ブッダ「ダンマパダ」


■概要
 『ダンマパダ』または『法句経』(ほっくぎょう)は、原始仏典の一つで、釈迦の指針的な語録の形式を取った経典である。語義は「法(真理)についての句(言葉)」といった意味であり、原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。『スッタニパータ』と共に原始仏典の、最古層の部類とされる。

 パーリ語版『ダンマパダ』はパーリ語経典の「小部」に第2経として収録されており、漢訳としては
* 『法句経』(大正蔵210)
* 『法句譬喩経』(大正蔵211)
* 『出曜経』(大正蔵212)
* 『法集要頌経』(大正蔵213)
があり、チベット語訳もある。パーリ語の日本語訳として、中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』、友松円諦訳『法句経』が有名である。

 サンスクリット経典である『ウダーナヴァルガ』は、本経と『自説経』を足したもの。上記の『ブッダの真理のことば・感興のことば』には、パーリ語版、サンスクリット語版の両方が訳出されており、「感興のことば」の部分が『ウダーナヴァルガ』である)。

■構成
 『ダンマパダ』は、以下の全26章から成る。
1. 第1章 - 双(Yamaka-vaggo)
2. 第2章 - 不放逸(Appam_da-vaggo)
3. 第3章 - 心(Citta-vaggo)
4. 第4章 - 花(Puppha-vaggo)
5. 第5章 - 愚者(B_la-vaggo)
6. 第6章 - 賢者(Pa__ita-vaggo)
7. 第7章 - 尊者(Arahanta-vaggo)
8. 第8章 - 千(Sahassa-vaggo)
9. 第9章 - 悪(P_pa-vaggo)
10. 第10章 - 罰(Da__a-vaggo)

11. 第11章 - 老い(Jar_-vaggo)
12. 第12章 - 自己(Atta-vaggo)
13. 第13章 - 世界(Loka-vaggo)
14. 第14章 - ブッダ(Buddha-vaggo)
15. 第15章 - 楽(Sukha-vaggo)
16. 第16章 - 愛(Piya-vaggo)
17. 第17章 - 怒り(Kodha-vaggo)
18. 第18章 - 汚れ(Mala-vaggo))
19. 第19章 - 法行者(Dhamma__ha-vaggo)
20. 第20章 - 道(Magga-vaggo)

21. 第21章 - 雑多(Paki__aka-vaggo)
22. 第22章 - 地獄(Niraya-vaggo)
23. 第23章 - 象(N_ga-vaggo)
24. 第24章 - 渇愛(Ta_h_-vaggo)
25. 第25章 - 比丘(Bhikkhu-vaggo)
26. 第26章 - バラモン(Br_hma_a-vaggo)

■日本への伝来
 『ダンマパダ』は漢訳仏典『法句経』として伝来していたが、「小乗のお経」と認識され、ほとんど顧みられる事の無かった歴史がある。漢訳の大蔵経では本縁部に収録されている。『ダンマパダ』に日が当たるようになったのは明治期以降であり、ヨーロッパでの仏教研究で『ダンマパダ』が重要文献として扱われていた影響が大きい。


「ダンマパダ」(抜粋)

1.ものごとは…
 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついていくように。ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。(1・2)

2.花飾り
 うず高い花を集めて多くの花飾りをつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。(53)

3.暴力
 生きとし生けるものは幸せをもとめている。もしも暴力によって生き物を害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。(131)

4.自己
 他人に教えるとおりに、自分でも行え。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に制し難い。自己こそ自分のあるじである。他人がどうして自分のあるじであろうか。自己をよくととのえたならば、得難きあるじを得る。(159・160)

5.悪しきことをなさず
 すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これがもろもろのブッダの教えである。(183)

6.四つの真理(四諦)
 悟れる者(ブッダ)と真理のことわり(法)と聖者の集い(僧)とに帰依する人は、正しい知恵をもって、四つの尊い真理を見る。すなわち苦しみと、苦しみの成り立ちと、苦しみの超克と、苦しみの終わりにおもむく八つの尊い道(八正道)とを見る。(190・191)

7.道を実践する人
 多く説くからとて、そのゆえにかれが道を実践している人なのではない。たとい教えを聞くことが少なくても、身を持って真理を見る人、怠って道からはずれることの無い人、かれこそ道を実践している人である。(259)

8.三法印
 一切の形成されたものは無常である(諸行無常)と明らかな知恵をもってみるときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
 一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)と明らかな知恵をもってみるときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
 一切の事物は我ならざるものである(諸法非我)と明らかな知恵をもってみるときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(277〜279)
 
9.バラモン
 螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生まれによってバラモンなのでもない。真実と理法とをまもる人は、安楽である。かれこそ真のバラモンなのである。                                    (393)



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