新約聖書「マルコの福音書」



■概要
 マルコによる福音書は新約聖書中の一書。ヒエロニムス以降、伝統的に新約聖書の巻頭を飾る『マタイによる福音書』の次におさめられ、以下『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。執筆年代としては伝承でペトロの殉教の年といわれる65年から『ルカ福音書』の成立時期である80年ごろの間であると考えられる。

 『マタイによる福音書』、『ルカによる福音書』と共に「共観福音書」とよばれ、四つの福音書の中でもっとも短い。呼び方としては『マルコの福音書』、『マルコ福音』、『マルコ伝』などがあり、ただ単に『マルコ』といわれることもある。

■マルコ優先説
 古代から中世に至るまで、(1)十二使徒の一人マタイが著者であると信じられてきた「マタイ福音書」に圧倒的な権威が置かれたこと、(2)内容の充実している「マタイ福音書」を「要約」したものが「マルコ福音書」であるという説が教会に浸透していたこと、などの理由から、古代以来もっとも「簡潔」な内容である「マルコ福音書」は聖書研究の上で「軽視」されがちな傾向があった。

 しかし、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書のうち、最初に書かれたのが素朴な『マルコによる福音書』であると言う「マルコ優先説」をカール・ラハマンが提出(1835年)して以来、マルコ優先説がプロテスタントの中でも高等批評の立場に立つ聖書学の主流を占めるようになり、共観福音書の中で最古の重要資料であるという認識がされるようになった。

 さらに、先の「マルコ優先説」を元に、「マタイ福音書」および「ルカ福音書」が共に「マルコ福音書」と仮説上のQ資料の二つを基礎資料として利用したという「二資料仮説」が現在では主流となったが、この立場からも「マルコ福音書」をQ資料と並ぶ最古の資料のひとつとして研究上重要な資料とみなすことに変わりはない。 現在はカトリックやプロテスタントの中でも高等批評の立場に立つ聖書学者の間では「二資料仮説」が主流となっている。

 こうした議論を踏まえ、イエスの歴史的実像を文献学的に追求しようとする史的イエス研究においても最古の資料であるとして、重要視する研究者も多い。もっとも、『マタイ福音書』のアラム語版の存在を仮定しマタイが先行する福音書であるという旧来の説を補強し続ける研究者なども少数派ながら存在し、今なお「マルコ優先説」に対して批判が試みられ続けている。

