オウム真理教……科学技術駆使する政治集団



 オウム真理教は日々の修業にヨガを織り込んだ「仏教徒」を自認するが、宗教学上ではどのように位置付けられるのか。仏教や世界の密教に詳しい米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校のアラン・グラパルド教授(宗教学)に分析してもらった。

 麻原氏の主張には、伝統的な仏教やヨガの考え方と全く違うものを感じる。仏教は慈悲の心に裏打ちされ、ヨガは修業を通じ、世界はどうつくられ、どう終わっていくかを体の中に再現していく。それに比べ、麻原氏はもっと幻想的な発想をしているようだ。オウム真理教が、科学技術を駆使して新しい世界秩序や新しい政治と理想を求めているとすれば「世直し運動」という意味で「宗教」として成立するだろう。しかし、彼らのやっていることをあえて言えば「世崩し」に近い。

 世界の終わり、ハルマゲドンを予言する点では日本の浄土の教えにある末法思想に似ている。末法の場合「南無阿弥陀仏」を唱えて浄土に生まれ変わることを求めるが、末法ゆえに他力本願で、自分の力では何もできない。オウム真理教のように、自ら科学技術を駆使して「何かを行う」ということはしない。

 自然科学を社会のために有効に使うのでなく、兵器開発に用いるみすぼらしい思考形態は、急進的な右翼、ファシズム集団のもの。第二次大戦中ナチスが行ったユダヤ人虐殺やV2ロケットの実験につながる。この点で、オウム真理教は宗教集団というよりも、ある種の政治的集団と分類したほうが分かりやすいが、その場合も、政治目的が見えないという疑問は残る。

 カルト的な新興宗教と急進的政治集団に共通するのは、信者や構成員を外界から隔離する方法。特に電極付きヘッドギアをかぶった子供の姿を見ると、合理的な判断能力を持つ前に洗脳してしまえ、という意志をありありと感じるし、それは米国の新興宗教団体にも通じる点だ。

 宗教学的に最も興味があるのは信者の入信動機だ。新興宗教や政治団体は数多いが、人は何かを求めてそこに入っていく。それが何かが問題を解くカギになるだろう。

(琉球新報 1995-5)



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