アメリカとネイティブアメリカ……デニス・バンクス



 1492年、スペインの航海者たちが侵略を開始し、アメリカが形づくられると同時に、西半球の先住民は攻撃を加えられました。2,500万人いた北米先住民は、スペイン、フランス、英国により毎日のように殺戮(りく)され、19世紀最大の大量虐殺が「ウーンデッド・ニー」で行われました。その結果、北米先住民の数は25万人まで減少しました。

 この間、「インディアン移住計画法案」が作られ、2万5,000人のインディアンが東部よりオクラホマ州に強制移住されました。その結果、移住地に着くまでに1万6,000人のインディアンが亡くなりました。今この道は「涙の小道」と呼ばれています。1874年「先住民言語禁止法」が制定されました。アメリカインディアンにとっては、とても厳しい時代だったのです。(中略)

 20世紀の始めに我々インディアンに友好的な人間が権力を握ったおかげで大量殺戮が禁止されました。1924年には「インディアン市民法」が制定され、その10年後、ついに投票権を獲得したのです。そして「ハワードウィーラー法」が制定されたことにより、以前のようなインディアンに対する抑圧的な法律は廃止されました。その結果、宗教の自由をも保障されました。アメリカインディアンに初めて未来の安全が保障されたのです。

 ヨーロッパの白人侵略者が先住民に行った暴力的行為はめずらしくありません。世界中どこの土地でも先住民の住んでいる所では、侵略者によって暴力行為が行われてきたのです。オーストラリアのアボリジニー、ニュージーランドのマオリは英国により侵略され植民地になりました。サミ族は、スウェーデンとフィンランドに侵略され、アイヌ民族は日本人によって侵略されました。

 沖縄は、日本の軍隊とアメリカの軍隊に占拠され、アイルランドは英国に侵略されました。侵略者は侵略する時、必ず先住民の言語、歌、芸術など文化を強制的に歪(ゆが)め、破壊し、侵略者の都合のよい方向に変えていったのです。侵略者のやり方に抵抗すると必ず暴力、強姦、大量殺戮(りく)を先住民が屈状するまで行い続けたのです。

(アメリカ・インディアン・ムーブメント代表)

(琉球新報 1998-2-20)



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