ハイデガー問題



 思想界では、1987年に火を噴いた「ハイデガー問題」が依然として激しく燃え続けている。

 ハイデガーは、27年の「存在と時間」によって20世紀哲学の方向を一変するような強い衝撃を与え、第二次大戦後も実存主義や構造主義の運動にそのつど深く広い影響を及ぼした今世紀最大の哲学者であるが、33年、ナチス政権成立の年の4月にフライブルク大学総長に就任し、同時にナチスに入党してヒトラーに協力するという汚点をその経歴に残している。

 これについてハイデガーは戦後機会あるごとに、これが当時の情勢からやむをえずとった不本意な行動であったこと、一年に満たぬ34年2月にはナチスの政策に幻滅して辞任し、以後はむしろナチスの監視下に置かれていたことなどを述べて釈明していた。

 これに対して、すでにドイツではシュネーベルガーらが当時のハイデガーの言動を洗い出して、そのナチスへの関与が消極的協力などではなかったことを明かにしていたが、87年にチリ出身のファリアスが「ハイデガーとナチズム」という本をフランスで出版し、ハイデガーが若いころから反ユダヤ主義サークルに関係していたこと、総長辞任もナチス内部の権力闘争に敗れたためであったこと、その後もナチスの大学政策にある程度まで関与したことなどを暴露した。

(知恵蔵 1990)


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