女神の復活

いくつもに分裂してしまった宗教は、その源にあった古代の女神信仰をもう一度ふり返ることで、ふたたび本来の意義を思いだすのではないだろうか。


水上洋子(作家)

■旧石器時代から始まった女神信仰
 21世紀が始まった今、人類は二つの危機にさらされている。ひとつは戦争であり、もうひとつは環境破壊による生命の危機である。
 戦争は絶え間なくあちこちで起きている。パレスチナの戦争やインドとパキスタン、そしてつい最近のアメリカによるアフガニスタンやイラクヘの空爆があった。それぞれ表向きの闘う理由はあるが、戦争の根底には宗教の違いが根深くあることは誰もが感じている。

 今、世界の三大宗教といわれるものは、キリスト教、仏教、イスラム教である。容赦のない現在の戦争もこの3つのいずれかが関わっていることが多く、とくに一神教であるキリスト教とイスラム教が関係する戦争は過激さをきわめている。平和を愛し、私情を超えた叡知へと導くはずの宗教が、人々を混乱させ戦争の根源になっているのはなんとも皮肉な話だ。

 いっぽう環境破壊は、事実上の自然の破壊と、化学物質による汚染として広がっている。とくに恐ろしいのは、化学物質の多くに環境ホルモンになりうるものがあることが報告されたことだ。これはわずかな量でも、人も含めた生物の生殖に関わるホルモンバランスを崩し、遺伝子を傷つける恐れがあるというのだ。この半世紀ほどは、科学が生み出した化学物質は、進化のシンボルであったのに、それ自体が生命を消滅に導きかねない問題として浮上してきている。

 にも関わらず、今や日常品のあらゆるものが化学物質に頼っているわけで、便利さと企業の利益のために人体に良くないとはわかりつつも捨て去ることができないというのが現状だ。
 戦争にしても環境破壊にしても、共通しているのは、生命に対する恐ろしいまでの軽視ではないだろうか。この混迷の時代、宗教が必要とされながら、これほどまでに宗教が無力に見えるときはなかったのではないだろうか。
 
 現在の考古学で実証されている限りでは、宗教の起源は旧石器時代に遡る。今のところ、もっとも古い神の像のひとつは、南西フランスのレゼジーで発見されているが、それは3万2000年前の月の妊娠記録を刻んだ女神像である。
 もっとも古い神の像が女性であるというと戸惑う人は多いのではないだろうか。というのは、神というと、つい男性を思い浮かべてしまう現代人とって、女神はおそらくお伽話の住人のようなマイナーな神でしかないからである。それが宗教史のページの最初に登場するというのはどういうことなのか。

 じつは旧石器時代から農耕が始まる新石器時代、さらにその後に続く紀元前2000年代あたりまで、アフリカやヨーロッパ、小アジア、東洋にいたっては、世界のどこでも、大地を万物を生み出す母として崇める女神信仰が主要な宗教だった。つまりその時代、大地は無機的なものではなく、有機的な生きているものと考えられていたのである。

 たとえば紀元前3000年代の遺跡を掘ると、ほぼ99%、神の像というと女神像であり、男性の神像は出てこない。それは古い時代ほど徹底しており、時代が下るにつれて、男性の神の像が入り交じってくるのである。

 新石器時代のヨーロッパの遺跡については、カリフォルニア大学のマリヤ・ギンブタス教授が発掘調査をしているが、圧倒的に女神像が多かったことに着目して「古ヨーロッパの女神と神々」という著書を表している。彼女は、新石器時代のヨーロッパ大陸のあちこちに母系的な定住社会があり、そこでは女神信仰が普遍的な宗教だったと報告している。彼女が関わった発掘現場からは、水の女神、鳥の女神、大地の女神など、さまざまな姿に変容した女神像が出てきており、それらを眺めていると、あらゆる自然の中に、古代人は生と死を司る女神の姿を重ね合わせていたことをうかがわせる。

 以前、環境考古学という新分野を切り開いたことで知られている安田宮憲教授と京都でお会いしたとき、ちょうど彼は中国で発掘調査をしているとのことだった。私は、それまで海外の文献を読むうちに古代には女神信仰が世界中にあったという説をほぼ確信していたので、彼に「たぶん紀元前3000年から4000年あたりまで掘下げると、女神像が出てくるはずですよ」と言った。安田教授は「いや、あの遺跡は女神とは関係ないでしょう」と即座に否定した。しかしそれから半年後に東京でお会いしたとき、安田教授は私の顔を見るなり、「びっくりしましたよ。出ましたよ、女神が」と興奮気味に言った。その教授の言葉は、私に改めて女神信仰というものが、古代において普遍的なものであったことを実感させてくれたのだった。

