大菩提寺奪還運動と佐々井秀嶺師


 ゴータマ・ブッダが悟りを開いたとされる北インド・ブッダガヤに紀元前3世紀、アショカ王が塔などを建てたのが大菩提寺の始まりとされる。1891年、スリランカ僧ダルマパーラが訪れ、破壊された仏像が横たわるヒンズー教団管理下の荒廃に驚き、復興運動を始める。

 独立後の1949年、インド政府はブッダガヤ寺院法を制定。仏教徒4人とヒンズー教徒4人の管理委員を選び、議長にヒンズー教徒の地区行政長官を任命した。実権をもつ委員兼事務局長に仏教僧がなった現在も、このヒンズー教支配の形式は生きている。


 寺の管理委員会事務局長プラジナシール(33)は語る。

「インド中の仏教徒が何度もここに集まったのです。私たちは大菩提寺をヒンズー教徒の手から取り戻すためには、死んでもいいと決意していた。
 わが師ササイジーがいなかったら、インド仏教徒の現在の自己解放の運動も、大菩提寺奪還闘争も、そして今日の私もなかった」

 ササイジー(さま)とは、佐々井秀嶺師(65)。岡山県新見市出身の日本人僧だ。中部インド・ナグプールに在住して30年。四輪駆動車で全インドを巡り、カースト制度の差別に呻吟(しんぎん)する下層民衆の仏教改宗運動を指導してきた。その彼が大菩提寺管理運営権の奪還活動を開始したのは1992年。

「どの国でもヒンズー寺院はヒンズー教徒、モスクはイスラム教徒、教会はキリスト教徒が管理している。しかしインドでは大部分の仏教寺院がヒンズー教徒に管理されてきたのです。ここも例外ではなかった。」

 世界中から大菩提寺を訪れる巡礼の献金は土地のヒンズー教団に私物化され、祭礼ごとに境内には犠牲のヤギの血が流されるという状況だった。周辺に建つ日本、タイ、チベットなど外国仏教寺の僧侶も見て見ないふりをしてきた。

「インドの仏教はイスラム教徒が侵入した13世紀以来、600年間消滅していました。1956年、インド憲法を起草したアンベードカル博士が復興運動に乗り出します。
 ヒンズー教の過酷なカースト制度の下で苦しむ人口の85%の下層民を救うのは、人類平等を唱えるブッダの教えしかないと。インド仏教徒は今や5000万人を超えている。聖地をヒンズー教の管理下においておくわけにはいきません。」

 プラジナシール自身、最下層の不可触民の出身。村人の大部分は半奴隷状態の小作人で、共産主義政党に属し地主と争ってきた。
 家族は熱心なヒンズー教徒だったが、寺院参拝は許されず、村の井戸の使用も禁じられ、逆らうと殺されても文句は言えなかった。苦労して大学に行き、友人に触発され仏教を学ぶ。
 93年、佐々井師を導師に得度。98年には大菩提寺管理委員会の事務局長に就任。

「アンベードカル博士の書物を読み、仏教集会でササイジーの説法を聞いて、自分を苦しめる制度の仕組みに目覚めました。人間の平等と自由の大切さを説くブッダの教えが私の青春の怒りと苦悩を救い、その後の人生を決めたのです。」

 近代化の荒波にもまれるインドは乱世だ。民衆は暮らしの向上と魂の救済を激しく求めている。うごめく欲求のるつぼの中に大菩提寺は立っている。

(琉球新報 2001年2月7日より)


 《佐々井秀嶺師の波乱の人生》

 インドは仏教発祥の地として知られる。しかし歴史の転変を経てインド仏教は滅亡し、長らく「過去の存在」でしかなかった。そう、ついこの前までは…。

 人口10億を数えるインドにあって、80年代初頭まで仏教徒は1%に満たなかった。しかし現在では少なくとも5千万人、一説には1億5千万人もの仏教徒がインドにいるとされる。事実ならば、インドの仏教徒は人口の10%を超え、イスラームにも匹敵する大勢力だ。
(現在、政治的配慮からインドの宗教人口統計は不明)

 宗教紛争が激化する現代社会では、かえって諸宗教の勢力図は固定している。インドにおける仏教徒の激増は、地球上を見渡しても極めて特異な現象だ。そしてこの歴史的大事件の渦中に、佐々井秀嶺という日本出身の僧侶(現在インド国籍)がいる。

 本書は長年にわたり佐々井師の身近でインド仏教復興運動を取材した著者が、佐々井師の破天荒な半生を描いた伝記だ。昭和10(1935)年、岡山の山村に生まれた佐々井師は16歳で上京し、紆余曲折ののち高尾山薬王院(真言宗)で得度。生来の負けん気で激しい修行に明け暮れる一方、自らの「色情因縁」に煩悶して自殺の誘惑に駆られ、街頭の易者として人気を博し、新進の浪曲師としても名をあげる、とにかく振幅の激しい生を歩んだ。

 昭和40(1965)年、ひょんなことからタイ留学し、二年後インドへ渡った佐々井師は、かの地でインド新仏教徒(ネオブディスト)との運命的な出会いを果たす。彼らは、カースト制の底辺にあって差別と迫害を受けつづけた不可触民(アウト・カースト)であり、同階層出身のカリスマ的政治家アンベードカル(1891−1956 独立インドの初代法務大臣としてインド憲法を起草)の呼びかけで仏教に改宗した人々であった。

 新しいリーダーとの出会いは、停滞していたインド新仏教を俄然活気づかせる。釈迦成道の聖地ブッダガヤの返還運動、政府も手を出せなかった盗賊集団(ダコイット)の仏教改宗などを通じて、佐々井師はカースト・宗教による分断と相互不信に貫かれたインド底辺社会を、大衆演芸じみた義侠心によって突破していった。

 しかしそんな渦中にあっても、佐々井氏自身は相変わらず性欲に悩み、無茶な荒行で自らを傷つけ追い詰める不器用な求道者のままなのだ。真言宗で出家した身でありながら、南無妙法蓮華経の題目を唱え、請われればパーリ語のお経を唱える。必要とあらば、村人に取り憑いた悪霊とも取っ組み合いの喧嘩をする。そんな彼の周囲には、いつしか衆生平等を説く仏教という信仰(もとい生き方)を選び取った膨大なインド民衆が渦巻いていたのである。

 稀代の荒法師がインド亜大陸のダークサイドに足を踏み入れ、そこから民衆の仏性とでも形容すべき「精神の光」をつかみ出す過程は、心の震えなしには読めない。極東の快男子によって、新たに開幕したインド仏教復興活劇が、逆にこの日本を揺るがすに至る日も、そう遠くはないはずだ。

(『破天、一億の魂を掴んだ男』山際素男・南風社の書評より)


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