企業も個人も「職人」に


 「格差拡大」に対する懸念が強まっている。経済は成長を続けているのに、ワーキングプア(働く貧困層)や、若年層にまで広がる生活保護家庭の増加がその象徴とされる。景気拡大の割には、平均的勤労者の所得も増えてはいない。

 「格差拡大論」は世界的な現象といえる。米国でも欧州でも、発展途上国でも叫ばれている。なぜなら経済のグローバリゼーションの結果だからだ。企業は最適な生産地を世界のどこでも選べる選択肢を持つし、そうしなければ生き残れない。中国、インドなど途上国に対する日本企業の投資はすさまじい。米国や欧州の企業も同じだ。

 途上国の労働賃金水準は、先進国に比べると非常に安い。同じコンピューター技術者でも、インドの技術者の賃金は日本の5分の1以下である。当然仕事は、日本や米国からインドに流れる。他の産業でも同じだ。結果、中国やインドでは豊かな消費者層が生まれ、一方で日本や米国では、競争にさらされた職種の給与が伸びない事態が起きる。

 「グローバリゼーションを拒否すればよい」と考えるのは短絡的であろう。こちらが市場を閉めれば、あちらも市場を開放しない。技術開発でも後れを取る。貿易立国である日本がとれる方策ではない。

 最も必要なのは、国民の一人一人がグローバリゼーションの世界経済にあって、個々に存在感を主張できる存在になれるよう努力することである。企業も個人も一つの得意分野、人に負けない得意分野を持つことだ。プロになる、日本の言葉で言えば「職人」になることである。
 これからは、有名大学を出ても法律を学んだ、経済を学んだだけでは通用しなくなる。平均的な人間を輩出してきた大学も猛省すべきだし、個人も平均的な勉強に満足することなく、社会人になっても新しい知識、技術を身に付けるべきである。

 むろん必要最小限の社会的セーフティーネットは必要である。生活保護も適用条件や支給額が妥当かは別にして、維持する必要がある。しかし日本の企業や個人がグローバリゼーションの進展の中でも競争力を維持し、そして富を生み出していがなければ、弱い人々も救えない。日本は残念ながら潤沢な資金が入ってくる産油国ではない。

 筆者は近著「カウンターから日本が見える」で、板前の世界を書いた。これも職人の世界である。日本は古来、職人を大事にしてきた。職人とはプロだ。日本はグローバリゼーションを乗り越えるためにも、プロを育てる努力をすべきだろう。

(伊藤洋一)

(琉球新報 2006-12-31)



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