タテ社会の人間学


■儒教的集団主義
 元来、日本人は「自由」という言葉に好ましい印象をもっていない。日本人にとっては、「自由=わがまま勝手に生きる」ことであり、一昔前なら、それは学生運動や連合赤軍などの極左活動の嫌悪に結びつき、今日では、暴走族や校内暴力のイメージと重なっている。極端に言えば、日本人にとって「自由」とは人間の根源的価値であるどころか、非行や暴力という反社会的活動を助長する良からぬ思想だと危険視されているのである。

 じゃ西洋的自由に対して、日本社会を構成する要素は何かと言えば、それは「甘え」を基盤とする儒教的集団主義だろう。そして、この指標となるのが「和」という観念である。しかしこの「和」は、個と個の並列的関係の調和を意味していない。西洋のように個人と個人が互いの意見をぶつけ合い、そこから一致点を見い出し、やがて協調関係に至るというプロセスを含んでいない。

 日本においては、集団の内実は常に上下関係によって成り立っているのである。「和」という言葉は非常に美しい響きをもっているが、実際的機能は、タテ社会における上下関係の推持保全に他ならないのである。ここでは、人間同志は決して対等な位置に向かい合うことはない。あらゆる人間は、年功序列により抜き難い上下関係によって規定されており、我々は一個の人間として生きるよりも、このような「人間関係を生きる」ことを強制されているのである。

 そして、ここから導き出される世俗的教説は「先輩を敬え」とか「礼をつくせ」といったものである。日本語が、他の言語に比較して敬語が発達しているのも納得できるだろう。上下関係をうまくあやつっていくには、適当にお世辞を言ったり、ゴマをすったりするいわば潤滑油の役目をする「敬語」が不可欠なのである。ここでは、自分を「無」にしてまで上下関係に尽すことが最大の美徳である。

 従ってこのような集団では「個人」としての独立した価値は認められていない。各人は主体性を押し殺して集団に同化しており、しかも、すべての成員が上下関係によって連続的につながっているのであるから、すべての物事は集団単位で処理されることとなる。

 このいい例が、最近問題になっている高校野球の連帯責任だろう。例えば、ある野球部員が暴力事件を起こした場合、当人は勿論だが、その野球部や学校当局にまで責任が及び、ついには試合の出場を辞退することになる。もっとも、このような責任の無制限的波及は、日本というタテ社会においては昔から指摘されていることである。各人が独立した主張や意志をもたず、ドロドロとした親分子分的情緒によって一つの集団が形成されているとすれば、その責任の所在を見きわめようもない。

■親分子分の世界
 しかし、このような上下関係への忠誠を基本とする権威主義的集団は、その結束力により非常に能率的に事を運ぶこともあるが、その反面、個人の自主性・創造性を圧殺する方向にも働く。

「ドイツでは博士試験で、教授は『学問の方法』を教えたわけだから、『あとは自分でやれ。伝えるべきことは伝えた。』という関係になり、完全につき放されてしまう。すでに師としての使命は果たし、対等の学者となったのだから、個人的なつきあいをダラダラと続けるべきでなく、学問の道で相まみえるのみとなると、あとにはライヴァルの関係しかない。(中略)
 日本の大学の、教授が弟子の就職から結婚までいっさいの面倒をみる、まるでやくざの親分、子分の世界のような縦社会と、まったく異なるのだから、当然礼儀のスタイルも変わってくる。

 私の知っているかぎりでも、講師や助教授クラスが雑誌や本の執筆を依頼された場合、自分の学問の系統にある先生の許可をうけてからというのが不文律になっているのが日本の大学の実態で、まして、先生の説に反対の立場から本を書こうなどとしたら、破門されるのは明らかである。せっかくの才能を持ちながら、自分の先生にあたる教授が辞めるまではと、論文も発表できない助教授や講師はほんとうにたくさんいるのだからやりきれない。」
(「日本人とドイツ人」篠田雄次郎・光文社)

 また、社会における集団のあり方をみても、それぞれが相互的交流を持たず、全く孤立して存在しているのである。ひとつの集団の構成員は個人として契約的に結びついておらず、多くの場合ウエットな親分子分的情緒にからまったものであり、しかもそれは、複雑で密接にからまり合ったものであるから、外部の者がその微妙な感情の交錯を頭で理解することは不可能なのである。勿論、集団としては社会に対し一個の「意志」を主張しているのだが、そこに帰属する各人は、社会に目を向けるより、集団内の上下関係を円滑にすることで手一杯なのである。

