歴史の逆説から現代を見る 渡部昇一(上智大学教授)
パラドックスとは何か
日本をどう理解するかということは、難しい問題ですけれど、私は日本にかかわらず世界の長く続いた組織を見ますと、パラドックス(逆説)によってしか説明できないものが多いと思うんです。
パラドックスっていうのは、普通の通念からいうと話が逆になるんだけれど、よく考えればまことにその通りである、というものです。
例えば一休禅師が、京都のお金持から、新築したのでめでたい歌を書いてくれと言われた時に、
「親元んで子死んで孫死に、ひ孫死に、葬式千口、あら日出たや」と作った。
これは、非常に不吉な感じなんです。しかし一休さんは説明して、それはその順番に死んでいって、永久に家が続くという意味だと言ったんです。途中で若い方が先に死んじゃって、家から葬式が出せないということは、家が絶えるということじゃないか、と言われた。
言われれば、その通りなんですが、「葬式千口がめでたい」と言われると、ちょっとおかしいじゃないかと思う。こういうのが逆説なんです。そういうのが、長く続いた組織ではよくあるんですね。
西洋で見れば、イギリスの王朝は西ヨーロッパでは、一番安定した王朝ですけれども、これを見ますと実に逆説的です。アングロサクソン人の王朝なんか、ここ何百年かない。外国人の王朝ばかりですよ。
しかし、そのイギリス人系でないような王室が一番占くて、一番栄えているということ、またその王様の権力を抑えるような組織を一番発達させた、民主主義を発達させたその国の王政が一番安定してて、絶対王政なんていうところはつぶれていると、いうようなことで、イギリスにも逆説が働いていますね。
ローマ・カトリック教会なども、宗教改革(16世紀)の荒波を受けたり、19世紀の自然科学万能の時に、「ルールドの奇跡」をやったり、「聖母マリヤの無原罪の宿り」などの教義を発表したりしました。バカじゃなかろうかと、当時の人に思われたような通念と逆の事、自殺的だと思われるようなことをしたけれども、それがかえって強さになっている。
逆説が連続する日本史
同じように、長く続いた組織というのは、必ず逆説的な事が起こるから長く続くので、もしもそれが起こらない組織なら、みな消えるんです。その点で見ますと、日本の歴史は逆説の連続なんです。だいたい日本の天皇は神道の一番中心であるべき方です。
それが用明天皇(?〜587年、聖徳太子の父)の前後、仏教に帰依なさるということがあった。これはまあ、国体(国のあり方)の変化を意味する重大なことでです。当時、実際そう思った人はたくさんいたわけで、大伴、中臣などの人たちのなかには、「皇室がなんで外国の神を敬い給うのか」と言って反乱を起こして負けた人たちもいるわけです。
しかしその後、日本ではどうなったかといいますと、逆説がちゃんと起こりましてね。神道に仏教を含むような、両立という事が起きたわけです。普通、宗教が両立するということは、おかしなことなんですよ。しかし両立したからこそ、日本では仏教も続いてきた。今、本当の大乗仏教国というのは日本だけでしょう?
また、純粋に太古からの宗教をとどめているのも文明国では日本だけですよ。例えば、伊勢神宮の祭りなどは、古い古い宗教の形がほとんどそっくり残っているわけで、これらは他の文明国では消えているわけです。大乗仏教も日本にしか残らない。その国がまさに神仏混淆の両部神道みたいなのができた国なんです。
それは逆説ですね。もしも神道しかなければ日本の文化も、非常に純粋だったかもしれないけれども、まあ、淋しいよね。また大乗仏教だけだったら、国がもたないだろうということは、他の国を見ても分かる。もってる国がありませんから。
振り返ってみると、国がひっくり返るように見えたことが、実は良かったんだということなんですね。それから、源頼朝の作った鎌倉幕府、それから北条泰時の時の承久の乱(1221年)などによって、皇室は完全に力がなくなって、3人もの上皇は流され、親王の中から誰が次の天皇になるかの指名も、幕府が握るという時代もあった訳ですよ。
これも昔からの考え方によれば、ほとんど日本がぶっ壊れたような大騒ぎだった。そういう嘆きを述べている当時の人もいるわけです。しかし考えてみると、もしも当時、武家が政権を握らなかったならどうだったかというと、大変ですよこれは。
まもなく、元が来るんですから。元寇、蒙古襲来の時に、平安朝の延長みたいな政権があったら、護摩たいてお祈りすることしか知らないんですから。敵を追い払うすべを知らない。オカルトは信じている人にしか効きませんから、外国なんかに効きませんよ。これは後から考えるとやはり、幕府が必要だったのです。