■天地創造をする、原初の女神たち
 女神信仰が古代社会において、普遍的なものであったことは、世界中に神話としても残っている。
 たとえば、ギリシア神話において、世界の始まりに登場するのは、「厚い胸をした」大地の女神ガイアであり、彼女が万物を生み出したことになっている。またメソポタミアのシュメール神話においては、水の女神ティアマトが最初に深淵からたちあがった女神とされているし、中国でも原初に現れて天地創造をする女神の神話がある。ほとんどの古代の神話では、世界の最初に登場するのは女神である。

 つまり古代においては、世界のどこでも女神信仰が普遍的な宗教であった。旧石器時代は少なくとも5万年間、その後新石器時代は1万年前に始まっているとされているから、少なくとも6万年間の宗教の歴史があるわけだが、その大半は女神信仰が主要な宗教だったようだ。

 つまり人類の長い宗教史から眺めて見ると、世界の三大宗教は、比較的、新しい宗教と言える。三大宗教のなかでもっとも古い仏教は、紀元前の5世紀頃、そしてキリスト教はちょうど2000年前、イスラム教は紀元後の7世紀の前半である。6万年という宗教の歴史からみると、世界三大宗教は最後の十分の一ほどを占めるぐらいの新しい宗教に過ぎない。ということは、ただ一人の男性神しか認めない一神教というのは、長い宗教の歴史の上では異例と言えよう。

 古代世界において神の像が女性の姿をしていたと言うと、女性が男性より地位が高かったとか、女性が男性を支配していたというふうに考えられがちだが、そういうこととはあまり関係がない。それは、人間も含めて万物が、母なる自然から生み出されたものであるという、ごく自然な認識から出てきたものにほかならない。女神信仰には、母なる自然から男や女が生まれてきている以上は、二つの性は平等という存え方が根底にあった。

■神々が共存した女神信仰時代
 古代の女神信仰は、ただ一人の特定の女神を崇拝したわけではない。エジプトのイシスやハトホル、メソポタミアのティヤマートやイシュタル、インドのシャクティなど、それぞれの地域で信仰されている数多くの女神の名前があり、それらは互いに認めあい、共存していた。
 古代の女神が共存していたことを示す興味深いエピソードがある。それは以前、今のトルコのエフェソスの遺跡を取材したときに、地元のガイドであるメリカ・セバル氏から聞いた話だ。

 エフェソスは古代、月の女神アルテミスの町として栄えていた。アルテミスの神殿は、壮麗な美しさで地中海世界中に知れ渡り、古代の七不思議のひとつとして数えられている。
 エフェソス人は、女神の神殿を参拝する外国人にこのように言ったという。「我々は女神アルテミスと呼んでいるが、外国人はどんな名を呼ぼうとかまわない。それは例えばエジプト人であればイシスかもしれないし、もしくはメソポタミアのアスタルテであるかもしれないし、ギリシア人はレアと呼ぶかもしれない。とにかく重要なことは、聖なる女神がここに住んでいるということなのだから」

 この言葉からわかるように女神信仰は、ほかの国の人に対してたいへん寛容であった。大地は我々の母であり、女神であるという考えは、古代人の世界共通の認識だった。女神は自然そのものであり、我々人間もそこから生まれてきた以上は、外国人も兄弟や姉妹であるという観念があった。古代世界において母なる女神という存在を信じていることは、民族や国の違いを超えて、お互いに理解しあい、結び付きあえるきっかけとなった。そのため女神の名のもとに戦争が起こることはなかった。

 その点は、父なる神を崇める一神教がほかの神の名を呼ぶことを悪とし、他の宗教を原始的な邪教と見なすのとは大きな違いがある。
 
■生命と平和を尊重する女神信仰
 古代の女神信仰は、自然界のさまざまな場所に宿る神々を認める多神教でもあった。日本の古代もまた女神信仰の時代があり、アマテラスを中心とするの八百万の神々の世界があった。
 特筆すべきは、古代の女神信仰にちなんだ遺跡から武器らしきものなどは発掘されておらず、平和な時代が続いていたことだ。

 トルコにはチャタル・ユユクという女神にちなんだ有名な遺跡がある。日本ではそれほど知られていないが、欧米では、いくつものガイドブックに出ている有名な遺跡であり、私もここには何度か訪れている。というのもチャタル・ユユクは、世界四大文明よりも古く、約6500年前(もっと古いという説もある〕の文明社会が発掘されており、考古学界の常識を塗り替えた遺跡だからである。

