北城 恪太郎 (1944〜  )





■クリスマズイブに洗礼を受ける
 高校時代、日曜学校を英語で行っている教会があると聞き、そこに通い始めました。中学を卒業するとき、尊敬する担任の先生から「英語の成績がよくない」と指摘されたことがきっかけで一念発起した私は、高校に入ってから英語を必死に勉強しました。そして授業以外の学習手段として、教会通いを始めたのです。

 もともと信仰のためではありませんでLたが、そこで聖書の話を聞くうち、2000年もの間、人々に受け継がれてきたキリスト教の中に何があるのか、ということに関心を持ちました。

 その後、大学を卒業し、社会人としての人生を歩みはじめたとき、友人の誘いで恵ぴ教会に通い始めました。そこで信仰の話を聞きながら、一度しかない人生を自分の考えだけで生きることもできるが、変わることのないものに支えられて歩んでゆくべきではないかと考えました。自分を背後から見守ってくださる方が存在するということを感じていましたから、それなら私は神様に従って生きようと決めたのです。就職した年のクリスマズイブに洗礼を受け、同じ日に洗礼を受けた女性が後に妻となりました。

 聖書に次のような言葉.があります。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(新約聖書「ペトロの手紙1」4章10節)。

 人間はそれぞれみな才能、長所を持っているのだから、それを活かしなさい、という意味の一節が、社会に出たばかりの私の背中を押してくれました。ビジネスマンとして生きることが自分に与えられた賜物であり、学生時代から好きだったコンピュータ関係の仕事が自分の進むべき道であると確信できたのです。

■自分に与えられた賜物で全力を尽くせばいい
 しかし実際、仕事を始めてみると失敗したり悩んだりするものです。そんなとき励ましてくれた言葉は、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(新約聖書「ローマの信徒への手紙」8章28節)という一節です。おかげで、「自分に与えられた賜物で全力を尽くせばいい。結果はどうあろうと神様によって与えられた道なのだ」と考え、常に心に平安を持ちながら働くことができました。

 私は長年、エンジニアとして現場で仕事をしており、ようやく管理職になったのは36歳のとき。同期の中では出世が最も遅いほうでした。管理職としての初仕事は、大手都市銀行の次期オンラインシステムの売り込みでした。厳しい受注競争の中で、銀行から担当メーカーに選定していただかなくてはならないという状況にありました。

 20人ほどのチームで2年経ったのですが情勢は厳しく、ときには部下も「選ばれないのでは?」と不安を露にし、チームの士気が下がったこともありました。しかし、私は「必ず道は開ける」と自分に言い聞かせ、前向きに仕事に取り組みました。やはり支えてくれる信仰があったからでしょう。最終的にはお客様に選んでいただけ、これが私のキャリアが開けるきっかけになりました。

 1993年に社長に就任し、すぐに直面した課題は「撤退」でした。大型コンピュータなど主にハードウエアを売る会社から、コンピュータを動かすシステムの提案などソフトウエア、サービスを中心とした会社へ事業構造を根本的に変えるために、いくつかの事業から撤退することを決断しました。撤退は負の異動なども伴う一番難しい決断なのですが、そんなときも「自分は全力を尽くして最善の決断をした。その先の道は神様が用意されているしと思えたことで、心の平安が守られた。

 撤退にかかったコストのため、就任一年目は日本lBM創業以来、初の赤字決算となりましたが、このときの事業転換で、将来に向けた会社の基盤を築くことができたと思っています。

■お言葉どおり、この身に成りますように
 そして2002年末、経済同友会の代表幹事就任のお話をいただきましたが、自分にはその任にふさわしい見識もないと考え、迷っていました。しかし、たまたまその年のクリスマスに教会で聞いた説教が決断に導いてくれました。
 「……『神にできないことは何一つない』マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように』」(新約聖書「ルカによる福晋書」1章37〜38節)

 人が何かを担うのはその人に能力や見識があるからではなく、その仕事を神様が用意してくれたからだ、といった内容の説教でしたが、私には、「代表幹事を引き受けなさい」というメッセージに聞こえました。あまりにも的確な言葉に、隣にいた妻と思わず顔を見合わせたほどです。
 2年後に任期を終えようとしたとき、健康に少し不安があったため再任は辞退するつもりでいました。するとまた教会で考えを変える教えと出合ったのです。

 「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている」(旧約聖書「ヨシュア記」13章1節)という一節に基づく説教を聞きました。やり残したことがまだあるのではないか、と考え直した私は、結局、再度代表幹事をお引き受けすることにしたのです。

(プレジデント 2011-12-5)

【略 歴】
 北城 恪太郎(きたしろ かくたろう、1944年4月21日〜 )は、日本の実業家。日本アイ・ビー・エム最高顧問、前経済同友会代表幹事。学校法人慶應義塾の最高意思決定機関、慶應義塾評議員を務める。東京都出身。錦華小学校を経て、慶應義塾入学。

 好きな言葉は、「誠は天の道なり、誠を思うは人の道なり」。モットーは、「あ・た・ま」と言い、明るく、楽しく、前向きに仕事をするという言葉の頭文字をとったものである。
 中学生時代は、文武両道な生徒で学級委員長としての活発に活動していたことを評価され、同級生250人の中から女子生徒2人と「中等部長賞」に選ばれる。

 中学の卒業間近に担任から「きみは、英語の成績がよくないね。高校へ行くと英語は大事だから、頑張りなさい」と言われ、負けず嫌いな性格が影響し、高校時代にはクラブ活動で英語研究会に入り、英字新聞を読み、テレビやラジオの講座や英会話のテープを聞いたり、英会話学校に通うなど英語の勉強漬けの日々を過ごす。これが留学や仕事など、後の活動に役立った。
(Wikipedia)



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