蓮花寺に眠るチャンドラー・ボース


 東京の地下鉄丸ノ内線、東高円寺の改札口を出ると、新宿駅大ガードを基点として西へ延びる青梅街道に出る。左側へ約200m歩くと、環状7号線に交差する。どちらも東京の主要道であり、大動脈である。

 この環7の手前、左側の路地を50mほど進んだ右手に、小さな蓮光寺という寺院がある。実は、この寺院には、インドの現代史上、忘れてはならない人物の遺骨が安置されているが、大半の日本人はこの事実を知らない。
 数字の0を発見した国、10億の民を有する国、多民族、多くの宗教・言語を有する国、核兵器を有する国、ぐらいがインドに対する一般認識であろう。しかし、この巨大な現代インドの礎を築いた英雄チャンドラー・ボースが、杉並の小さなお寺蓮光寺に眠っているのは紛れもない事実である

 戦後60有余年経ても、今なおインド国民に敬愛されてやまないチャンドラー・ボース。彼は初代首相のネールや、独立の父と慕われるガンジーと並び称賛される。
 英国の過酷な占領支配と圧政から自国民を解放するには、非暴力という手法を取るのが一番だと自ら実践し、国民を指導したガンジーに対し、ボースはその手法に異論を唱え、東条英機の協力を求め、物心両面の援助を受け、インド国民軍を結成。太平洋戦史中の激戦で名高いインパール作戦にも参戦している。しかし圧倒的な物量に勝る米英軍に敗れ去り、ボースの非運の序章が幕を開ける。

 1945年8月15日、天皇のポツダム宣言受諾により日本は敗戦。8月18日ボースは、ソ連への亡命途中、台北飛行場を離陸中に乗っていた日本軍機が墜落炎上、従者とともに助け出され、病院へ担ぎ込まれたが、数日後に死亡。現地でだびに付され、遺骨は関係者の手によって東京に運ばれ、敗戦の混乱の中、冒頭の蓮光寺に落ち着いたのである。
 今日でもインド政府の要人は、ボースヘの敬愛の念から、この小さな寺へ参拝に訪れる。

 ボースがインド解放の援助を頼んだ東条英機は、侵略戦争の責任を問われ、他の6名とともに東京裁判で絞首刑となった。むろんボースは東条が処刑されたことは知るよしもない。

 過日、うるま市民劇場公演で高安六郎氏は、級友のミヨちゃんと八郎君を学童疎開船対馬丸事故で失ったと語られたが、1941年の陸相時、戦陣訓をつくり、自国、他国の人民、兵士に阿鼻叫喚の苦しみを与えた張本人はその後、靖国神社に合祀されて顕彰され、幼い児童たちは黒潮流るる海底深く眠ったままである。

 憲法9条改正を唱える現総理は、A級戦犯の祖父の血を受け継ぐ。戦争時の暗黒政治を再現させてはならない。
 9条は多くの国民の流した涙の結晶ととらえたい。62回目の8月15日を迎えたが、インド政府の何らかの事情でいまだに故国に帰ることなく異郷の地で眠り続けるチャンドラー・ボース墓参を、東京観光のコースに加えていただければ、あらためてその意義を考える機会となるに違いない。

城間 実(東京都、自営業、57歳)

(琉球新報 2007-8-25)



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