日本よ、どこへ行く


 日本はこの先どうなってしまうのか。日本はこのままでよいのか。日本はどういう国であるべきなのか。最近のささざまな事件に接し、痛切に感じることである。以下はボクのささやかな問題提起である。
 最初にことわっておきますが、ボクはどんな政治団体にも属していない。現在の日本の状況を憂える一労働者に過ぎないし、日本や世界のことについて、自由に考えたいだけである。


日本は、このままでよいのか

●中高生の批判に大人はどうして答えられない
 1999年8月下旬、NHK教育テレビで教育問題についての討論会があった。司会はオウム事件で有名になったジャーナリストの江川紹子さんが担当していた。中高生、父母、教師、評論家らが集まり、熱心に討論が行われた。

 中高生は大人を批判し、大人は中高生を批判していたが、見ているかぎり、大人は中高生の質問にタジタジとなっていた。というのも、こんな日本社会(いじめ、登校拒否、学級崩壊、援助交際、金権政治、汚職、幼児虐待、バブル崩壊など)をつくったのは、明らかに大人であり、その責任はどうにも言い逃れすることはできない。言い訳を繰り返す大人達、それはまったくミジメな姿であった。同時にそれはまさに現在の日本社会を象徴しているようであった。

●神戸児童殺害事件
 1997年の神戸児童殺害事件は、日本国民に大きな衝撃を与えた。校門に切断した頭を放置するという猟奇性もさることながら、犯人が中学3年生だったことに驚かされた。しかし、それ以上ショックだったのは、悲惨な事件が起こったにもかかわらず、中継現場のアナウンサーの周囲で、Vサインをしてふざけ合っている若者達(中高生)であった。なぜ、こういう国になってしまったのか。

 また、カウンセラーや精神科医の指示も不可解だった。新聞によると、父母が相談しても「自由にさせておきなさい」と指導していたという。それで正しかったのか。

●オウム真理教事件
 日本人は、高度経済成長により、金を出せば何でも手に入れることができるようになった。しかし、生活が豊になった反面、精神の空洞化が起こり、無気力・無関心な若者を産み出した。何がよくて、何が悪いのか、という善悪の基準がアイマイになり、気持がよければ何をしてもいいんだという風潮を生んでいる。

 こういう時代を背景として急速に勢力を伸ばしたのが、オウム真理教だった。麻原は宗教の名を借り、次々と若者を洗脳していった。一連の事件(1995)は、まるでヒトラーのナチスを思い起こさせるものであった。麻原の命令なら平気でサリンによる大量無差別殺人を実行する狂気のカルト集団に対して、日本社会はあまりにも無防備だった。オウムを狂気の集団として非難するのは簡単である。しかし、それですむだろうか。オウムの教義がいかに間違っているかを信者にどう説明するつもりなのか。どの宗教も血生臭い殺戮を繰り返してきたではないか。

 日本人が自らの価値観を見直し、しっかりとした行動原理・国家理念を確立しないかぎり、根本的な問題について若者に返答できない。

●なぜ人を殺してはいけないのか
 TBSテレビで、ある若者が「なぜ殺人をしてはいけないのか」という質問をし、キャスターもゲストも返答できなかったという。これは何をあらわしているのか。「人を殺すここは悪いに決まっているではないか、なぜそんなことが分からないのか」と怒りだす人もいるかと思う。しかし、この質問の裏には「では、なぜ人を簡単に殺してしまうのか」という疑問が隠されているのではないか。

 いくら「人の命は何よりも大切だ」といっても、現実に世界各地で飢餓や戦争で多くの人命が失われ、先進国は武器を輸出しているのである。これを前にして大人は若者に何を語れるだろう。「一人殺せば殺人者だが、百人殺せば英雄だ」と言ったのは、チャップリンだったか。

●湾岸戦争で感謝されず
 湾岸戦争(1991)後、クェートはアメリカの新聞にお礼の広告を出したが、そこに日本の名前はなかったという。莫大な資金を提供していながら感謝されないとはどういうことか。日本がいかに世界から仲間外れにされているか、それをいやというほど思い知らされる出来事である。この先、再び同じようなことが起こっても、日本はアメリカに頼まれれば文句も言わず、黙って金を出し続けるのだろうか。