 まず発見された48の神殿はすべて女神の礼拝所であった。チャタル・ユユクは年代からして新石器時代の遺跡なのだが、今と変わらぬパンが焼かれたり、織物や陶器などの工芸品が作られるなど、驚くほど文化的な生活が営まれていた。とくに武器がいっさい出てこなかったことでヨーロッパの考古学界は驚樗した。

 というのも、それまで学者たちの間では、高度の文明社会というのものは、他国と闘い、民を支配するための軍隊という存在が当たり前だと考えられていたからだ。1960年代にこの遺跡を発掘したイギリス人のジェームズ・メラートは、「チャタルユユクでは、動物などの犠牲を捧げることもなく、階級もなく、平和なユートピアにもたとえられる社会がここにあった。そしてその社会を治めていたのはおそらく女性の家長だった」と述べている。

 私はトルコのアンカラ博物館でチャタル・ユユクの女神像を見たことがある。それは2匹の豹に囲まれて、まさに子供を産み落としている女神像であった。なるほど生命を生み出している最中の女神を崇拝する人たちであれば、戦争など考えもしないだろうと思ったものだ。その女神の姿には限りない生命への愛しみがあった。

 平和な女神信仰という点では日本にも事例はある。縄文時代の神の像である土偶は、すべて女性の姿をしているが、その時代には戦争がなかったことが最近になってわかってきている。また今も沖縄には、古代の女神信仰が続いてきたと思われるオナリ(姉妹〕神信仰がある。沖縄では、男性の魅力は、剣ではなく歌や楽器を操ることにあると言われるが、それも平和を愛する女神信仰の名残りなのではないだろうか。
 かつて沖縄の首里に王朝があった時代、明からやってきた使いが首里の役人にこう尋ねたという記録があると言う。

 「あなたたちの城には、城塞もなく、軍隊もないようだが、いったいどのようにして、
敵から国を守るのか」と。すると役人は「私たちの崇拝する聞こえの大君がお守りくださっているので、そういったものの必要はないのですよ」と、答えた。「聞こえの大君」というのは、首里の時代の女神信仰を司る巫女をさしている。

 スイスの社会学者バッハオーフェンは、彼の著書『母権制』で古代の母系社会が平等な社会であったと語っている。彼は、私たちが「自然法」と呼んでいるものは、古代の女神信仰から出てきたものだという説を出し、それは古代においては「アフロディーテの法」とも呼ばれていたと言っている。

 「女神アフロディーテは、あらゆる特権を嫌悪する。その結果、万人が海、陸、空気に対して平等の権利を有することになる。『共有財産』の起源を辿るならば、おそらくこの『自然法』にいきつくであろう」
 母系社会の法は階級的ではなく民主的であり、平和的であったことをバッハオーフェンは繰り返し述べている。

 バッハオーフェンは19世紀のキリスト教世界に生きた人であるが、人類の歴史にはもうひとつの隠された膨大な領域があり、それこそが無意識を作っていることに気付いた人である。もうひとつの領域とは、人類が長い間、女神信仰を柱とした母系的な社会を営んできたということを指す。しかしその後にやってきた西欧の父権社会は、過去の記憶を葬り去り、文化全般から古代の女神信仰を消してしまった。バッハオーフェンは、消された過去の記憶の鍵を外そうとしたのである。だが彼の著者は、膨大な資料に裏付けされているにも関わらず、キリスト教という一神教の世界においては「奇書」として扱われ続けたのだった。

 ちなみに日本では、高村逸枝が室町時代まで母系社会が続いていたことを実証しており、彼女もまた見えなくなってしまった過去の記憶の鍵を外そうとした人と言えよう。
 それにしてもなぜ人類の古い時代には、女神信仰が普遍的なものであり、それに対して現在の大きな宗教では男性や男性の神が中心になってしまったのだろうか。
 
■女神信仰から一神教への移行
 多くの神話は、女神信仰から男性の神への信仰への移行は、すんなりと行われたわけではなく、長い大戦争があったことを物語っている。

 シュメールの文明では、水の女神ティヤマートが世界を創造し、多数の神々が生まれた後、マルドゥクという若い男性の神がティヤマートに闘いを挑む。この闘いで勝利をおさめたマルドゥクは、世界の支配者になる。そのときマルドゥクは、ティヤマートの体を引きちぎって山や丘を作って世界を作り、それがバビロニア帝国の土台となる。ティヤマートは水の女神であるとともに大地を象徴する女神でもあり、マルドゥクが彼女を殺して帝国を作ったという話は、世界最初の環境破壊について語られていると見る説もある。

