コンコルド墜落



 パリ郊外で25日午後4時45分ごろ、シャルル・ドゴール空港をニューヨークに向けて離陸したエールフランスの超音速旅客機コンコルドが墜落し、ホテルに激突した。

 フランス内務省などによると、乗客乗員109人全員が死亡した。同機はチャーター機で、乗客100人のほぼ全員がドイツ人だった。パリの日本大使館は日本人乗客の有無について確認を急いでいる。エールフランスによると、コンコルドの墜落事故はこれが初めて。
 空港当局者によると、同機は離陸直後に左エンジン付近から出火し、体勢の立て直しができないまま、墜落した。

 今月24日には、英ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)が所有するコンコルド7機すべての尾翼に亀裂が見つかり、うち一機が運航を停止している。

 コンコルド事故のあったパリ空港近くに泊まっていた他の航空会社のパイロットが米CNNテレビに目撃談として語ったところによると、離陸直後に墜落機の左エンジンから煙が噴き出し、高度を上げられないまま、ホテルに墜落したという。
(琉球新報 2000-7-26)



コンコルド
 コンコルド(Concorde)は、イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機(SST: supersonic transport)である。
 イギリスのBACとフランスのシュド・アビアシオンなどが共同で開発した超音速旅客機。初飛行は1969年3月1日。原型機4機を含め、20機が製造された。
 高度5万5,000〜6万フィートという通常の旅客機の2倍もの高高度を、マッハ2.0で飛行した。北半球・南半球ともに定期国際運航路線をもっていた唯一の超音速民間旅客機でもあった。

 開発当時は世界中から発注があったものの、ソニックブームなどの環境問題、開発の遅滞やそれに伴う価格の高騰、また大量輸送と低コスト化の流れを受けてその多くがキャンセルとなった[1]。最終的にはエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみによる就航に止まる。

 2000年7月25日に発生した墜落事故、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロによって、低迷していた航空需要下での収益性改善が望めなくなった事で、2003年5月にエールフランス、同年10月24日にブリティッシュ・エアウェイズが営業飛行を終了、2003年11月26日のヒースロー空港着陸をもって全機が退役した。
 超音速飛行を追求した美しいデザインや(ほぼ)唯一の超音速旅客機であったこともあり、現在でも根強い人気を持つ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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