中田 考 (1960〜  )





■現代世界
 我々が暮らす現代世界は,近代の西欧(キリスト教)諸国による世界の植民地化の直接の遺産である。勿論,西欧諸国といっても,その内実は多様であり,植民地化の様態はそれぞれの国によって異なる。

 また植民地支配を被った側の植民地化の度合もやはり地域によって異なっている。日本やロシアのように直接には西欧諸国によって植民地化されることなく,むしろ後発帝国主義国家として,植民地支配を行った国々も,西欧の価値と制度を自ら内面化することによって帝国主義国家に変容を遂げたことを考えると,やはり,日本,ロシア,そしてその衛星国も,広い意味での西欧による植民地化の影響を免れていないと言うことが出来よう。

 それゆえ現代世界の文化には全て,西欧キリスト教文化の影響が刻印されており,イスラーム世界もその例外ではない。そして「テロ」もまた,西洋の発想により生み出され西洋文化の枠組みの中で成立した西欧文化の一部である。そのことは,それが,たとえ,「イスラーム・テロ」と呼ばれようと同じである。
(中略)

■まとめに代えて
 我々はイスラーム法の反乱とジハードの規定を参照することによって,同じ価値体系を共有する敵と共有しない敵に対する処理において,対「テロ」戦争の考え方とは全く異質の思考様式があることを確認した。

 先ず,天啓の法が国家に優越するイスラームにおいては,アプリオリに国家が善,反徒が悪とされることはない。むしろ反乱が起きる以上は権力の側に何らかの不正があったことが十分に予想されるとの「造反有理」の思想に基づき,反徒との交渉が求められるのである。またイスラームは価値体系を共有しない敵に対しても武装解除と租税という最低限の消極的服従要求のみを課し,自らのイデオロギーへのコミットメントを強制することを自らに禁じている。

 最後に我々は,西欧が「イスラーム・テロ」と呼んでいる現象は,どちらの例にあたるのかを考えてみよう。イスラームと西欧は異なる価値体系を有する。この前提に,ハンチントン流の「文明の衝突」論を重ね合わせると,「イスラーム・テロ」が,価値体系を共有しない敵同士の闘争であることは一見自明に映るかもしれない。本当にそうであろうか。

 イスラームのジハードの宣戦の規定について思い起こそう。ジハードは先ず,イスラームの家の外部の異教徒に対するイスラームへの入信の呼びかけ,次いで税金の支払いの呼びかけがなされ,それが拒否された場合の最終手段であった。では「イスラーム・テロ」と呼ばれるもののなかに,イスラーム世界の外部の人々に,イスラームへの入信か税金の支払いを要求した例が一つでもあるであろうか。

 ビン・ラーディンの「アル=カーイダ」のような最強硬派とみなされるグループにしろ,アメリカに入信か租税か,というイスラームのジハードの論理に基づく要求をしているわけではない。その要求は,イスラーム世界からの軍の撤収,イスラーム世界の不法な占領者イスラエルへの援助の中止という,西欧の民族主義,国際法思想の枠組みに完全に収まるものにすぎない。

 イスラームは西欧と異なる価値体系を有し,イスラーム世界と西欧が価値体系を共有しない敵同士として戦うことは可能であり,事実,過去千三百年にわたって両者の間で大小様々な無数の戦いがヨーロッパ,中東,アフリカ,中央アジア,南アジア,東南アジアで行われてきた。
 しかし現在「イスラーム・テロ」の名前で呼ばれている事象はそうではなく,「外国人」の侵略者に対する独立闘争,という西欧の「民族主義」の土俵の上での闘争に過ぎない。

 そしてイスラーム世界にカリフが不在である限り,その状況が変わることばない。確かにイスラーム世界の国境が全て撤廃され,地方政権が全て廃され「グール・アル=イスラーム」が再統一され,カリフ制が復興した時には,西欧は価値体系を共有しない他者と対略することになる。その時に「文明の衝突」状況が現出する可能性は否定できない。

 しかし,現在起こっている所謂「イスラーム・テロ」はそのような「文明の衝突」などではなく,西欧の侵略者による虐殺,収奪,人権踪閥への抵抗であり,それ裾西欧自身の価値体系に照らしても不正なのである。

 それゆえイスラーム世界を収奪する西欧の支配者たちは,自らの権力と利権を守るために,その告発が良識ある西欧の市民の耳に届いて不正が白日の下に晒されることを全力を挙げて阻止されねばならないのであり,それこそが「イスラーム・テロ」が「テロ」の名を冠され,問題の原因・背景の争点化が阻まれ,「テロリスト」の汚名を着せられた者たちとのいかなる議論・交渉も許されず「思考停止」が強制される所以なのである。

「イスラームとテロ」(『大航海』No.54(2005年4月、新書館)

【略 歴】
中田 考(なかた こう、1960年7月22日 − )は日本のイスラム法学者、実業家。 元同志社大学高等研究教育機構客員教授。アフガニスタン平和開発研究センター客員上級研究員。株式会社カリフメディアミクス代表取締役社長。ムスリム名はハサン。

(日本人の紹介)
 イスラーム国に戦闘員として参加を希望する当時26歳の日本人学生に対して、イスラーム国司令官に連絡をとり参加の仲介をした。2014年8月中田はその学生に面会し、中田の立会いで学生はイスラム教に入信した。中田は学生のシリアへの渡航のためにルートと通訳を手配し、シリア入国後は中田が紹介したイスラーム国幹部が出迎え戦闘員になる予定であった。

 参加計画は渡航直前に警視庁公安部によって私戦予備・陰謀事件として阻止され、学生は身柄を拘束され、中田と常岡浩介らは事情聴取と家宅捜索を受けた。また別に千葉県内の20歳男性も中田に連絡を取り、2014年8月にシリア渡航する予定であったが、家族が説得したために未遂に終った。



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