現象学について


 今でも現象学は人気があるのだろうか。書店をのぞくと、現在でも現象学の入門書が出版されていたりしていて驚かされる。

 ボクも若い頃、「現象学」に興味をったが、とても難解だった。元々はサルトルやハイデガーの実存主義に興味をもったのだが、なかなか難しかった。解説書によると「実存主義は現象学を方法としている」と書かれていて、今度は現象学の本を買い込んだ。しかし、これは実存主義とは比較にならないくらい難解だった。今でも「現象学」ってどういう哲学だったのか、ということはずっと頭の片隅にあるが、難しすぎて現象学関係の本を開く気にはならない。

 「現象学」は難解だが、フッサールに「デカルト的省察」という著書があり、人間の「主体性な認識」を基礎づける哲学だという気がする。そして、現象学を方法とした実践理論が「実存主義」であったと思う。ボクにはサルトルの「実存主義とは何か」は、とてもわかりやすかった。サルトルが出発点とした「デカルトのコギト」の記述は、感動的だった。

 しかし、マルクス主義を客観主義として批判していたサルトルが、マルクス主義の方へ向かったのは皮肉だ。ハイデガーも20世紀最大の哲学者と言われながら、ナチズムとの関係が問題となった。哲学者といえども、結局は時代の政治状況に左右されるということだろうか。

 政治や宗教との関係でいえば、特にユダヤ系の学者に注目すべきだ。マルクス、レヴィ-ストロース、フッサール、フロイト、デリダなど、ユダヤ系学者が独創的な学説を発表しているが、世界を支配しているキリスト教文化への根深い反発・抵抗があるのではないか。

 西洋思想を批判するという点では、仏教思想が一番適していると思うが、どうなんだろう。実存主義・現象学・精神分析・構造主義は仏教思想と類似している点があると思うが、それならば仏教思想から、そのような現代思想がなぜ生まれないのか。生まれないのは「哲学する力」が伝統的に足りないのだろうか。


(2004)

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