新井 満 (1946〜 )





■『般若心経』のこと
 数ある経典の中でも、『般若心経』は日本人にもっとも親しまれているお経の一つでしょう。葬式や法事に参列すればお坊さんが読経する姿を目にするし、四国88カ所にお参りするお遍路さんは、到着の証しとして詠んでいます。自分ではとくに意識していなくても、日本人のほとんどがどこかで触れているはずです。

 あらためて言うまでもありませんが、『般若心経』はもともと日本のものではありません。7世紀、『西遊記」の三蔵法師として有名な僧、玄奘はインドからたくさんのお経を持ち帰り、残りの人生をその漢訳にささげました。訳した中には、大乗仏教の中心経典である『大盤石波羅留多経』600巻余や、そのエッセンスを抽出した『般若心経』も含まれていました。それを遣唐使で中国に渡ったお坊さんたちが日本に持ち帰り、以来1200年、脈々と詠まれてきたのです。

 ただ、『般若心経』は古くからたくさんの日本人に親しまれてきたわりに、その意味を理解している人が少ない。じつに不思議ですよね。
 仏教関係者の中には、「お経の意味をわからずともいい。尊いものだから、唱えるだけでご利益がある」という人もいます。でも、それはどうでしょうか。お経とは、ブッダの言葉なのです。お経の意味を知らなくてもいいというのは、ブッダがお経に託したメッセージを無視してもいいということ。それではあまりに失礼じゃないですか。

 では、ブッダは『般若心経』で何を伝えようとしたのか。般若心経の「般若」は古代インド語の「パーニャ」、智慧という意味です。「心経」は、エッセンス。つまりブッダは、智慧の神髄、究極の智慧をこのお経の中に詰め込んだのです。

 では、その智慧とは何か。私が読み物として『般若心経』を初めて読んだのは大学生のころでした。ただ、そのときは智慧の正体がよくわかりませんでした。解説書を開けば、『般若心経』の智慧とは「空哲学」であると書いてあります。しかし、「空」とは何かという肝心の部分がよくわからない。書いてあっても表層的な説明に終始していて、心から納得はできないのです。

■色即是空、空即是色
 それから約30年を経て自由訳に挑戦したのですが、自分で訳して気づいたのは、「空」は名詞ではないということでした。巷の解説本は、「空」を何か静的な状態を指し示す名詞として訳しています。一方、私の解釈だと「空」は動詞。だから解説書がピンとこなかったのかもしれません。

 具体的にいうと、「空」は「変化する」です。空を見上げていると、数分で天気が変わります。さっきまで明るかったのに、急に陰ってきたと思えば、またお天道様が顔を出す。そうやって絶えず動くことを「空」といいます。
 「空」は変化をつかさどる時間の神様といってもいいかもしれません。時間の神様は、最強の存在です。どんなに美しい女性も50年も経てばおばあちゃんになるし、その先には死が待ち構えている。そうした絶対的な変化が「空」です。

 『般若心経』の中でそれを端的に示しているのが、「色即是空」です。この4文字は、目の前にあるコップはもちろん、壁や天井も、木々も山々も、地球や宇宙そのものも、万物は例外なく変化Lて、いずれ滅びて無になるということを示しています。
 そのことにどのような智慧が隠されているのか。ブッダが「色即是空」に込めたのは、「この世のすべては束の間の存在だから、それに執着したりこだわるのは、もうやめなさい」という教えでした。

 別の言い方をするなら、「起こってしまった過去を受け入れる」ということです。一度起きたことは、もう変えられません。それなのにいつまでも心をとらわれているのはもったいない。過去への執着から自由になり、あるがままに受け入れたとき、人は平安な心を手に入れ、幸せになれるのです。

 ただ、これは空哲学の半分にすぎません。『般若心経』の「色即是空」の後には、「空即是色」の4文字が続きます。これを新井流に訳すと「万物は変化した結果、再生する」です。雲をイメージすると、わかりやすいかもしれません。雲はどんどんと流れていき、いずれは消え去ります。これは「色即是空」。しかし、そのうちまた新たな雲が生まれて、空を覆い始める。これが「空即是色」です。

 「空即是色」にも、ブッダの教えが込められています。万物は、いずれ再生します。ただ、生まれてくるのはいいことばかりではなく、地震や津波など歓迎したくないことも再生してしまう。残念ながら、それを人間の力で押しとどめることはできません。将来、起こりうることのすべてを人間がコントロールするのは不可能です。