同じように、明治維新なんかもそうですね。これは復古運動だったわけで、徳川幕府をやめて、数百年さかのぼった形にした。ところが実質は、ものすごい革新運動だった。復古運動がなければね、革新運動は成功しないと、ぼくは思う。
少なくとも、コロンブスのアメリカ発見以来、500年間に真の近代化に成功した有色人種の国はまだ日本だけです。まあ、三分の二か、9割くらい成功した台湾、韓国といえども、これは旧日本の遺産を引き継いだからこそであってね。
例えば、イランのパーレビ王というのは、非常に近代化に熱心だった。オイルのカネなんか使ったんだけれども、明治維新とは逆に「革新のための革新」だったから、イスラム原理.みたいなのに足をとられて、逆革命になって、一挙に何百年戻った格好になっちゃったですね。
ところが明治維新を見ますとね、元に戻れというホメイニみたいな人が、パーレビの政策をやったみたいなものだから、もったんですね。危ういところで、もつわけです。
だから、一番復古運動の中心である明治天皇が、公式の時には西洋の洋服を着られるというので、ものすごい保守主義者も、洋服を着るということができるんですよ。天皇が着られるから着ることができる。また公式の晩餐会で肉を食べる、それまで日本人は家畜の牛なんか食いませんから。それが皇室の中心である人が食べられるとなると、食べる口実ができる、ともいえるんです。こうしたことができたからこそ明治維新なんですよ。
憲法と戦争のパラドックス
このように考えると、日本の、歴史はすべて逆説でできているんです。ですから、この前の戦争なんかも、日本は敗戦した。なぜ負けたかというと。これは、初めて有色人種が作った、日本人がいくら誇りに思っても、誇りに思いすぎないほどの、画期的な近代的憲法である明治憲法の欠陥のためなんです。
しかしそれは、作った伊藤博文らが自分たちの青年時代に一番苦労したこと、つまり幕府が再びできないように配慮をした。彼らの青年時代は幕府が大敵で、それを倒すために、同志が数えきれなく死んでいますからね。それから、西郷隆盛の西南の役で、政府がひっくり返るような騒ぎになったものですから、そういうことが二度と起こらないようにしようという考えから、明治憲法の中に、首相も内閣制度もいれなかった。
現実には内閣制度はあったけれど、憲法の条文のなかに入れなかった。ところが軍のほうだけは、、西郷隆盛の例もあって、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と憲法に明記したんです。そして、憲法を作った人たちが生きている問は、内閣が国政を運用してきたわけです。
日清、日露、第一次大戦、全部内閣が開戦を決定し、内閣がやめようといえばやめて、それからワシントン会議、ロンドン会議で海軍も削減する、陸軍も四個師団削減というようなことを内閣ができたんです。
ところが昭和5年くらいになりまして、憲法上の欠点に気づかれて、憲法上内閣は軍に口を出せないんだと、そう指摘された途端に、日本はマヒ状態をおこしまして、結局、戦争に突入したわけです。
もし日本が戦争に突入しなかったらどうであったか。今だから相当の確率を持って考えることができる。日本はおそらく昭和15、6年頃の国土を持ったまま、生きのびたと思いますよ。
そうしたらどうなったか。といいますと、世界の植民地は大部分そのまま残り、そして世界の大部分はアパルトヘイト(南アフリカ共和国の人種隔離政策)をさらに厳しくした状態だったろう、という推察が十分できます。だから逆説なんですね。
明治憲法の重大なる欠陥を、悪用した人たちによって、政府が軍をどうにもコントロールできなくなったという悲劇によって、第二次大戦に日本が突入した。そのためにどういう事が起こったかというと、連合国の言い方によれば、日本は侵略国になった。
しかし、これも今振り返ってみると逆説が起こっているので、そのために世界中に独立国ができたわけです。第一次大戦直後に日本が国際連盟に入ったときに、加入した国は45ヵ国であった。それが今国連に加盟している国が、159ヵ国ぐらいある。その差の100ヵ国ぐらいが、独立したのは、これ全部戦後です。そんなにたくさんの国が、どこから生じたかといえば、これはいわゆる日本の侵略戦争から起こったわけです。
日本は負けて全部引き揚げましたけどね。ビルマとフィリピンは日本が占領中に独立した国です。ビルマが独立しているのに、インドやその他の国が独立しないわけがない。しかし、イギリスやオランダやフランスは、戦後再びこれらの地域を殖民地にしようとしました。
イギリスはマレーとか、シンガポールを奪回しようとして長い戦争をやりました。オランダもインドネシアを再び植民地にしようとします。フランスもインドネシア三国のベトナム、カンボジア、ラオスを再び植民地にしようとして、戦争するわけです。しかし成功しなかった。
