カルタゴの教訓



 カルタゴは紀元前9世紀から同2世紀にかけ、北アフリカで栄えた商業都市国家だった。ところが、紀元前146年姿を消す。自然の脅威によってではなく、ローマ帝国による徹底した破壊によってであった。20万人と推定された市民のほとんどは抗戦して死亡、または虐殺され、残り少ない生存者は奴隷として売り払われた。ひとつの国家、文明が完全に抹殺されたのである。

 フェニキア人から航海術と商才を引き継いだカルタゴは、かつて強大な艦隊を持ち、地中海の覇権を握り、ローマをしのぐ勢力を築いた時代もあった。だが、通商立国として、安全保証を傭兵に頼ったことが、やがて裏目に出る。ローマと和戦を繰り返したあと、前202年のザマの会戦で、スキピオの率いたローマ軍団に決定的な敗北を喫した。

カルタゴは和約の条件として、交戦権を放棄、武装を解除、10隻を除いてすべての軍艦を引き渡し、新たな建造も停止、巨額の賠償金をローマに払い続けた。ところが、敗戦国カルタゴは、その後経済的に復興し、貿易を通じて一層繁栄する。

 ローマの元老院から訪れた視察団は、戦争で傷ついた自国と比べて、カルタゴの繁栄を次第に許せないと思うようになったという。カルタゴの抹殺は、そうした情念の産物と言えなくない。(中略)
 カルタゴの教訓をどう生かすかは、日本民族の大きな課題である。

(毎日新聞 1986-1-6)


目次へ

トップへ

inserted by FC2 system