 またギリシア神話でも、大地の女神ガイアの後に、息子のゼウスが、ガイアの夫ウラノスを倒して神々の支配者として頂点にたつ。歴史的にはおそらくこのときにギリシア人の都市国家が始まったと言われている。ギリシア神話の場合は、ガイアは殺されることはないが、神話の中からは自然消滅している。同時にギリシア神話では、「母親殺し」というテーマも重要なものになっており、ここにも歴史上の大きな価値転換がうかがえる。

 これらの神話は、人類の歴史が母系的社会で始まったが、後になって父権的な社会へと移行していったことを反映している。
 ギリシア神話やシュメール神話も多神教的な世界だが、ゼウスやマルドゥクが女神にとって代わり、神々の支配者として頂点にたつという話は、後の一神教へ向かうきざしが見られる。

 そのほか世界中の神話はたいへん似た形をなぞっており、世界の支配者は、女神から男性神へと移っていくというパターンが圧倒的に多く、殺される母なる女神の話も少なくない。

 先にあげた考古学者マリヤ・ギンブタスは、母系社会から父権社会への移り変わりを考古学の発掘調査を通じて実証している。
 彼女の著者『古ヨーロッパの女神と神々』によると、平和な母系社会を営んでいた古代ヨーロッパ社会は、紀元前4500年から紀元前2500年ぐらいの間に3度、北からやってきた闘いの男性神を崇める民族に襲撃され、その後、2つの信仰が混在するようになった。

 侵略者は、それ以前の女神信仰の社会とは正反対の特色を持っていたとギンブタスは述べている。
 女神信仰があった社会は、母系的で農耕を営み、定住生活を送る平等で平和な文化であって、それに対して、おそらくはロシアの草原から進入してきた民族は、好戦的な遊牧民族であった。彼らは、いわゆるインド=ヨーロッパ語族と呼ばれている民族であって、彼らは、父権的な社会へとヨーロッパを変えていった。

 つまり都市国家を作ったギリシア人の社会は、母系的な古代ヨーロッパを破壊してから始まったものなのである。
 ギリシアやシュメールの神話からわかるように、自然と結びついた多神教的な女神信仰から、男性神への信仰へと変わっていく背景には、より人工的になった都市文明というものが深い関わりを持っているようだ。

 それはローマやギリシアのように城塞を築くことによって、都市と自然を切り離してしまうような人工的な都市である。そんな都市では、荒ぶる男性の神が支配者となり、平等な社会は消え、階級社会が生まれた。

 ちなみに同じ文明社会でも、エジプトは「都市なき文明社会」とも言われている。というのも、エジプトでは、人工的な都市と自然との間にくっきりとした境界線になるようなものを築くことはなかったからである。エジプトは、紀元前まで多神教的な女神信仰を保持してきた社会であり、よく知られているように女神イシスの代理人であると主張したクレオパトラは、都市国家として出発したローマ帝国と闘った。彼女は破れたが、エジプト文明は、世界四大文明のなかではもっとも長く続いた文明として知られている。

 ティヤマートが殺されたメソポタミア文明の遺跡は今や砂漠と化しているが、エジプトを訪れたとき、今も古代と代わらぬ農村の風景があった。それはエジプト人が、長く大地を生きている女神として尊重してきたことと関係があるように思われる。

■女神と自然の死と環境破壊
 世界三大宗教は、古代の都市文明のグローバル化とともに現れてきている。キリスト教は、ローマという都市とともに国際的な宗教となり、仏教の背景にはミティラー王国の都市があり、そしてイスラム教にはメッカという商業都市の発展があった。

 とくに一神教は、「正しい神のもとに迷える人々を帰依させる」という名目を掲げて、都市をさらに拡大するための戦闘を正当化し、階級社会を強化するものになった。言い代えれば、人間の生活環境がしだいに自然と切り離され、人工的な社会が肥大化していく過程で一神教は世界的に広がっていったのである。

 キリスト教にとって、もっとも大きなライバルは古代の女神信仰であり、徹底的な闘いを挑んできたと述べる資料も多い。
 たとえば古代の女神信仰のメッカでもあったエフェソスに、キリストの使徒であるパウロが布教活動に向かったのも、もっとも大きな標的と闘おうという意気込みがあったのかもしれない。パウロは月の女神であるアルテミス信仰を非難する演説をして市民から反発をくらい、エフェソスから追放されている。何千年もの長い間、女神信仰を守ってきたエフェソスの人々にとって、たった一人の男性神を崇拝するキリスト教は奇妙な新興宗教と見えたのに違いない。

