インドの仏教復興



 インドで、仏教徒が急増しているという。カースト制度に苦しむ住民にとっては、平等を説いたブッダの思想が自立の支えとなっている。仏教復興のきっかけとなったのは、アンベードカル博士だった。博士は、不可触民カースト出身で初代法務大臣に就任。インド独立の際、カースト制を擁護したガンジーと激しく対立したという。



《インドの仏教徒…改宗が生活の向上に、アンベードカル菩薩を敬愛》

 10億人の人口を抱えるインドで、仏教徒が急増しでいる。インド中西部のマハーラシュトラ州束部。デカン高原のど真ん中にあるナグプールは人口220万人。州都ムンバイ(旧ボンベイ)に次ぐ第二の都市で、4人に1人が仏教徒だ。

 バスで農村地帯を50分行くとウダサ村がある。雨期以外は、灌潮用水なしでは十分な収穫が期待できない大地で、農民は豆類、麦、米を作る。村の人口は約3000人。インドの社会構造に刻まれたカースト制の最下層に属するヒンドゥー教徒が過半数以上を占め、仏教徒350家族と若干の少数民族も共存する。仏教徒の家は、ブッダの教えを表す法輪が、門やドアにデザイン化され、居間にはブッダとアンベードカル菩薩の肖像画が飾られている。「ジャイビーム(アンベードカルに勝利を)」があいさつ代わりだ。
 
 アンベードカル菩薩とは、マハーラシュトラ州に最も多い不可触民カーストだったマハール出身のアンベードカル博士のことだ。米英に留学しロンドンでは弁護士の資格も取った。博士は1947年のインド独立に伴い、初代法務大臣に就任。「不可触民制の廃止」を謳ったインド憲法を起草した。カースト制を擁護したガンジーと激しく対立した博士は、1956年にナグプールで50万人のマハール同胞を導い、ヒンドゥー教から仏教に集団改宗し、インド仏教を復興した。この集団改宗が現在の仏教徒の地位と生活の向上に転機をもたらした。

 昨年10月のアンベードカル集団改宗48周年記念式典には、約100万人の信徒がインド各地からナグプールに集まった。宗教行事の導師は、在印40年余りでインド仏教徒のリーダーとなった日本人僧の佐々井秀嶺師が務めた。3日間で約6万5000人が正式に仏教に改宗。式典前に得度し朱色の僧衣に身を包んだウダサ村の若者3人は、改宗式の事務方を務めた。ウダサ村の仏教徒もアンベードカルによって集団改宗した人々とその子孫で、村には13年前に佐々井師によって落慶法要された寺もある。

 「改宗前は食べる物がなかった。改宗後は懸命に働いて現金を稼ぎ、借地して少しずつ生活を良くしてきた。今じゃ教育さえ受けられる」
 農作業の手を休め、干からびた大地のような荒れた手のアデクさん(70)は話した。博士は教育の童要性を力説し、アデクさんは6人の子どもは全員小学校を卒業させた。村にある公立小学校の生徒の3分の1は仏教徒だ。生徒の5割が大学進学するという。授業は州公用語のマラティ語で教科書もマラティ語だ。4年生の教科書にはアンベードカルに関する記述が4ページある。
 
 50歳ぐらいの女性はこういった。
 「15年前までは、上位カーストは飲み水を分けるのに手のひらにしかくれなかったものです。教育のおかげで上位カーストの子どもと一緒にクリケットをブレーできるようになった」
 農民の平均年収は2万ルピー(4万5千円)。大豆やカレーの食材となるチャナ豆が現金収入源だが、昨年は干ばつによる不作で収入は半減。仏教徒は、村からの大卒者は仏教徒の方が多いと自慢し、年間で最低5000ルピーを祭事に費やすヒンドゥー教徒が、無駄を止めればもっと楽になるはずと指摘した。

 「今の生活があるのはババサヘブ(アンベードカルの愛称)のおかげ。以前はヒンドゥーの神頼みばかりだったが、神頼みはもうやめた」(52歳の農民)
 差別に反対し、平等の思想を広めたブッダと、カースト制度撤廃に尽くしたアンベードカル菩薩に対する揺るぎない信仰が、仏教徒の精神的経済的な自立を支え、自尊心のよりどころなっている。


(琉球新報 2005-3-1)


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