 ところが、将来を極端に怖がって前に進もうとしない人もいます。これは未来を不安に思う心にとらわれている状態。ブッダはそういう人に対して、「これから起こることを心配しても始まらない。自分にできる限りの努力をしたならば、その後はもう天に任せて思い悩むな」と説くのです。
 色即是空が「過去を受け入れる」なら、空即是色は「未来を受け入れる」。仏教では、こだわりを捨ててこの2つの境地に達することを「悟る」といいます。

■母の死
 私がこのような解釈に至ったのは、40代後半のころでした。学生のころはよくわからなかった『般若心経』の意味が、ある出来事を通して実感できるようになったのです。

 1994年2月、私は、冬期五輪が開催されていたノルウェーのリレハンメルという町にいました。五輪の閉会式では次期開催地のデモンストレーションが行われますが、次回開催は長野で、私はそのデモンストレーションの総合プロデューサーを務めていました。
 リハーサルは失敗続きでした。巨大バルーンを飛ばす演出なのですが、風の吹き方が不規則で、なかなか計算どおりに浮かび上がってくれない。全世界の人が注目するなかで、失敗はできません。本番までの数週間は、プレッシャーと戦う毎日でした。

 一時帰国して、いよいよ本番のためにノルウェーへ再出発する日のことです。早朝、兄から突然電話があり、母が危篤だと知らせを受けました。母は91歳でしたが、「100歳までかるく生きるよ」と公言してはばからない人。まさか母に限ってという思いで、にわかには信じられませんでした。
 全世界の人が見守るノルウェーか。それとも危篤の母が待つ新潟か。

 私は迷った挙げ句、ノルウェー行きの飛行機をキャンセルして新幹線に飛び乗りました。自分に与えられた職責や当時の風潮を考えても、これはかなり思い切った決断だったと思います。〈会社を辞めることになってもいいのか?〉と自問し、〈かまわない〉と自答したのです。
 結果的には間に合わず、母の死に目には会えませんでした。あのときの気持ちは何と言っていいのか。大好きだった母が亡くなったという事実を受け止めることができず、茫然としていたと思います。

 そのまま新潟で母の遺品を整理していたら、タンスから意外なものが見つかりました。文庫本の『般若心経』です。母は昔から熱心に墓参りをする人でしたが、墓前でお経をあげる姿は一度も見たことがない。表紙がきれいで読んだ形跡はなかったので、母はお守りのつもりでタンスに入れていたのかもしれません。

 気になってひさしぶりに『般若心経」をめくると、「色即是空」の文字が目に飛び込んできました。そのときフッと肩の力が抜けたのです。大切な母を亡くしたばかりで、その事実を受け止められずにもがいている。そんな自分に、ブッダが「起きてしまったことは、どんなに悲しくとも受け入れなさい」と語りかけてくるようでした。

 母が亡くなって3日後、オリンピックの閉会式が行われました。私は祈るような気持ちでテレビ中継を見ていました。バルーンがうまく浮くかどうかは風まかせ。もとより遠く日本にいる私には、どうすることもできません。ただ、焦りや不安はありませんでした。「やることはすべてやったのだから、先のことを悩んでも仕方がないしという心境で、むしろすがすがしい気持ちで画面に見入っていました。母の「死」に対するこだわりを捨てたときに、これから起こる「生」へのこだわりをも捨てることができたのでしょう。まさしく「空即是色」です。

 ちなみにバルーンは奇跡的に浮かび上がり、デモンストレーションは大成功。ノルウェーに行かなかった私が肩身の狭い思いをせずに済んだことをつけくわえておきます。

■自由訳の面白さ
 私が『般若心経』を自由訳というスタイルで訳してみようと決めたのは、それから間もなくのことです。
 自由訳ですから、自分の思いが存分に入っています。たとえば「空即是色」を私は単に「万物は変化した結果、再生する」でなく、さらに「それぞれの役割を持って生まれてくる」と訳しています。

 新たに生まれてきた赤ちゃんの中には、父と母の命が存在しています。その父と母も、それぞれ父母の命を引き継いでいる。命にかぎらずこの世のあらゆるものは、そうした絆の連鎖の中で生まれてきます。そうした無数の絆に支えられて生を受けたのだから、自分勝手に生を使っていいわけじゃない。一人一人に必ず何かの役割があり、それを果たすことが「空即是色」といえるのです。

 こんなこと、『般若心経』には一言も書いてないですよ。しかしそれでいいんです。産婆として死ぬまで現役だった母は、赤ん坊をとりあげながらよくこう言ったものです。
 「天才には天才の、凡才には凡才の役割があるわさ。オギャアと生まれてきた赤ちゃんに、役割のない子なんて一人もいない。さて、この子はどう育つかねえ」