 日本人は仕事を尋ねられると「○○会社に勤めている」と自分の帰属集団を答えるのに対し、欧米人は自分の「職業名」を名乗るといわれているが、ここに両者の社会意識の差が如実に現われているようだ。丸山真男が日本社会を「タコツボ型」と評したのも、これで納得ができる。

「ヨーロッパ人による調査団というのは、まず、そのほとんどが何々大学などといわず、団長の名を調査団の名とし、団員は必ずしも団長の属する大学のスタッフとか、その弟子というのではなく、隊長が広く一般から最も調査団の目的にあっていると思う専門家を抜擢、招請することによって構成される場合が多い。‥‥しかるに、日本の学術調査団にあっては、まず、コントラクト形式などをとって寄り合い世帯的団員構成をもった場合、ほとんど例外なく失敗を招来する。

 ‥‥こうした調査団はたいてい仲間割れをしており、団長は悪口雑言の対象以外の何物でもなくなってしまう。日本では、立派な大学教授も、現地人や外国人の前で喧嘩をし、いがみあって汚名を土地に残してしまうような結果となる。これではどんなに優秀な団員からなり、十分な費用をもっていても、仕事の成果はさっぱりあがらないのである。

 これに対して、リーダーが長老格の教授で、その愛弟子ばかりを団員とした調査団ほどうまくいっている。こうした隊では、どんなに貧しい調査費でも、どんなに苦しい環境にあっても、目的を遂行しうるのである。それは、われわれの団長(師)のためにはあらゆる犠牲をいとわないといううるわしい積極性が団員にあり、一方、『かわいい奴らだ』という限りない弟子へのいつくしみにささえられた団長の思いやりがあるからである」
(「タテ社会の人間関係」中根下枝・講談社現代新書)

■内と外
 ところで、日本人の社会意識を象徴するものとして「内と外」という概念が引き合いに出されることがある。「内」というのは、家庭や会社などのように上下関係にからまった私的な生活空間を指している。言葉を変えれば、もちつもたれつという「甘え」が通用する世界である。無論、ここでは甘えてばかりおれない訳で、隣近所に愛想を振りまき、また職場においても上司や後輩に気を使わなければならない。

 しかし、いかにタフとはいえ、「内」という管理された重苦しい空間の中では、誰しも息がつまってしまう。このウップン晴らしに利用されるのが、「外」という生活空間である。ここでは細かな気使いは無用で、大いにハメをはずすことができる。その証拠に昔から「旅の恥はかき棄て」と言って、自分の住んでいる所では人目をはばかって自重しているのに、見知らぬ土地へ行くと傍若無人に振舞うという日本人の二重性が指摘されている。自分の所属する集団の「内と外」によって態度を変えることを、誰しも偽善とか矛盾とは考えない。

 「内と外」(身内と他人)の区別はハッキリしているが、個人と社会との関係は曖昧なのであるから、公私混同が起きて当然であり、公共物が容易に私物化される結果となる。そしてさらに「内」への服従が高揚されると、「ここ以外に俺の生きる道はない」といった宿命観・閉鎖感情を生み出し、より硬直した排他主義(派閥・セクト)へと発展することになる。

 だが、「内と外」という生活意識によって日本社会が閉鎖的集団へとコマ切れになっていく防止策として、西欧的パブリック精神の代用品の役目を果たしたのが天皇制イデオロギーであった、と「甘えの構造」は論じている。

「実際、ともすれば閉鎖的なサークルに分割し易い日本の社会では、天皇の赤子ということ以外に万人を包摂するために適切で効果的な理念は存しなかったと考えられるのである。これを要するに、日本人は甘えを理想化し、甘えの支配する世界を以て真に人間的な世界と考えたのであり、それを制度化したものこそ天皇制であったということができる。

 したがってまた明治以後やかましくなった国体護持の論議は、常に支配階級の政治的便宜のためにだけ発明されたものではなく、以上のべたごとき日本人の世界観を、外からの圧力に抗して保全したいという意図によっても裏打ちされていたと見なければなるまい。‥‥現代はイデオロギーとしての天皇制が崩壊した時代である。そこでいわば無統制の甘えが世間に氾濫し、至るところに小天皇が発生している。」(甘えの構造)

 この「小天皇」という表現は、なかなかおもしろい。天皇制が崩壊しても「甘え」は現存しており、集団の頂点に位置する人物が絶大な権力を握り、構成員から天皇視されているのである。敗戦により天皇制と家族制度の思想的締め付けが撤去されたにもかかわらず、それが直接に個人の確立に向かわず、むしろ「甘え」の氾濫をもたらし、精神的・社会的混乱の原因となっているのは、なんとも皮肉な話である。