●バブル崩壊
 1980年以降、日本は驚異的なバブル景気を迎えた。それは日本人の努力のたまものだったが、儲けた金を社会資本の充実や社会を豊にするためには使わなかった。企業、政治家、銀行がグルになって、さらに金を儲けようとバブルを肥大化させていった。それに反し、当時のアメリカは不況にあえいでいた。日本はそれにはおかまいなしに、金儲けにのめり込み、ついにはバブル崩壊を迎えるのである。

 バブルとは何だったのか。それは日本人が有効な金の使い道を知らず、世界の国々がどうなっても無関心で、ただひたすら金儲けに血道をあげていたのである。そこには何の政治理念も国家としての理想もなかった。日本は、エコノミックアニマルのままでいいのか。
 
●政治の混迷
 ついに自民党は数合わせのため、自由党・公明党と連立政権を組んだ(1999-10)。自自公という。特に公明党と手を組むとは、どういうことか。政権奪取のためならどんなことでもやるのか。公明党はかつては清く正しい中道を標榜していたが、連立参加のため政策を180度転換したように見える。

 しかしそれは驚くに当たらない。公明党の支持基盤は創価学会であり、その最終目標は国家権力の奪取にあるからである。そのためにはどんなことだってやる。これを嘆いてもしょうがない。こういう政治状況を作ったのも、結局は大人の責任だ。政治に無関心で、投票にも行かず、結果的にこういう人々を選んでしまったのだ。今後投票に行くのは、創価学会員と共産党員だけになるかも知れない。大人が危機感を持たないかぎり、事態はもっと悪化するだろう。そうなってからでは遅い。

●自虐史観では生きていけない
 昔、ある新聞紙上で「君は血の債務を忘れるな」という記事を読んだことがあった。そこでは、日本軍が第二次大戦中に東南アジアで行った大量虐殺を、これでもかこれでもかと暴き立てていた。現在でも、かつての教科書問題のように、東南アジア諸国からちょっと批判されると、日本政府は平謝りの連読である。すぐ謝るから、尚一層批判されてしまう。その上、日本の大新聞も待ってましたとばかりに、日本軍の残虐性をいやというほど書き立てるのである。

 勿論、虐殺の事実は否定できない。謝るべきことは、謝るべきである。しかし、歴史的事件は、それ自身で孤立して存在しているのではない。そこには原因があるはずである。歴史の大きな流れの中でその事実の意味を考える必要があるのではないか。例えば見方をかえれば、日本軍は、当時欧米諸国の植民地となっていた東南アジア各国を解放し、独立をうながすきっかけを作ったとも言えるのである。欧米諸国が植民地獲得のため、どれほど極悪非道なことをやったかは、調べればすぐに分かることだ。(例えば、アヘン戦争 1840〜1842)

 国が検定をした教科書に日本の悪口ばかり載っているとすれば、日本人として耐え難いことだ。もっと日本人としてプライドのもてる歴史教育をすべきではないか。自虐史観だけでは生きていけない。
 
●一国平和主義でいいのか
 新聞やテレビでは「日本の平和憲法は素晴らしい。この憲法をいつまでも守っていかなければならない」という論調が大半である。それはそうかも知れない。一切の戦争を放棄するとは、立派なことだ。しかしそれは、日本が平和であれば、他の国でどのような政治的経済的問題が起こっても知らんぷりをしていていい、ということではない。日本が貿易立国である以上、世界の出来事に無関心でいていいはずはない。
 現行の平和憲法が、国民の無関心・平和ボケを助長し、それを正当化する根拠になっているとするなら、見直さなければならないだろう。
  
●このままではカルタゴになる
 日本を語る場合、よく引合に出されるのが、古代国家カルタゴである。
 
 「その国は、いまから2000年以上も前に地中海世界で繁栄を誇ったたいへん活気ある商業国家だった。だが、ひたすら富の追及に励んだその努力が仇となって、わずか数百年にして世界から姿を消してしまうことになる。富の蓄積が周辺諸国の羨望を生み、羨望は嫉妬に、嫉妬は恐怖に、恐怖は憎悪へと高まり、やがて勃興してきた軍事大国によって、徹底的に破壊され、滅亡してしまうのである。悲惨な最後をとげるその経済大国はカルタゴと呼ばれた……………

 調べれば調べるほど、2000年以上も前に栄えた通商国家カルタゴと現在の経済大国日本のおかれている状況はよく似ている。私はこの稿をしたためながら、カルタゴの悲史が決して人ごととは思えなかった……………」
(「ある通商国家の興亡」森本哲郎 PHP研究所)