 それを聞いて育ってきた私には、「空即是色」がそう読めるのです。
 『般若心経』の最後に出てくる「羯諦」(ぎゃてい)という呪文もそうです。これを直訳すると「彼岸に往く者よ」。ただ、本当にそれだけの意味なのでしょうか。ひょっとすると、ブッダはこの言葉に、「おぎゃあ!」といって生まれてくる赤ちゃんの泣き声を音写したのではないか。私は半ば本気でそう信じていますが、これもきっと母の影響でしょう。

 自分が生きてきた背景が表れるのが、自由訳の面白さ。『般若心経』も、解説書どおりに読む必要はありません。それぞれが自分の人生に照らし合わせて読み深めたとき、『般若心経』の世界が広がっていくのではないでしょうか。

(プレジデント 2011-12-5)

【略 歴】
 新井 満(あらい まん、1946年5月7日〜 )は、日本の男性作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家、長野冬季オリンピック開閉会式イメージ監督など。新潟県新潟市生まれ。本名:滿(みつる)。
 新潟明訓高等学校、上智大学法学部卒業。上智大学グリークラブ(男声合唱団)に所属するも、入院退部。電通に入社し環境ビデオ映像の製作に携わるかたわら、小説・歌などの創作活動に入る。2006年5月末日に定年退職した。

 1977年(昭和52年)、カネボウのCMソングとして自ら歌唱した『ワインカラーのときめき』(作詞:阿久悠 作曲:森田公一)がヒット曲となる。

 1987年(昭和62年)、『ヴェクサシオン』で第9回野間文芸新人賞受賞。1988年(昭和63年)の『尋ね人の時間』で第99回芥川賞受賞。都会生活を営む現代人の心象を、詩的な物語性によって繊細に描く作風と評価される。
 日本ペンクラブ常務理事として、平和と環境問題を担当。

 2001年(平成13年)、妻をがんで亡くしたふるさとの友人を慰めるために『千の風になって』を作曲。作曲にあたって原詩である 『Do not stand at my grave and weep(直訳:私のお墓で佇み泣かないで)』 を訳して自ら歌い、CDに録音したものを30枚作成。友人や希望者に配布した。しかし、曲を聴きたいという希望者が膨れあがり、2003年に朝日新聞の天声人語で取り上げられると問い合わせが殺到。急遽ポニーキャニオンからCDが発売され、訳詩を掲載した本も講談社から発売された。
 この曲は秋川雅史、加藤登紀子、スーザン・オズボーン、新垣勉、ウィーン少年合唱団などプロの歌手たちにカバーされ、100万枚を越える大ヒットとなった。同曲によって2007年(平成19年)第49回日本レコード大賞作曲賞を受賞。ラジオドラマ、テレビドラマ、劇映画にもなった。

 2003年(平成15年)、市民創作函館野外劇の実行委員会からの要望でテーマソング『星のまち Hakodate』を作詞・作曲。毎年7月と8月に開催される函館野外劇では出演者によって全編で歌われている.

 2005年(平成17年)、『この街で』(作詞:新井満、作曲:新井満、三宮麻由子)を制作。この曲は元々2000年10月に松山市で開催された「21世紀に残したいことば」あなたのことばで元気になれる『だから、ことば大募集』」で松山市長賞を受賞した「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」がモチーフとなっている。日本ペンクラブ「平和の日・松山の集い」 のイベントで松山を訪れていた新井はこの言葉に感動し、エッセイストの三宮麻由子と協力して即興で作詞・作曲した。
 イベント終了後もう一度聞きたいという要望が寄せられたため、後日新井がプライベートで録音してCD原盤を作成。CDの製造・販売権も新井から松山市に譲渡され、松山市役所の窓口で販売された。CDの売上金はすべて街ちづくりのイベント等の資金として役立てられている。

 2009年(平成21年)、平城遷都1300年の記念行事の一環として万葉集研究の第一人者である中西進から万葉集の和歌にメロディーを付けて楽曲を作って欲しいという依頼があり、『万葉恋歌 ああ、君待つと』を制作。万葉集の中から額田王・磐姫皇后・播磨娘子ら女性歌人の恋歌を新井が編纂し、曲をつけた。この曲は、演歌歌手の小林幸子の歌唱でCD化され、第60回NHK紅白歌合戦でも小林によって歌われた。
(Wikipedia)



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