江上 剛 (1954〜  )





■聖書との出合い
 私の自宅の机の上には聖書が何冊か積んであります。
 私と聖書の出合いは高校生のときに遡ります。1970年頃、私は兵庫県丹波で育った田舎の高校生でした。人並みに「人生とは何ぞや、人とは何ぞや」と思い悩んでいたからでしょう、何気なく聖書を購入し、教会にも行ったことがありました。

 私はキリスト教の信者ではありませんが、以来、聖書はずっと持っています。第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入ってからも、聖書、特に新約聖書は、いつも鞄の中に入れていました。通勤電車の中で読書をするとき、他の本に飽きると聖書を取り出してパラパラとめくるのです。
 聖書はどのページをめくって、どこから読んでもいい。そうすると、いまの自分の状況をぴたりと言い当てている言葉に巡り合う。キリスト教とは何ぞやという学問的な難しいことを知らなくても、パッとめくったときの一言、あるいは一行が胸にグサッと突き刺さってきます。

 それは何よりも言葉に力があるからでしょう。何か問題が起きて悩んでも、その一言で助けられ、支えられる。まさに「ワンフレーズ・ポリティクス」。非常に得難い「書物」だと思います。

■狭い門から入りなさい
 私はこれまで、いろいろな事件に巻き込まれてきました。人生で二度も強制捜査を経験しましたが、逃げたことはないつもりです。おかげで少し逃げ遅れてしまったこともありますが……。
 強制捜査の一つ目が97年に起こった第一勧業銀行の総会屋事件。第一勧銀が長年、大物総会屋に不正融資をしていたことが発覚したのです。当時、私は広報部の次長で、事件の真相を調査する社会責任推進室室長も務めました。

 そのときに指針になった聖書の言葉は、「狭い門から入りなさい」(マタイによる福音書・7草13節)です。人間は誰しも、仕事でも日々の判断でも、安易で楽な道を選ぼうとします。事件が発覚してからというもの、マスコミから責められ、記者たちが自宅にまで押し寄せてきました。本当は逃げ出したい。そういうときに聖書をめくると、「狭い門から入りなさい」「滅びに通じる門は広い」という言葉にぶつかるわけです。
 それで、やはり安易な道を選んではいけない、歯を食いしばって困難な事態にぶつかっていこう、と考えたのです。

 もうひとつ指針になった言葉は、「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知らずに済むものはない」(ルカによる福音書・12章2節〕です。
 総会屋への融資を隠すために不良債権を「飛ばす」など偽装工作をしていましたが、絶対に隠しおおせることはありえないと思いました。汚い部分があっても隠してはいけない。一つの隠ぺいが新たな隠ぺいを生み、最後には破滅が待っているばかりです。

 総会屋事件で一番卒かったのは、自分が尊敬したり世話になった人たちが、次々に逮捕されていったことです。
 その逮捕に私は一つ一つ付き合いました。その人たちから「後は頼む」とか、一つ一つ言葉や依頼ごとを託されるわけです。その都度、涙が本当に止まりませんでした。

■明日のことまで思い悩むな
 それからもう一つ辛かったのは、事件が収まり銀行が落ち着き始めると、陰で、銀行が大混乱し信用を失ったのは、「あいつのせいだ、あいつが騒いだからだ」と言われるようになったことです。
 そうしたこともあり、どこかの時点で自分自身にけじめをつけなくてはいけないと思いながら、暮らしていたことは事実です。銀行を辞めた原因の根っこには、そんなこともあったのかもしれません。

 ただ、そういう困難な辛いときでも、「明日のことまで思い悩むな」(マタイによる福音書・6章34章)という一言が、私を救ってくれました。

 この一言は、第二の強制捜査を経験した日本振興銀行の経営破綻でも、私の救いとなりました。
 日本振興銀行は、元日銀マンの木村剛被告(現在係争中)が、2004年に中小企業専門の金融機関として開業したものですが、当初の志と違って不良債権が積み上がり、昨年9月に破綻してしまいました。私は04年から同行の社外取締役を、木村被告が逮捕されたあとの数ヵ月間は最後の社長を務めました。

 この事件で本当に残念だったのは、同じく同行の社外取締役だった弁護士の先生が自殺されたことです。
 言い訳に聞こえるかもしれませんが、日本振興銀行の件は、月に何回か銀行に行くだけで、相手を信じ切っていた私には経営内容が一切わからなかった。木村被告が経営から逃げてしまった後、私の目の前に出てきた事実は、あまりにも重いものでした。

