破壊と悲劇だけ残した日独の挑戦 義井 博


   
 第二次世界大戦はヒトラーの戦争を中心とするヨーロッパの問題、ならびに太平洋戦争をめぐる東アジアの問題という二つの異なった起こりをもっており、これら二つの起源が連動したところに第一次世界大戦とは違う複雑さがあったが、概していえば、そのうちヨーロッパ情勢、とくにヒトラーの意志が先導し、日本の行動はその制約を受けたとみてよい。

 日米関係の悪化を予測できたのに、日本があえて日独伊三国同盟を締結したのは、1939年9月のポーランド侵攻に始まり40年6月前後のフランス征服に至るドイツの電撃戦成功といった軍部状況の圧倒的な優勢さに日本が幻惑された結果の所産であり、また何よりも日本の太平洋戦争開戦の決定はその大前提として、モスクワ陥落が近いという誤断に基づく観測と、それによるドイツの最終的勝利を早合点した期待があったからである。41年の独ソ開戦と真珠湾攻撃により戦争は文字どおり世界大戦となった。

 日本の戦争終結の決定は直接的には原爆投下による惨害とソ連の対日参戦を契機とするものではあったが、その前提には信頼してきたドイツの敗戦が現実のものとなったという事実に直面したことによる。このように日本の悲劇はヒトラーの意志に翻拝(ほんろう)され、ドイツが無条件降伏に追い込まれるまで終戦できなかったことにあった。

 さらにいうならば、日本の悲劇はこのドイツ第三帝国が犯罪者集団に征服された国家であったという本質を見抜けなかったところにある。ヒトラーは戦争目的を東方大帝国の建設とユダヤ人の絶滅と、はやくから『わが闘争』などで豪語していたにもかかわらず、当時の日本の指導者は、それがいかに非人道的で残忍な手段を不可避とするものであるかを見抜いていなかったのである。

 ドイツと日本は19世紀以来構築されていた英語国民の世界秩序と西方民主主義の諸価値を否定し、これに変わるべき新秩序の樹立を主張したが、その実現に必要な実力も世界を納得させるに足る普遍的理念も欠如していたため、このドイツと日本の挑戦は恐るべき破壊と悲劇を残したのみで失敗した。

 第二次世界大戦後、半世紀を経た今日、ナチスの蛮行をはじめ、列国の犯した種々の戦争犯罪が白日の下にさらされている。最高の文明を誇った時代の20世紀に最高の野蛮が横行したという逆説的事実から21世紀に生きようとする人類はいかなる教訓を読み取るべきであろうか。

義井 博(よしい・ひろし/名古屋市立大学名誉教授)

(1994-8-17 琉球新報)



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