アラファト氏、死去



 悲願の独立国家樹立を目指し、イスラエルによる占領からの解放とパレスチナ独立の闘争を長年にわたり指導したパレスチナ自治政府議長のヤセル・アラファト氏(パレスチナ解放機構〈PLO〉議長)が11日、パリ郊外の病院で死去した。75歳だった。アラファト氏の主治医が確認した。死亡時刻は11日午前3時半(日本時間同11時半)。

(アラファト氏略歴)
 ヤセル・アラファト氏は1929年8月生まれ。生地はカイロとの説が有力。カイロ大在学中に対イスラエル闘争に参加。69年2月、パレスチナ解放機構(PLO)議長。74年に国連総会で初演説。93年、パレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)に調印。94年ガザ入りし、自治政府を組織。同年イスラエルのラビン首相(当時)らとともにノーベル平和賞。

 96年1月選挙で自治政府議長。イスラエルのシャロン政権により2001年12月から西岸ラマラの議長府に軟禁された。04年10月29日、容体悪化でパリ郊外の病院に入院。90年に結婚したスーハ夫人との間に1女。

(琉球新報 2004-11-11)



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