムが肥大化するのに従って「中抜き」の運動が起き、神や仏に直接向き合おうとする強い引力が働くようになる。

 そうした動きが起きるのは、いつも時代の変わり目だ。
 オウム真理教からニューエイジ、さらには若い人の間に広まっている最近の神社仏閣ブームも、そうした転換点の表出としてとらえられるだろう。その意味で2010年という今は、宗教の潮時なのかもしれない。グローバリゼーションが進み、国内の格差化が進んで社会は苦痛に満ちている。農村や企業という中間共同体が消失し、人々は拠りどころを失っている。このような時代に宗教への要請が高まるのは必然的な流れだ。

 いまという時代に書かれた親驚のわかりやすい入門小説。このような新たな精神的指導者の出現を、いま日本人はどこかで期待しているのかもしれない。

(佐々木俊尚:ジャーナリスト)

(朝日新聞 2010-3-14)



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