 弁護士の先生も大変に悩んでおられた。私が早朝に起きて原稿を執筆していると、午前3時頃に私の携帯に電話がかかってきて悩みをお話しになる。先生が受話器の向こうで「死にたい、僕はもう死んでしまいたい」とおっしゃる。そのときに私は「いま思い煩うのはやめましょう。明日は明日、思い煩えばいいのですから」と繰り返し言っていました。

 そのうちに、先生の状態もだいぶよくなられた。その日も夜遅く相談が終わって、みんなで食事をしたのですが、先生は私のスパゲティまで平らげてしまわれた。食欲もあったのです。先生が命を絶たれたのは、その翌日未明でした。

■悩んだら聖書を読む
 そういう悲しいことがあっても、日本振興銀行には従業員も顧客もいて、金融庁との交渉もある。自分だけ楽な道を選ぶわけにはいかないと、心を折らず懸命にやってきました。聖書を横に積んで。
 こうした特別な事態だけでなく、日常の仕事でも、聖書はいろいろな場面で知恵を授けてくれます。

 例えば私が銀行の支店長をやったときには「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい」(マタイによる福音書・12章33節)というフレーズを大切にしていました。「良い実がなる」ためには、まず良い木をつくらなくてはいけない。良い木をつくるには良い土をつくらなくてはいけない。

 支店に置き換えれば、働くみんなが働きやすい環境を整えてやらずに、「あれやれ、これやれ」と口でやかましく言っても駄目。みんなが良い実を実らせることができるように土台をつくるのが、支店艮の自分に与えられた仕事、と思って店舗運営しました。聖書の言葉を、良い実がならないのは実が悪いのではなく、マネジャーが悪いからだ、と理解したわけです。

 聖書をパラパラとめくれば、「人はパンだけで生きるものではない」(マタイによる福音書・4章4節)というような有名な言葉に出合います。
 「おまえは今期の業績が悪いから、ボーナスを下げる」などと言われたときには、「サラリーマンとはいえ、俺はパンだけで生きているわけではない。仕事に対するプライドで生きているのだから、自分は自分の生き方を貫けばいいんだ」と考えてもいいのです。
 悩んだら聖書を読む。誰かに教わるのではなく、自分自身で言葉を探す。それが悩みを解決する最善策となる。そんな気がします。
 
(プレジデント 2011-12-5)

【略 歴】
 江上 剛(えがみ ごう、1954年1月7日〜、本名小畠晴喜(こはた はるき))は、兵庫県氷上郡山南町(現・丹波市)出身の日本の作家、コメンテーター、日本振興銀行元・取締役兼代表執行役社長。
 元みずほ銀行築地支店長。兵庫県立柏原高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。オフィス・トゥー・ワン所属。

 1977年から2003年まで旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)に勤務。
 1997年、第一勧業銀行総会屋利益供与事件に際し、広報部次長として混乱の収拾に尽力する。この事件後は、同行のコンプライアンス体制構築に大きな役割を果たす。また、この事件を元にした高杉良の小説およびそれを原作とした映画『金融腐蝕列島』のモデルともなった。

 2002年、経済小説『非情銀行』で作家デビュー。2003年3月にみずほ銀行を退社。
 2004年6月から本名の小畠晴喜として日本振興銀行の社外取締役に就任。その後には取締役会議長も務めるも、2010年に、逮捕に伴って代表執行役社長を解任された西野達也に代わって、同年7月14日より同行の代表執行役社長に就任した。

 これに伴い、当面の作家業は抑制あるいは休止せざるを得ないと表明するが、同年9月10日に同行が経営破綻し、自分の役目は終わったと記している。そして、金融整理管財人としての預金保険機構の下で社長職を勤め破綻処理が軌道に乗ることを見届け、2010年12月27日付で、形式上ではあったものの、取締役職の解任の手続きがとられた。次いで、代表執行役社長職も翌年1月13日付で解任の手続きがとられた。

 後任には、旧三和銀行出身で、小畠時代の専務執行役だった弓削裕が就任した(ただし、取締役兼任ではない)。
 2011年8月23日、整理回収機構は木村剛と社外取締役であった小畠、平将明衆院議員を含む旧経営陣7人に対して50億円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。
(Wikipedia)


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