日本仏教各派の印象


 ボクの独断と偏見でまとめてみたい。

●天台宗(最澄 767ー822)
 最澄は、国家権力と結びついた奈良仏教を批判し、万人成仏を説いた。ベースとなったのは、法華経。当時は、教典の中で法華経が最高の教えとされていたようだが、現在からみると、ひとつの教典に過ぎない。最澄は空海と共に中国に留学している。
 瀬戸内寂聴さんが、東北のお寺で頑張っている。天台宗だけが、出家を受け入れてくれたらしい。「寂聴、仏教塾」(集英社)によると、各宗派にお願いしたが断られ、今東光さん(作家、天台宗の僧侶、故人)の仲介で、天台宗で出家をしたとのこと。

●真言宗(空海 774ー835)
 空海は中国に留学し、日本に真言密教を伝えた。空海の生涯をたどると、その超人的パワーに圧倒される。
 密教は、仏教の歴史でいえば最終的な形であり、いわば仏教のデパートのようなものだった。仏教史をあつかう本の中には「密教は、呪術を取り入れた堕落した仏教だ」とかかれているものがあり、ボクも若い頃はそう思ってきた。真言宗が嫌いだった。

 しかし、その後、時代もボク自身も大きく変わった。硬直したイデオロギーの時代から、柔軟な感性の時代になった。物事を頭の中だけで理解せず、その本質を感性豊かに表現していく。空海はすでにそのことを実践していたのです。「呪術」に抵抗はあるが、そういう空海の思いを大切にしたい、という気がする。

 昔、向田邦子原作で四国巡礼をテーマにした「同行二人」というテレビドラマがあった。おもしろかったので、原作を読もうとしたが、本としては出版されてないようだった。

●浄土宗(法然 1133ー1212) 浄土真宗(親鸞 1173ー1262)
 末法思想をバックに、「南無阿弥陀仏」と唱えれば(念仏)誰でも成仏できるという教えが広がった。阿弥陀仏への信仰はキリスト教に非常に似ており、「これは仏教ではない」という批判がある。しかし平易な教えのため、宗派としては最大の信徒数を誇っている。

 親鸞の人生で不可解なのは、さまざまな異解(異端、異なった解釈)が発生していることだ。その中で息子を義絶している。あまりにも平易な教えのため、各人が自由に解釈できたのではないか。当時「悪人でも救われる」ということで、進んで悪行をする人もいたようだ。それで唯円は「歎異抄」を書いたのでは。

 結局のところ「親鸞は法然の一弟子」だったということだろう。確かに民衆に「救い」を説いたのだろうが、法然の信仰を忠実に実行したということだと思う。ただ、「絶対他力」を強調するあまり、菩提心(悟りを求める心)を否定することになった、と何かの本にあった。
 倉田百三の「出家とその弟子」は、文学作品として感動した。

●臨済宗(栄西 1141ー1215) 曹洞宗(道元 1200ー1253)
 禅宗系の宗派は、日本の宗派の中ではブッダの教えに最も近いと思う。 
 仏教にはさまざまな宗派の教義があるが、例えば「浄土があるか、ないか」「念仏を何回唱えたらいいのか」こういうことは議論しても決められない。形而上学的問題は不毛の議論になってしまう。こういう口先だけの教えを批判し「大事なのは修業だ」と説いたのは道元だった。まず、あんたの足下をしっかり見つめなさい、というのがシャカの立場であり、禅宗の立場であると思う。そういう意味で、仏教の原点のような気がする。

 ただ、自分の参禅(臨済宗)体験からいうと、体育会系の雰囲気になじめなかった。禅宗から少林寺拳法が生まれたようだが、その肉体主義が精神の否定につながっていかないか。頭の中を「空」にしてリフレッシュするのはいいが、「からっぽ」にしたんではロボットになってしまう。

 道元は、肉体的修業を重視する一方、「正法眼蔵」という難解な本を書いている。もし道元の人生がもう一度あれば、今度はもっと大衆向けのやさしい宗派をつくったのではないか。
 井上ひさしの「道元の冒険」はおもしろかった。

●日蓮宗(日蓮 1222ー1282)
 日蓮は、浄土宗の念仏に対し、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えれば成仏できると説いた。法華経を絶対的真理とし、他宗を徹底的に批判し、法華経で国家を統一しようとした。
 非常に排他的で狂信的性格をもっており、仏教にふさわしくない宗派だとも言われる。しかし反面、その政治的・革命的パワーに魅了されるのか、仏教系の新興宗教には日蓮系が多い。

 宮沢賢治も法華経を信仰していた。石原東京都知事も毎日法華経を読んでいるらしい。石原知事の発言はいつもおもしろいが、法華経のパワーだろうか。


(おまけ)

●キリスト教
 ユダヤ教を母胎にして生まれた世界最大の宗教。もともと律法宗教(ユダヤ教)だったものが、ギリシャ哲学(ヘレニズム)によって理論化され、救済宗教に生まれ変わった。その歴史を通じて、現在の政教分離や民主政治の原型を生み出した。とはいえ、特にプロテスタントは聖書至上主義(聖書が絶対正しい)を頑固に守っているため、排他的・独善的になりやすい。

 ボクはある時期、プロテスタント教会にかよっていたが、それはまさにカルチャーショックだった。教義は別にして、そこには「生きている宗教」があった。いろんな宗教の形があるだろうが、ボクにとっては「宗教の原点」といってもいいかも知れない。仏教側も、少しはみならったらどうだろう。
 内村鑑三の「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」はおもしろかった。

●イスラム教
 ユダヤ教やキリスト教を母胎にして生まれた世界第2の宗教。教義はキリスト教よりすっきりしている。偶像崇拝の否定も徹底している。
 でも、はたしてイスラム教徒は、しあわせなのだろうか。厳格な一神教が、人々の思考力を奪い、絶対服従を強要する独裁国家をつくっているとすれば、悲惨だ

 3年ほど前、「味の素」事件があった。味の素に豚の一部が原料として入っているということで問題になった。そこまでしないといけないのだろうか。

●ユダヤ教
 キリスト教のウラには、ユダヤ人の迫害の歴史がある。ユダヤ人からみれば、キリスト教こそ滅ぶべき宗教なのかも知れない。
 キリスト教が生まれた頃から、互いに抗争があったと思うが、キリスト教がローマの国教となってから、本格的な差別・迫害が始まった。自分達の宗教を信じているだけなのに、大変な運命を背負うことになってしまった。「愛」を説くキリスト教がが、ユダヤ人という弱小民族を徹底的に迫害するというのは、許せない。しかし、ユダヤ人のもっていた資産はどうなったのか。

●ジャイナ教
 悟りをうるには「厳しい苦行が必要」という教えは、仏教よりも分かりやすい。しかし逆に、苦行を強調したため、インド以外には広がらなかった。


(2004)

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