なぜかというと、コロンブス以来何百年間、白人は有色人種のマスターである。マスターに手向かいする奴は、徹底的に消してしまったから、有色人種はマスターには手が出なくなってきた。ガンジーの非服従運動、非暴力は、暴力使うと皆消されたからです。それは何百年もそうだった。
だから有色人種は、白人に対してかなわないもの、反抗できないものと思っていた。ところが日本軍によって、このマスターたちが簡単に捕虜になり、日本の土木工事に使われたんです。あたかも奴隷の如く日本人にアゴで使われている状況を見たんです。
有色人種に、一度その姿を見られたら、内び植民地にはできない。それでアジアは全部独立しますね。アフリカもそれに従います。そうすると、国連にいろんな色の顔をした国の代表がでますね。旧植民地出身のウタントというビルマの人が国連費務総.長になったりします。
アメリカに国連本部がありますから、それがアメリカのテレビで映ります。それをアメリカの黒人が見ると、どうして外国の有色人種は白人の中で活動できて、議長になれたり、いろんな委員会で活躍できるのに、国内の黒人はできないのかと騒ぎます。そしてベトナム戦争のゴタゴタをきっかけに、市民権運動として成功します。
歴史は真っすぐつながっているんですよ。しかし、日本が非常にいい子であったらね。こんな状況にはなりませんね。パラドックスというものは、そういうものなんです。50年ほどたって、振り返らないと意味が分からないことなんです。だからその事がいいとか、悪いとか私は..言わないんです。
戦後、日本は非常に成功しました。これは、現実としては新憲法の下なんです。新憲法はアメリカ人が作った憲法です。翻訳にもとづいていることは間違いありません。だからそのことを知っている人が見れば、まことに悔しいことで、明治の頃に自分たちで憲法できたのに、戦後は自分たちで憲法できなかった。残念です。
ところがよく見ますと、新憲法は前述の明治憲法の欠陥を補っているところもある。明治憲法にはなかった内閣制度もちゃんと書いてありますしね。十回くらい内閣総理大臣という言葉がでてくる。これは明治憲法には一度も出てきません。
その新憲法の下に、日本は空前の成功をおさめました。産業国家としても世界最強だし、金融大国になったし、想像もできない大国になりました。治安はいいしですね。これが外国人が作った憲法、単純に言えば恥かしい憲法の下だということがパラドックスなんです。
アメリカとの摩擦も逆説でみると
それで、日本の国は今後も、一見よさそうなのが危険であり、一見危なそうなのが良いんだという、極めて複雑な発想法を持たないといけないと思うんです。これからの日本人は、日本人のエゴに対して非常に不愉快なことがあったら、それが長い目ではむしろ良いんだ、というくらいの発想ができるといいんだと思うんです。
例えばアメリカがなんか、ツベコベ言いますね。すごい内政干渉です。しかしこれも考えてみますと、案外いいことかもしれない。
日本の国民から見ますと、日本の官僚が日本を支配するよりも、かえって外国からね、そのアレコレ言われてやった方がね、むしろ筋の通った道が出てくるのかも知れません。
私は今の日本が、かなり成熟したと思って安心しているんです。アメリカはこれだけカッカいろいろ言ってきますと、戦前だったらもう宣戦布告してますよ。でも、アメリカの言い分はもっともだとか、アメリカこそ真の野党だという人もありますよね。日本の野党なんかね、あまりロクなこと言わないからね。アメリカが言ってくれるんだなんて言う人がいるくらいに、成熟していると思うんです。
例えば、奥さん連中は消費税3%反対だ。ところが牛肉の値段、海外の4倍だといわれます。300%の消費税払っているんですよ。300%の消費税には文句言わないで、3%に言うのはおかしい。それを指摘しているのがアメリカなんです。
アメリカが非常にカンにさわる時、「待てよ」って考えると、かえって良いということが多い。アメリカは自分のこと考えているだけなんですが、アメリカが一番日本のことを考えてくれているみたいに思えてくる。
だから私は今の日本は、よい状態である気がする。パラドックスの連続であることは日本人だけに良く見えるのであって、外国人にはそう見えないでしょう。だからこうしたパラドックスは外部に宣伝する必要はない。ただ日本人としてはそう歴史を見るべきだと思っています。
最後に、一休禅師のパラドックスをもう一つつけてみましょう。
「門松は冥途の旅の一里塚…」
門松たてて、おめでとうと言っているけれどね。一回立てるごとに確実に死に近づいているわけです。だからこちらの方が真理なんです。パラドックスとはそんなものなんです。
(理想世界 1990-2)