道祖神 (どうそじん、どうそしん)



   

 道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。男女和合を象徴する形状のものもみられる。餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残る。

 道祖神は、厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の石仏であり、自然石・五輪塔もしくは石碑・石像等の形状である。全国的に広い分布をしているが、出雲神話の故郷である島根県には少ない。甲信越地方や関東地方に多く、とりわけ道祖神が多いとされる安曇野では、文字碑と双体像に大別され、庚申塔・二十三夜塔とともに祀られている場合が多い。

 平安時代の『和名抄』にはすでに「道祖」という言葉が出てきており、そこでは「さへのかみ(塞の神)」という音があてられている。すなわち、外部からの侵入者を防ぐ神であった。後に松尾芭蕉の『奥の細道』の序文で書かれることで有名になる。しかし、芭蕉自身は道祖神のルーツには、何ら興味を示してはいない。

 道祖神の起源は不明であるが、『平安遺文』に収録される8世紀半ばの文書には地名・姓としての「道祖」が見られ、『続日本紀』天平勝宝8年(756年)条には人名としての「道祖王」が見られる。神名としての初見史料は10世紀半ばに編纂された『和名類聚抄』で、11世紀に編纂された『本朝法華験記』には「紀伊国美奈倍道祖神」(訓は不詳)の説話が記されている。また、『今昔物語集』にも同じ内容の説話が記され、「サイノカミ」と読ませている。13世紀の『宇治拾遺物語』に至り「道祖神」を「だうそじん」と訓じている。

 初期は百太夫信仰や陰陽石信仰となり、民間信仰の神である岐の神と習合した。ほか、岐の神と同神とされる猿田彦神と習合したり、猿田彦神および彼の妻といわれる天宇受売命と男女一対の形で習合したりもし、神仏混合で、地蔵信仰とも習合したりしている。
 各地で様々な呼び名が存在する。道陸神、賽の神、障の神、幸の神(さいのかみ、さえのかみ)、タムケノカミなど。秋田県湯沢市付近では仁王さん(におうさん)の名で呼ばれる。道祖神はまた、集落と神域(常世や黄泉の国)を分かち、過って迷い込まない、禍を招き入れないための結界とされている。 (Wikipedia)

■単体道祖神
 長野県 芦ノ尻道祖神

■双体道祖神……男女二神が彫られたもの。

上田市野倉



長野県安曇野 餅つき道祖神

■文字碑道祖神……自然石に「道祖神」などと彫られたもの。

安曇野市 豊科 上鳥羽

茅ヶ崎市日吉神社



■奇石道祖神……球状や棒状など、珍しい形をした石を祭ったもの。とくに男根の形のものは「陽石」、女陰の形のものは「陰石」と呼ばれている。

辰野町 横川 川上 陽石

日鷲神社 陰石



■男根型道祖神

新潟県 ほだれ大神  

長岡市上樫出地区の音子(おんご)神社

佐賀県唐津市鏡山 鏡山 道祖神

(参考)
■地蔵菩薩
 地蔵菩薩はサンスクリット語でクシティ(大地)・ガルバ(胎内)。大地のように広い慈悲で人々を包み込んでくださる菩薩様とされている。仏教では、釈迦が入滅して(死んで)から56億7000万年後に弥勒菩薩が現れ、悟りを開いて人々を救うと考えられている。しかしそれまでの長い間、人間は六道を輪廻しながら、苦しまなければならない。

 六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のことで、地獄道はその名の通り罪を犯した人の落ちる地獄のこと、餓鬼道は思いやりのない生き方をした人間が行く場所で、食べようとしたものはすべて炎に変わるため、飢えと渇きに苦しまねばならない。畜生道は牛馬と同じ扱いを受ける場所で、修羅道に行った人はいつも怒っており、争いが絶えない。人間道は私たちが今生きているこの世界のこと。天道は天人が住む場所で苦しみはないが、いつか死がやってきて、六道のどこかに転生せねばならないのだ。

 これを救うのが地蔵菩薩だ。日本では平安時代以降、地獄を恐れる風潮が強まり、地蔵菩薩への信仰が庶民にも広がった。村のはずれに立つ地蔵が六体あることが多いのも、お地蔵様が六道を巡りながら人々の身代わりとなって苦しみを背負ってくださるという信仰からだ。
 日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。




■石敢当(いしがんとう)
 魔除けのために「石敢当」と刻んだ石を立てる中国の俗信。日本でも、江戸時代から各地にあったが、沖縄県には、中国から直接伝わって、いまも社会慣習として生きている。中国には古代からあり、家の入口の正面にあたる他家の壁に立てたり、家の土台石に刻んだりする。石敢当とは力士の名であると伝えるが、本来は、石がなによりも強いことから、魔除けに用いた語である。

 沖縄県では「蹴り込みの返し」といって、石敢当は道の突き当たりに立てるのが普通であるが、もともと「返し」といって魔除けに石を置く習慣もあった。これは『古事記』(712)の「道反(ちがえし)の大神」と同じく、道祖神信仰の一種で、それと中国の石敢当とが習合したものである。






■リンガ
 
リンガは、一般に男性の性器(男根)を指すサンスクリット語で、本来は「シンボル」の意味を持つ。特にインドでは男性器をかたどった彫像は、シヴァ神や、シヴァ神の持つエネルギーの象徴と考えられ人々に崇拝されている。「マハーバーラタ」には、豊穣多産のシンボルとしてのリンガの崇拝が記録されているが、後世にシヴァ信仰の広まりとともにより鮮明になり、大小さまざまなリンガ像が彫像され、多くのヒンドゥー教寺院に祀られるようになった。

 通常、リンガの下にはヨーニ(女陰)が現され、人々はこの2つを祀り、白いミルクで2つの性器を清め、シヴァの精液とパールヴァティーの愛液として崇める習慣がある。

 シヴァの起源ははるか太古の原始生活にまでさかのぼるといってよいだろう。例えば、かつて日本にも男根崇拝の時代があった。その名残が道祖神という形で今に伝えられている。しかし、インドの特異性は、男根崇拝の思想をさらに発展させ、性魔術であるタントラ思想を生み出したことにある。今でもインド北部のカジュラーホーには、ミトゥナという男女の性交場面を現した彫刻があるが、これはタントラ思想を具現化したものと言われる。タントラ思想は仏教との融合から密教が派生し、現在でもチベットや日本に今なお強く息づいている。

リンガとヨーニ

リンガとヨーニ

ミトゥナ

■ヤブユム
 ヤブユム(チベット語:Yab-yum、逐語的には「父上-母上」)は、インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教美術においてよく見られる、男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルである。男女両尊、父母仏、男女合体尊とも。男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である。この交合を通じて大楽を導き、解脱に達することが目指されている。






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