 古代の商業国家カルタゴは、商業活動により莫大な富を蓄積したが、周辺諸国と経済摩擦を起こし、ついにローマによって地上から抹殺されてしまった。ローマは、カルタゴが二度と復活することのないように、そして農産物が育たないように、戦火で積もった灰を掘り返し、そこに塩をまき、「この地に、だれも住むことを許さない。もし、住みつく人間がいれば、彼らは必ず呪いを受けるだろう」と布告した。日本も金儲けだけに奔走していては、カルタゴと同じ運命をたどるのではないか。


世界は、どうなっているか

●現実は弱肉強食・権謀術数の世界
 日本人は、タテマエとホンネを使い分ける国民であると言われているが、ところがどっこい世界のリーダーである超大国も、裏ではずいぶんあくどいことをやっている。「世界平和のために」というのはタテマエであり、裏では自国に都合のいいように国際世論を誘導しているのである。

●キリスト教の弊害
1.一神教のため、他の宗教を一切認めない。さらに内部でもカトリックとプロテスタントの対立がある。
2.教義が非科学的。処女で子供ができる、人間が神になる、死人がよみがえる、など科学的常識とかけ離れている。しかしクリスチャンは、事実として認めているのだ。

3.キリスト教は、出発点はカルト宗教であった。ライフスペースやオウム真理教の教義が異常であるように、当時のユダヤ人にとって異常なものであった。それでほっといても自然消滅すると考えられていた。
4.聖書の内容は、どのようにも解釈が可能。あるアメリカの団体はここから人種差別の正当性を導き出している。

5.進化論を否定。障害児教育でアメリカのドーマン博士の指導方法が注目されている。「進化の記憶が脳をつくる」という考え方をもとに、障害児に人間の進化の段階に応じた運動をさせ、脳を活性化させていくというものである。しかし、進化論を認めないアメリカではそれほど評価されていないようだ。
6.ユダヤ教は、日常生活の守るべき規則を中心にしていたが、キリスト教は現実からかけ離れた誇大妄想的、狂信的な教義をつくりあげた。

●アメリカの実態
 本当のアメリカを知っているか
 今、日本人は多くのアメリカ文化に埋もれて生活している。ミッキーマウス、ディズニーランド、マクドナルド、ケンタッキー、映画、ミュージカル、コカコーラ、アメリカンポップス、スポーツ、ファッション、コンピューター、クリスマス、ハロウィンなどなど。、どれも面白くて、楽しいものばかりである。それにアメリカで流行したものが、すぐに日本に輸入されてくる。確かに犯罪が多いという批判はあるが、多くの人は、アメリカに対して、ディズニー映画を見るような甘い幻想を抱いているのではないだろうか。

 ところで、アメリカは軍人向けにAFN(アメリカン・フォーシーズ・ネットワーク)というテレビ放送を行っている。これを見ていると甘い幻想は吹き飛んでしまう。そこには世界の警察としてのプライドと強い意志が満ち溢れている。膨大な核を持ち、ICBM、原子力潜水艦、原子力空母、スティルス爆撃機など、世界一強大な軍備を持っているのがアメリカなのである。この事実を目の辺たりにすれば、どんな国も意気消沈してしまうだろう。日本人は日頃意識していないが、日本はこのアメリカに国を守ってもらっているのである。

1.もともと北米大陸はインディアンのものであり、そこにヨーロッパ人がやってきて、インディアンを虐殺し、広大な領土を奪い取った。その後、奴隷としてアフリカから黒人を連れてきた。人類史上こんな例は他にない。

2.多くの人種が集まっているため、人種差別が激しい。治安も悪い。

3.CTBT(包括的核実験禁止条約)に反対。米上院が批准を否決した(1999-10)。アメリカのホンネが見える。

4.世界の警察として活動する裏で、武器を世界中にばらまいている。アメリカは紛争の火種を自ら作っているのだ。世界市場のシェアは、48.6%でダントツの第一位(1998)。

5.国民の大多数はキリスト教徒であるが、キリスト教自体、非科学的で排他的な宗教である。表面的には、科学文明の発達した国に見えるが、一皮むけば偏狭な宗教にがんじがらめになっている。

