インド核実験を実施



 3月のインド総選挙でナショナリズムを標榜する人民党が勝利し、バジパイが新首相となった。バジパイは、インドがアジアの大国・世界の大国にならなければならないと国民の愛国心に訴えた。これはインドの急激な経済発展に裏付けられたものであった(国民の8割がヒンズー教)。就任早々バジパイは核実験を決断した。それは、5つの核保有国の核独占体制をつきくずすためであった。5月11日ポカランで核実験が行われた。

 核保有国はこれまで自分達の都合のいいように条約を制定し、核を独占してきた。CTBT(包括的核実験禁止条約)においても、インドは核実験の全面禁止を主張したが、受け入れられなかった。コンピュータを利用した実験は認めるという、核保有国に有利な条約となった。

 アメリカはさっそく1997年ネバダで臨界前核実験を行った。結局、5つの核保有国は、核兵器を廃棄する気は毛頭なく、核軍縮に真剣に取り組まなかった。むしろ、核の力を政治的に利用し、非核保有国に圧力をかけようとしているのであった。このような態度がインドを怒らせ、核実験を決行させたのであった。

 インドの核実験後、領土問題で敵対関係にあるパキスタンでは「インドを倒せ」という世論が沸騰した。シャリフ首相は、8ヶ国サミットのゆくえを見守ったが、インドへの経済制裁は示されなかった。フランスは3年前、国際的非難が高まる中、ムルロワ環礁で核実験を行っており、制裁を声高に叫べなかった。またインドはフランスの兵器市場でもあった。ロシアにとっては、インドは友好国であった。

 その後パキスタンの世論はますます激しさを増し、ついにシャリフ首相は核実験を決断した。サウジアラビアやクゥェートなどのイスラム国からの支援も取り付けた。実験直前にクリントン大統領から中止の要請があったが、首相は「私にも実験を止めることはできない」と答えるしかなかった。

 5月28日パキスタンはチャガイで核実験を実施した。実験後、首相は「日本も核を持っていたならば、広島・長崎の原爆はなかった」と語った。

(NHK-TV 1998-8)



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