あの頃読んだ小説



 2009年が太宰治の生誕百年に当たるということで、「読みたい作品」のランキングが新聞に掲載されていた。太宰の作品の中では「人間失格」を読んだことがある。

 二十代は悩み事が多く、何か突破口が見つかるのではと期待しながら読み始めた。「恥の多い生涯を送って来ました」という告白からはじまり、廃人に至る男の半生が描かれている。いろいろな話が盛り込まれており、小説としては確かに面白いのだが、「世間」の不合理が漠然と書かれているだけで、何に「反抗」しているのかよくわからない。太宰自身、非合法活動の挫折があったというが、共産主義や宗教について断片的にしか書かれてなく、物足りなかった。タイトルは「人間失格」だが、根強い太宰ファンがいることを考えると、作家としては立派な「合格」だといえる。

 ドストエフスキー「罪と罰」は大変長く、読むのに難儀したが期待外れだった。「カラマーゾフの兄弟」を読んだ方がよかったか。芥川龍之介「歯車」、夏目漱石「こころ」、ジード「背徳者」も読んだが、特に印象は残っていない。
 クリスチャンと接触をもつようになって読んだのが、内村鑑三の「余はいかにして基督信徒となりしか」。クリスチャンになった動機や信仰者としての苦悩が描かれていて、大変感動的だった。

 禅に関心をもった頃読んだのが、井上ひさし「道元の冒険」。あとがきで、道元との出会いを回顧しているが、実生活を重視するという点で、カトリックの修道士と共通点があると書いていたことを記憶している。
 一番感動したのが、倉田百三の「出家とその弟子」。親鸞の生涯を戯曲として描いているのだが、人間の精神に対する洞察力に圧倒された。「作り話」のようなぎこちなさも感じるが、作品全体を包む著者の精神性の深さに胸を打たれる。

 四十代に読了したのが、司馬遼太郎の「空海の風景」。幕末や明治の人物を好んで取り上げてきた著者が、空海という密教的人物を書いたのは意外だった。坂本竜馬のような自由闊達な精神を空海の中にも見いだしていたのだろうか。仏教が形骸化した現在、本書は仏教を考え直すいい機会になるだろう。

(2010-4)



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