6.コンピューターの開発ではアメリカが一番進んでいるが、これは兵器開発の技術の転用である。

7.タバコは規制するが、銃規制はできない。これがアメリカの実態だ。
 アメリカで日本人が銃撃されるたびに、銃規制がクローズアップされるが、ほとんど進展していない。アメリカ人は無関心だ。堕胎に反対し、生命尊重を掲げるなら、強力な銃規制を早急に実施すべきだと思うが、それは必要ないらしい。

8.大統領が不倫をし、嘘をついても辞めさせられない。辞めようともしない。クリントンは嘘をつきとうしたが、マスコミの批判により、しぶしぶモニカとの「不適切な関係」を認めた。

9.湾岸戦争で劣化ウラン弾を使用し、イラクではガンで死亡する幼児が増えている。アメリカでも参加した軍人の中に体のマヒが起こったり、生まれた子供が奇形児だったりしている。しかし、ペンタゴン(国防総省)は、劣化ウラン弾を原因として認めていない。(1999-11)


日本は、どんな国か

 なぜ日本はアジアでただ一つ先進国になれたのか。なぜ欧米と肩を並べるほど発展できたのか。これは世界史の大きな謎である。 
 「日本はずっとあこがれの国だった。地下資源が乏しいのに、敗戦で何もかも失ったのに、どのようにして経済発展できたのか。そして、礼儀正しい国民性はどこからくるのか、不思議だったんです」(ゾマホン・ルフィン)

●黄金の国ジパング
 「日本人とユダヤ人」の中で「日本人は、水と空気と安全はタダだと思っている」と書かれていたが、日本は地理的風土的に非常に恵まれた国である。極東の島国であるため他国に侵略されず、社会が安定し、独自の文化を形成した。だが、あまりにも恵まれた国のため平和ボケし、他国の痛みが分からない、ということがある。他国も日本と同じと思い込み、「はきものをそろえると、心もそろう」とか「人類みな兄弟」ということを無邪気に考えている国民である。この点、民族絶滅の危機を幾度も乗り越えてきたユダヤ人とは正反対。

1.極東の島国
 極東に位置するため、他国から侵略されることもなく、独自の文化を形成した。 
2.単一民族
 厳密には少数民族がいるが、大きな民族紛争というものはない。他国と比較すれば民族問題は小さい。日本のどこに行っても日本語が通じる。
 
3.無宗教
 中国人と同様に日本人も基本的には現実的である。また、深刻な民族的対立もなかったため、キリスト教のような非科学的で攻撃的で排他的な宗教は生まれなかった。そういう意味では無宗教といえるが、仏教・儒教・神道を柔軟に取り入れて生活している。欧米人は、このような日本人の宗教生活を批判するが、日本人からすれば、高度な科学文明をもつ欧米人が非科学的で狂信的なキリスト教を信仰するということが信じられない。
 
4.菜食主義
 気候的に四季の変化に富み、四季おりおりの魚や野菜を調理し、四季の風情を味わいながら、食生活を営んできた。仏教の影響からか、伝統的に肉食は好まない。 
5.教育熱心
 単一民族で、社会が安定していたためか、国民の教育程度は高い。 

6.集団主義
 単一民族のため、自己を主張するよりも、いかにして集団の和(調和)をはかるかということが重要視されるようになった。
7.あいまい主義
 周囲の人間に気を使い、出しゃばらず、素直に集団の意志に従う人間が、好かれる。しかし、自己主張を抑えるあまり、物事をはっきりさせないという傾向がある。これを象徴するのが、力士の勝利者インタビューだろう。小声でとぎれとぎれに話すだけである。マシンガンのようによくしゃべるアメリカ人の場合と大違いである。

●明治維新という革命
 日本の長い眠りを揺り動かしたのは、黒船だった。その圧倒的な軍事力の前に、日本はやむなく開国(1854)した。その後、欧米からいろいろな武力行使があったが、日本は明治維新(1868)という大革命を成し遂げ、植民地化をまぬがれた。これは日本にとって、大きな歴史の分岐点であった。ここで発揮された日本人の知性と行動力には頭が下がる。アジアで植民地化を免れたのは、日本だけであった。

 「特に江戸時代の日本人は偉かった。あの時代の日本人が知恵を欠いていたら、日本もアフリカ諸国のように欧米の植民地になり、自分達の言葉と文化を失っていたはず。外交の経験などほとんどなかったのに、素晴らしい………途上国にとって、奴隷制度と植民地政策、そしてグローバリゼーションは、同じ搾取のシステム。江戸時代の知恵をもって慎重に対処しなければ、近い将来、日本文化はなくなってしまいますよ」(ゾマホン・ルフィン)

