寛容な世界は可能か? 



 今年は、IS(過激派組織イスラム国)関連のテロが世界中で起きた。内戦が続くシリアや北アフリカなどからの難民が欧州に流入し、各国の対応が分かれた。来年はどうなるのだろうか。考えるだけでも恐ろしい。世界はこのまま暗黒の時代に突入していくのだろうか。

 キリスト教とイスラム教は元をたどれば、ユダヤ教を母体として生まれたのだから、互いに理解できるはずではないか。同じ「神」を信じているのではないか。これが「一神教」の限界だろうか。自分の信じる「神」が唯一絶対ならば、他の神は悪魔と化す。悪魔を殲滅するしかない。「他の宗教」を理解するという発想は出てこない。

 特にプロテスタントはカトリックから信教の自由を勝ち取ったのに、その歴史的経緯を忘れ、「神の言葉」を盲信する傾向が強い。コーランを燃やすなど、とんでもないことを平気でやっている。これに油を注いでいるのがユダヤ陣営で、世界中の通信網を使ってイスラム教の悪口を宣伝し挑発している。世界有数の頭脳をもっているのなら、なぜ共存共栄を構築しようとしないのか。

 現代文明が、キリスト教によって生み出されたとするなら、キリスト教がもっと寛容にならない限り、事態は治まらないだろう。今こそ、ローマの「寛容(クレメンティア)」を見直すべきではないか。このままでは、地球が滅んでしまう。

 また、宗教が政治経済と密接に関係しているのであれば、イスラム教のような宗教が社会に及ぼす影響を考慮する必要があるのではないか。「アラブの春」が起こっても、それを支持する中産階級が形成されてないと、近代化も民主化もできない。神への絶対的服従が社会の発展を遅らせるのであれば、なんらかの改革が必要なのではないか。このままでは格差が開くばかりだ。

(2015-12)



TBS 古代ローマ1000年史(2008.1.3)
 とても見応えのある番組だった。後半の2時間しか見れなかったが、「キリスト教」に触れた部分が興味深かった。
 ローマは、カエサル(シーザー)以来「寛容」をモットーとしてきた。「クレメンティア」といい、貨幣にまで刻み込まれている。それは他人の考えを認めることであり、他民族の文化を認め、融合することである。したがって宗教的には、多神教であった。

 ところが、ローマが弱体化する過程で、キリスト教を政治的に利用し「皇帝の権威は神から与えられたもの」とした。やがて、キリスト教は国教となり、「寛容」の精神は失われて行った。ローマの歴史は、人間社会に多くの教訓をのこしている。
(2008-1)



寛容な世界は可能ですか……塩野七生さんに聞く

渡辺 お書きになった「ローマ人の物語」を全巻読みました。なかでも興味深かったのが、ローマを「寛容(クレメンティア)の帝国」と述べられたことです。今日は寛容をキーワードにお話を……。
塩野 2千年も前に、ギリシャのプルタルコスという歴史家が、ローマ興隆の要因は敗者を仲間に迎えていったからだと述べているんです、その後、だれも注目しなかったけど。

渡辺 そこにぐっと光を当てられたわけですね。
塩野 なぜ、ローマ帝国は寛容だったと思います? それは、多神教だったからです。キリスト教やイスラム教は一神教。でも、ローマにはたくさんの神がいました。
渡辺 ローマは征服した地域の神々も受け入れた。

塩野 そう。だから神様の数が増えていったわけ。多神教が一神教と違うのは、神様の数だけじゃない。自分とは異なる神を信じている人が隣にいて、そのことを認めるのが多神教の社会です。しかも互いに冒涜するような行為はしない。
渡辺 ローマ帝国の寛容さには、かなり驚かされます。

塩野 やっぱり、「サイは投げられた」で有名なカエサルの存在が大きかった。彼がローマの寛容さを拡大させた。征服した土地の部族長や属州から募った兵士にローマの市民権を与えたし、部族の拠点はそのまま残したのです。
渡辺 現代の多くの人が抱く帝国のイメージとはずいぶん違いますね。

塩野 帝国というと、みなさん、大英帝国と思っているようですが、全然違う。大英帝国がローマだったとしましょう。するとガンジーやネールを国会議員に招き、首相に選んでいたかもしれない。そんなこと、考えられますか.
渡辺 なるほど。では、現在の「帝国」、アメリカ合衆国はどうでしょうか。

塩野 他人の存在を認めるのが「帝国」。端的にいえば、アメリカは帝国たりえていない。帝国をやっていくには、覚悟が必要です。覇権下にある国々が危ないときは、出て行って、身を張って守る。アメリカにそれだけの覚悟と度胸がありますか。そんな度胸もない人たちが、絶対的な軍事力を背景に帝国みたいな力を持ってしまったことが、現代の我々の悲劇です。

(朝日新聞 2008-6-2)



目次   


inserted by FC2 system