■恵まれた農耕民族
 ところで、このような日本人の意識構造の成立課程を探っていくと、四方を海で囲まれた島国で、米を主食とする農耕民族であったあったという結論に落ち付くようだ。歴史的にみても、明治以前は元冠を除けば外国を侵略者として意識したことはなかった。何しろ水と空気と安全はタダと言われるくらい、大変恵まれた平和国家だったのである。

「………その上、日本人は国境というものを知らない。したがってその不便も、恐ろしさも知らない。永年にわたる多民族の混血も、複数言語の悩みも、したがって一般に民族問題は存在せず、あっても他国のような緊迫した問題になったことはない。その上これに加えて、日本人はもともと階級意識の微弱な民族である。階級特有の固定した考え方や生き方の多層性はあまりない。それはなにも明治以降にかぎらず、支配層の交代はほかの文化圏とくらべればはるかに頻繁に、容易におこなわれてきた伝統に由来している。

 こうして一言語一民族の自然国家であるこの幸福な島国には、おどろくほど均質度の高い文化が形成されていたところへ、多様性と個別性を誇るヨーロッパ文化が流れこんできたのである。とうていこれをよく受けとめ、消化し、自己の問題となしえなかったことは明瞭である。だから個人であることは、いかなる全体への顧慮ももたずにすむ状態だと、われわれは信じがちである。一方、全体であることは、個人が完全に全体に吸収されてしまうことだと、われわれは考えがちである。そのどちらかにしか意識が働かないのである。」
(「ヨーロッパの個人主義」西尾幹二・講談社現代新書)

 では日本人も西洋型の個人主義を目指すべきなのだろうか。日本人の「甘え」を批判する土居健郎氏は、西洋型の個人主義にも疑問を呈している。

「たしかに西洋人は今日といえどもまだ一般に個人が自由であることを前提としており、またそのように振舞うので、このような信仰を持たない日本人と比較すると、行動の上でまだかなりの差異が見られるかもしれない。しかし最近は、西洋人のこの信仰も漸く形骸化してきたと見られる節が存する。というのは現代の西洋人は、自由が空虚なスローガンに過ぎなかったのではないかという反省に漸く悩みはじめているからである。

 ‥‥もっともサルトルのごとく、すべての上部構造が崩壊しつつある現代社会において、人間の自由だけは唯一絶対のものとして、それにしがみつこうとする者がいないわけではない。しかしこのような自由は一体どこに人間を導くのであろうか。それは結局、個人的欲望の充足でなければ、参加による他人との連帯だけではないか。しかしこうなると、西洋人の自由についての観念も究極のところ日本人のそれとあまり変わりないものとなる。」(甘えの構造)

■インドシナ難民への対応
 もっとも、短所は即長所であり、長所は即短所である。日本をGNP2位にのし上げたものは、持ち前の勤勉さと権威主義的集団パワーであろうし、ここから派生した画一主義・同化生義は、大量生産・大量消費という資本主義経済の図式にうまくマッチしたとも言えよう。また、日本の経済発展の謎を解くため、日本人の伝統的価値観を積極的に学ぼうとする気運が、世界的に高まりつつあるのも事実である。

 だがしかし、日本は、世界の出来事に関心を持ち、経済大国としての責任を果たしているといえるのだろうか。そのいい例として、日本のインドシナ難民への対応の仕方についての論評を引用しておこう。

「私は、インドシナ難民の入国を一貫して厳しく制限し、人道的な責任を金で回避できるかのような態度をとっている日本に失望せずにいられない。難民受け入れの数を比較してみると、米国がほぼ25万人、フランス5万7057人、イギリスが3531人、イタリアが1650人、スイスでさえ2822人となっている。これに比べると日本は51人で、ルクセンブルグ並みだ。私の書いた記事に数多くの方々が意見を寄せられた。

 多くは私に賛成の意見であったが、なかには強い反論もあった。わずかな国土に多くの人口を抱えている日本には、外国からの移民を認める余地はない。だから、そういう『特殊な事情を理解』してほしい、という主旨だ。しかし、私の考えは変わらない。日本がいくら自分を貧乏だと感じていても、日本のめざましい経済発展ぶりを見、実際に日本製品の洪水に埋もれている外国人には通用しまい。」(中央公論・昭和55年3月号)


(1981)

目次






inserted by FC2 system