『生きながら火に焼かれて』スアド著・ソニーマガジンズ



 21世紀の今になっても地球上に残る女性への野蛮な因習と言えば、インドの「ダウリー殺人」(結婚持参金が少ないと、夫に焼き殺される)や、アフリカ大陸を中心に行われる女性性器切除だが、さらに「知られざる現実」があることを、驚愕(きょうがく)の思いで知らされる本である。

 家族から今も命を狙われる著者は、本名を明かさず素顔もさらせない。
 「17歳くらいの頃、ある男の人に恋をした。好きになった気持ちはどうすることもできなかった。(中略)たった数回の秘密のデート。その結果、私は家族の手によって火あぶりにされることになったのだ」と、命がけで告発する。

 シスヨルダン(ヨルダン川西岸)の小さな村に生まれた少女は、村の男たちが勝手に決め、守り続けた因習によって火あぶりにされた。この村では、女の子として生を受けること自体が不幸とされ、家畜以下の無権利状態で生きなければならない。十代の後半に差しかかるころには、親が決めた相手と結婚。夫に服従しながら、男の子を産ませられる。結婚前に男とつきあうと「シャルムータ」(娼婦)とみなされるばかりか、家族の「名誉」を汚したとされ、家族によって処刑される。

 全身に及ぶやけどで瀕死(ひんし)状態のところを、福祉団体で働く女性の献身によって村から救出された少女は、20回以上の手術を経たいま、夫と子ども2人とヨーロッパで新たな人生を送る(ほっとする個所だ!)。が、事件から25年経た今、自分の身に起きた悲惨な事実を世界に向けて伝えたい、いまだに「名誉の殺人」の犠牲となっている女性たち(中東、およびヨーロッパに6000人もいる!)を救いたい、残酷な因習を取り払いたい…、と勇気ある語り部となったのだ。

 女に生まれたことが不幸となるような因習はただちに無くさなければならない、と読み手に憤りとともに、強い決意を抱かせる本であるが、同時に、読み書きを覚え、自己の置かれてきた立場を語れるまでになった一人の少女の、優れた解放文学としても読ませる、価値ある一冊だ。

(宮淑子・フリージャーナリスト)

(琉球新報 2004-5-30)



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