 しかしその後も執拗にキリスト教のエフェソスでの布教は続けられた。やがてエフェソスはローマ帝国に支配されるようになり、ついにローマ帝国の国教としてキリスト教が入ってくる。このとき、キリスト教徒はアルテミス神殿を破壊し、その周りの広大な森を焼き打ちした。森が消えたために土壌がもろくなり、町の港の湾に土砂が流れ込み、そのためにマラリアが発生した。そしてついにエフェソスの町は住民が住めないゴーストタウンと化してしまう。このエフェソスのエピソードもまた宗教が関わった環境破壊の一例と見ることもできよう。

 キリスト教徒は、古代の女神を迷信や魔女として非難し、各地の神殿を破壊したり、その土台の上に教会を築いたという。しかしそのキリスト教徒でさえ、消せなかった女神信仰の痕跡を内部に残していた。それがカソリック派における聖母マリアの存在であった。古代から母なる女神を崇拝してきた民衆の心を掴むには、キリスト教もマリアの存在を認めるしかなかった。
 
■大地は生きているという「ガイア仮説」と女神の復活
 キリスト教会において二次的なものに過ぎなかったマリアの存在はしだいに大きくなっていった。とくにヨーロッパの12世紀はマリア信仰が復活し、その間、人々は自由を謳歌し、いろいろな職業についている女性も多かった。とくに古代の自然崇拝とつながっていた女神信仰時代に、母から娘へと伝わった薬草の知識をもとに治療を行う者も少なくなかった。

 キリスト教会は、マリア信仰に脅威を感じ、民間の間に正しくない信仰が広がっているとして、13世紀に魔女裁判が始まった。魔女狩りは、19世紀まで続き、ヨーロッパ中で魔女として何万人という女性が告発され殺された。それがようやく終わったとき、女神信仰は歴史から葬り去られ、古代の薬草に詳しい知識人も消えるか、影に隠れてしまった。ふり返ってみれば、少なくともヨーロッパでマリア信仰が認められていた時代には、大地は有機的で生きている存在と考えられてきた。

 しかし資本主義社会が発展するにつれ、地球や大地が生きている存在であると考えることはまったくの迷信になってしまった。自然はまったく意思を持たない無機的なものであり、ただ人間が好きなように利用してかまわないものとされてしまった。
 つまり、ここにいたって、かって母なる女神として敬愛されてきた自然は、死を宣告されるのである。
 
 西欧は過去に鍵をかけ、封印してしまった。その西欧の価値観と文化は世界中に広がり、その後、はてしない環境破壊が始まった。
 21世紀の今、さまざまな生物の種が絶滅の危機に追いやられ、それは人間にもふりかかってきている。

 今の深刻な環境破壊を目の当たりにし、そして同時に人間を含めた生物の存続も危いことを考えるとき、あたかも自然が報復しているかのように思われる。今更のように、この地球や大地を母なる存在と見る古代人の信仰は、迷信どころかたいへん理にかなったものではなかったかと考えざるを得ない。

 20世紀になって、イギリスの科学者ジェームズ・ラプロックが、地球は自らのバランスをとる能力を持っており、ひとつの有機的な生きた存在と考えるべきではないかという「ガイア仮説」を出している。
 その説は果てしない環境破壊に対して警鐘を鳴らすことにもなったが、古代人はほぼ「ガイア仮説」と同じような考え方をしていたとも言える。

 つまり古代人は、大地が丸いことを知っていたかどうかは別としても、たいへんシンプルで明解な宗教観を持っていたと言えよう。
 戦争と環境破壊は別々に起きているわけではなく、ひとつの根でつながっている。繰り返しになるが、それは生命というものに対して驚くほどの軽視である。
 古代の神話はたんなる過去のものになってしまったわけではない。

 それどころか現代人は、今もその神話に書かれた通りの物語を歩み続けているようだ。 つまり現代人は、未だに母なる地球に対して、「母親殺し」という神話を繰り返し、今もなおそれを止めることができないのではないだろうか。
 女神信仰の長い歴史と母系社会を過小評価することは、私たちが本当はどこからやってきたのかという記憶を失うことであり、そしてすべての生命が地球という胎内から生まれてきたことを忘れてしまうことのように思われる。

 自然とそして生命を敬愛し、平和を愛した古代の女神信仰は、遠く過ぎ去った時代の迷信などではなく、こんな時代だからこそ、ふり返ってみる価値あるものなのではないだろうか。それは宗教の源が母なるものであることを教え、すべての人類や民族はこの地球という母から生まれてきたというごく当たり前のことを教えてくれる。

 いくつもに分裂してしまった宗教は、その源にあった古代の女神信仰をもう一度ふり返ることで、ふたたび本来の意義を思いだすのではないだろうか。
 
(別冊歴史読本「世界を揺るがす宗教団体」新人物往来社 2003-9)



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