モハメド・アリ (1942〜  )





 モハメド・アリ(Muhammad Ali、1942年1月17日〜 )は、アメリカ合衆国の元プロボクサー。アフリカ系アメリカ人であり、他にイングランドとアイルランドの血を引いていた。ケンタッキー州ルイビル出身。本名は同じで、旧名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア (Cassius Marcellus Clay Jr.)。

 デビュー当初はカシアス・クレイと呼ばれていたが、1964年にネーション・オブ・イスラムへの参加を機に、リングネームのみならず本名自体をモハメド・アリに改名し、その名で呼ばれるようになった。アマチュアボクサーとしてボクシングを始め、1960年のローマオリンピック・ライトヘビー級金メダリスト。プロに転向するや無敗で世界ヘビー級王座を獲得。その後は3度王座奪取に成功し通算19度の防衛を果たした。人種差別と戦い、ベトナム戦争の徴兵拒否など社会的にも多くの注目を集めた人物である。

■プロ転向と改名
 1960年10月29日にプロデビュー。タニー・ハンセイカーと対戦し、6R判定勝ちを収めて、プロデビュー戦を勝利で飾る。また、プロ転向直後にネーション・オブ・イスラムの信徒であると公表し、リングネームを現在の本名である、ムスリム(イスラム教徒)名モハメド・アリに改めた。この名前は、預言者ムハンマドと指導者(イマーム)アリーに由来する。なお、1975年にはイスラム教スンナ派に改宗している。

 1962年11月15日に元世界ライトヘビー級王者のアーチー・ムーアと対戦。試合前に、控え室の黒板に「ムーアを4ラウンドにKOする」という予言を書いてリングに向かい、その予言の通り4ラウンド目に3度ダウンを奪ってKO勝ちした。

 1963年3月13日に、元世界ライトヘビー級王座挑戦者のダグ・ジョーンズと対戦。アリが10R判定で勝利。この試合はリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤー(年間最高試合賞)に選出されたが、アリは試合前にジョーンズを6RでKOすると公言していたため、試合後に新聞からバッシングを浴びた。

■リング外での闘い
 ベトナム戦争への徴兵を拒否したことから無敗のままヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランクを作ったが、復帰後、実力で王座奪還を果たした。また露骨な黒人差別を温存するアメリカ社会に批判的な言動を繰り返した。その後黒人解放運動などの貢献が称えられ、ドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を受賞。

■引退後
 1990年に湾岸危機に際し、イラク・フセイン大統領との直接対話のため、病をおしてバグダッドに赴き、アメリカ人の人質解放に成功する。開放された多くの人が、早く帰れる飛行機には乗らず、アリと同じ飛行機に乗って帰国した。

 2003年のMLBオールスターゲームで始球式を務め、久し振りに公の場に姿を見せた。2005年11月9日、アメリカ合衆国ホワイトハウスにて文民に送られる最高の勲章である大統領自由勲章を授与された。2009年にはアイルランド・クレア郡エニスの名誉市民に選出され、9月1日に記念式典が行われた。

(Wikipedia)



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