●日本の孤立化
 アジアで唯一独立を守り、先進国と肩を並べたことが、その後の悲劇を招いた。白人としては、調子のいい一匹のイエローモンキーが許せなかった。日本は欧米諸国の反感をかい、挑発にのってしまった。アメリカに勝てるはずのない戦争をしかけ、原爆を落とされた。 

●鳩の狂気
 第二次大戦後、日本は急激な経済発展をとげたが、世界的に孤立しているという状況は変わっていない。アジアで先進国の仲間入りをしているのは、日本だけであり、世界的視野にたった判断ができない。情報収集能力もない。そのため何か事が起こると、アメリカの言いなりになりがちである。しかし、日本が勝手な行動をし、世界の笑い者になるよりはいい。国民が一丸となり、あらぬ方向に走り出す危険性が十分あるからである。

 ところで、「鳩」は特別な攻撃手段を持たないため、一度ケンカを始めると相手を殺すまでやってしまうという。こういう習性を考えると鳩が平和の象徴であるとはおかしい、という指摘がある。日本は、この鳩に似ている。普段はおとなしいが、一度暴走を始めると、とんでもないことをやってしまうのである。

 しかし、いつまでもアメリカの言いなりでいいのだろうか、いつまでも平和の仮面をかぶった鳩のままでいいのだろうか。 


日本はどうあるべきか

●政治理念を明確にする
 ソ連崩壊、大量消費による自然破壊、環境汚染、倫理観の欠如、犯罪の増加という社会問題が発生し、いままでのシステムを地球的規模で根本的に考え直す必要に迫られている。世界は新たな秩序を模索している。日本は、日本としての自己主張をキチッとすることが求められている。

 国際化とは、自国の主張をせず、ただ外国の多数意見に従うということではない。日本が経済大国でありながら、諸外国から何を考えているかわからない国というイメージをもたれているのは、はっきりとした政治理念、国家の理想をもっていないからである。人間の豊さとは何か。何のために人間は生きているのか。社会とは国家とは、どうあるべきか。こういうことから論議していく必要がある。
 
●日本文化の再構築
 既に経済大国になったのだから、金儲けだけに走るカルタゴであってはならない。国のあり方を考える上でも、今後は日本の文化(伝統文化・東洋文化)を根底から見直すべきだろう。
 
 日本は、第二次大戦の敗戦ショックで、日本のすべてを否定する傾向が強まった。さらに社会主義・資本主義・アメリカ文化の影響で、物質至上主義が加速されていった。経済成長のためには、文化的なものは必要なかった。しかし結果として精神の荒廃を招いてしまった。今後は、自国の伝統文化を見直すべきだろう。特に自然との調和をめざす東洋文化は、21世紀において重要な役割を担っていくのではないか。

●自分の国は自分で守る
 やはり基本は、自分の国は自分で守るということである。アメリカの協力を得るにしても、その気概を示すべきだ。アメリカに守ってもらっているのに、アメリカに偉そうなこととは言えない。まして、「アメリカ軍は出ていけ」とは言えない。この問題を真剣に考えないかぎり、沖縄問題も解決しない。
 
●一国平和主義からの脱却
 現憲法は、戦後アメリカによって押しつけられたものである。それは日本の弱体化を意図していた。「銃を持たないと自分を守れない」と考えるアメリカ人が、日本に対し未来永劫、非武装を奨励するとは考えられない。現憲法は、あくまでも時限的なものであった。日本は、戦後50年以上にわたり戦争をせず、経済大国として復興したのであるから、日本が取るべき道を国民全体で議論し、改正をおこなうべきだろう。これは国民全体の問題である。曖昧にしていてはいけない。

 日本で憲法改正というとすぐ軍国主義復活となるが、第二次大戦で敗戦国となったイタリアは9回、ドイツは46回、改正を行っている(1999-4現在)。また両国とも徴兵制(10ヵ月間)がある。

●歴史の見直し
 これまでの歴史は、西洋を中心に書かれていたが、徐々に見直されてきている。例えばかつて「コロンブスの新大陸発見」と記述されていたが、「コロンブスのアメリカ大陸到着」となっている。また、第二次大戦後の日本は、自虐史観が優勢だった。日本はアジアで唯一欧米と競合できる経済大国となったのであるから、日本人として誇りのもてる歴史教育をすべきではないか。


(1999)

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