迷える者の禅修行……ネルケ無方



 新聞の書評でネルケ無方氏の著書『迷える者の禅修行−ドイツ人住職が見た日本仏教』が紹介され、興味をもっていたが、NHKの「こころの時代」でネルケ無方氏のことが紹介されていた。その番組も面白かったので、さっそく著書を読んでみた。

 彼はドイツ人で、ドイツの高校時代(16歳)に「禅」に出会ったのがきっかけだった。彼の母親は7歳のときに病死し、愛情不足からか生きる気力をなくしていた。元カトリックの先生から勧誘を受け、渋々始めた「座禅」だったが、座禅が生きることへの疑問に答えてくれそうな気がして、次第に「禅」にはまっていった。

 大学時代には日本でホームステイをした。クリスチャンの家庭だったようだが、ご主人がベートーベンの音楽をかけ「これが本当の音楽だ」といったが、本人は尺八の音色を聞きたかったという。
 日本の大学に留学し、その後各地で修行し、大阪城公園でホームレスをしながら禅の普及に精進していたが、かつての修行先の「安泰寺」(兵庫県北部の曹洞宗の寺)の住職が事故死したため、現在は「安泰寺」の住職となり禅の指導にあたっている。

 ネルケ無方氏の生涯を顧みて思うのは、生い立ちが「ブッダ」と似ている点である。ブッダの母親は産後7日目に亡くなり、その影響からか、ブッダ自身物事を深く考えるようになったというが、彼も同様であった。ブッダの場合、母親が亡くなったとはいえ、王子として何不自由のない贅沢三昧の生活をしていたはずで、出家の動機がなかなか理解できなかったが、彼の生きざまを見て、ブッダの心理もようやく理解できたように思う。ブッダ本人にとっては、「生きるか、死ぬか」の切実な問題だったのだろう。

 彼の母方の祖父がキリスト教の牧師であったらしいが、キリスト教には向かわなかった。彼によれば、キリスト教は「隣人への愛」を説くが、究極の「存在」そのものを説いてはいないという。彼にとっては、その答えが「禅」の中にあった。

 日本仏教への批判も厳しい。期待して日本に来たが、多くの日本人が仏教に関心がないのに愕然としたらしい。欧米では仏教や禅に関心をもつ人が増えているが、それに反して日本では仏教の教え自体が忘れ去られ、葬儀ビジネスと化しているという。その現状を打開するため、彼は日本での布教を続けているという。
 ブッダの原点、仏教の原点がここにあるように思う。

(2011-12)



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