義父の献体


 
 77才で義父が他界して半年になろうとしている。義父からは怒られたこともなく、褒められたこともない。何事にも深くかかわることをしない人であった。その義父が生前からの希望で「献体」をしたのである。

 息を引き取ると2時間後には義父の遺体は神戸大学の殺風景な霊安室に移された。20分ほどの手短な説明を聞き、書類にサインをして「それではお預かりします」という言葉を合図に、私たち家族は義父を残して大学を後にした。まだまだ仏教が根強い日本では風当たりも強く、変人扱いされたり、軽蔑さえも受け、周囲の人々の対応に疲れ果てた日々であった。また、通夜もない野辺の送りもない義父の死後に「これでいいのだろうか」と自問自答した日々でもあった。

 気丈な義母は先陣を切ることの「強さと難しさ」を強調しつつ、仏教の形式的な儀式に対し嫌悪感を持っている人であり、その義母もまた献体を希望しているのである。義父は人の死後のありかたに対し、私の生活に大きな波紋を残して逝ってしまった。

(琉球新報 投書欄 1998-2-28)



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