ビームラーオ・アンベードカル (1891〜1956)





アンベードカルの22の誓い
 叙任式の後、彼は彼の支持者らにダンマ・ディクシャ(伝授)を与えた。この式典には三宝と五戒に続いて全ての新しい改宗者達に与えられた22の誓いが含まれた。1956年10月16日、チャンダ(チャンドラプール)にて別の大規模な改宗式を執り行った。彼は22の誓いを支持者たちに規定した。

1.私はブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュワラの信仰を持たず、それらを崇めるつもりもない。
2.私は神の化身と信じられているラーマやクリシュナの信仰を持たず、それらを崇めるつもりもない。
3.私はガウリー、ガナパティその他ヒンドゥーの神々や女神の信仰を持たず、それらを崇めるつもりもない。
4.私は神の化身を信じない。
5.私は主ブッダがヴィシュヌの化身だと信じるつもりはない。私はこれを狂った偽りのプロパガンダと信じる。

6.私はシュラッダー(信仰)を行わない。ピンダ(供え物の団子)を捧げることもしない。
7.私はブッダの法則と教えにもとる行いをするつもりはない。
8.私はバラモンが執り行うどんな式典も受け入れるつもりはない。
9.私は人の平等さを信じるつもりである。
10.私は平等を確立するために励むつもりである。

11.私はブッダの八正道に従うつもりである。
12.私はブッダが定めた十波羅蜜に従うつもりである。
13.私は全ての生き物に思いやりと親愛の情を抱き、かれらを保護するつもりである。
14.私は泥棒するつもりはない。
15.私は嘘をつくつもりはない。

16.私は姦淫の罪を犯すつもりはない。
17.私は酒やドラッグのような酩酊させるものを摂取するつもりはない。
18.私はいつの日も八正道に従い、思いやりと親愛の情を実践するために励むつもりである。
19.私はヒンドゥー教を捨てる。それは人類にとって有害であり、不平等を基礎とするが故に人類の進歩と前進を妨げる。そして私は仏教を自己の宗教として採択する。
20.私は断固として、ブッダのダンマこそが唯一真実の宗教であると信じる。

21.私は、私が再生すると信じる。
22.私は今後、我が人生をブッダとダンマの原理と教えに依って導いていくことを厳粛かつ堅固に宣言する。

 今日では多くのアンベードカル系団体がこの22の誓い(22のプラティギャ)のために働いている。彼らはこれらの誓いのみが、現在の仏教の存続と急速な成長を招きうると信じている。「22誓約の実践と普及運動」としても知られる「The umbrella organization」はこの目的のために十二分に献身している。この全く非政治的な運動は、アルヴィンド・ソンタッケの発明品であり、インド中の地帯と地域の団体を含む500万人のボランティア(プラチャラク)で構成されている。

(Wikipedia)

【略 歴】
 ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar、1891年4月14日〜1956年12月6日)は、インドの政治家(ネルー内閣の法務大臣)、思想家。インド憲法の草案作成者。反カースト(不可触民〈ダリット〉改革)運動の指導者。

 インド中部のマディヤ・プラデーシュ州のマウー出身。ヒンドゥー社会のカースト制度の最下層、アンタッチャブルあるいはダリットとして知られる層に属する両親のもと14人兄弟の末っ子として生まれた。彼はカースト制度による身分差別の因習を打破するため、死の2か月前に約50万人の人々と共に仏教に集団改宗し、インドにおける仏教復興運動を始めたことで知られている。ナグプールの集団改宗の場所はディクシャブーミと呼ばれ多くの巡礼者が訪れており、アンベードカルは「バーバー・サーハブ」即ち「師父」(baba は父、saheb は敬称)と支持者たちに崇敬されている。

 1952年6月15日にコロンビア大学より、1953年1月12日にオスマニア大学より名誉法学博士(LL.D.)を授与されている。
(Wikipedia)



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