■特徴
 『マルコ福音書』には他の特徴とは異なっていくつかの特徴がみられる。以下に主なものをあげる。

* 『マルコ福音書』では、マタイやルカにあるようなイエスの系図や幼年時代、あるいは洗礼者ヨハネの誕生に関する物語が一切なく、イエスの公生活から始まる。
* イエスはみずからを「人の子」と呼ぶ。これはマルコのキリスト論の核心を示す表現とも言える。『イザヤ書』52章から53章の「苦難の僕」の箇所にあらわれる「人の子」との共通点も指摘される。マルコがイエスを「苦難の僕」と結びつけ、栄光に入ることを示唆するように、キリスト教徒に対して迫害に耐えるよう励ます意図があると考えられる。
* 1:12-13の「荒れ野での誘惑」ではサタンは登場しない。
* 2:27「安息日が人のためにつくられた、人が安息日のためにつくられたのでない」というイエスの言葉は過激すぎると思われたのか、マタイとルカの並行箇所では記述されていない。
* 3:21ではイエスの家族が、イエスの気が狂ったと考えた。
* 共観福音書の中でたとえ話が12ともっとも少ない。
* 5:13の悪霊(レギオン)が豚の群れにのりうつる話でマルコのみが二千頭という数字を記す。
* 6:3では福音書の中で唯一、イエスが「マリアの子」であると記述される。
* 女性が癒される話が二つ続くが、どちらでも12という数字が用いられる。(5:25、5:42)
* 6:9-10で弟子を派遣する際に「杖とはきもの」の携行を許すが、マタイとルカの並行箇所(9:3、10:4)ではそれらも許されない。
* 6:14-29にヘロディアの娘と洗礼者ヨハネに関する話の最も長いバージョンを含む。
* 7:33ではイエスが指につばをつけて癒す。
* 8:22ではイエスは目の見えない人をいやすために二度手をおかなければならなかった。
* 「メシアの秘密」というモチーフ(1:32-34、3:11―12)はマルコのみ現れる。悪魔たちはイエスが神の子であることを知っている。
* 『ヨハネ福音書』などと違い、「イエスの愛する弟子」は存在しない。
* 共観福音書で唯一、「主の祈り」がない。
* 14:51でイエスの捕縛時、一人の若者が裸で逃げていく。
* 14:56ではイエスへの偽証はことごとく失敗する。
* 14:62ではイエスははっきりと自分がメシアであることを宣言。
* 14:72では鶏は「二度」鳴いた。
* 15:17ではイエスは王であることを示す紫の服を着せられる。マタイの並行箇所(27:28)では兵士に支給されていた赤いマントを着せられる。
* 15:21ではキレネのシモンの息子たちの名前が記されている。
* 15:44では百人隊長がイエスの死を確認する。
* 16:3では女性たちが「誰が墓石を転がしてくれるだろう」といいあう。
* 16:5では墓の中、右手に白い長い衣を着た若者が座っている。
* 若者からイエスの復活を告知され「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(16:8, 訳文は新共同訳による)。
* 16:18では復活したイエスが弟子たちに蛇をつかみ、毒を飲んでも害がないという。
* 「彼(マルコ)はイエスの客観的かつリアリスティックな姿を伝えている」



「マルコの福音書」(抜粋)

1.悪 霊
 夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのもとに連れて来た。こうして町中の者が戸口に集まって来た。イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼等がイエスをよく知っていたからである。(1章ー32)

2.少 女
 (イエスは)中にはいって、彼等にこう言われた。「なぜ取り乱して泣くのですか。子供は死んだのではない。眠っているのです」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子供の父と母、それにご自分の共の者たちだけを伴って、子供のいる所へ入って行かれた。
そして、その子供の手を取って「タリタ、クミ」と言われた。(訳して言えば「少女よ、あなたに言う。起きなさい」という意味である)すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。12才にもなっていたからである。彼等はたちまち非常な驚きに包まれた。(5章ー39)

3.郷 里
 イエスは彼等に言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」それで、そこではなに一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。イエスは彼等の不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。また、12弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼等に汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。(6章ー4)

4.おしとつんぼの霊
 イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度とはいってはいけない」するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。(9章ー25)

5.盲 人
 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか」すると、盲人は言った。「先生、目が見えるようになることです」すると、イエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれ)る所について行った。(10章ー51)

6.いちじくの木
 翌日、彼等がベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気付かれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように」弟子達はこれを聞いていた。(中略)
 朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生、ご覧なさい。あなたの呪われたいちじくの木が枯れました」イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって『動いて海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言った通りになると信じるなら、その通りになります………………」                          (11章ー12)

7.カイザル
「…………ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか」
 イエスは彼等の擬装を見抜いて言われた。「なぜ、わたしをためすのか。デナリ銀貨を持ってきて見せなさい」彼等は持ってきた。そこでイエスは彼等に言われた。「これは誰の肖像ですか。誰の銘ですか」彼等は「カイザルのです」と言った。するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」彼等はイエスに驚嘆した。(12章ー14)

8.一番たいせつなのは
「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか」
 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ、聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』次にはこれです。『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ』この二つより大事な命令は、ほかにありません」(12章ー29)

9.ユダヤ人の王
 ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか」イエスは答えて言われた。「そのとうりです」そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。(15章ー2)

10.蛇
 (よみがえった)イエスは彼等にこう言われた。「………信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます」主イエスは彼等にこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。(16章ー15)


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