コムスンとNOVAをつなぐもの  佐高 信


 コムスンで介護を食い物にしたと非難されているグッドウィル・グループの折口雅博会長について、私がまず違和感をおぼえるのは「グッドウィル」という名前である。
 つまりは「善意」グループということだが、臆面もなくこんな社名をづけるところに、この人の自己中心主義、あるいは自己肥大性がある。善意であるかどうかは自分が判断するのではない。他人が判定するのである。

 彼は「志」は捨てないなどとも語っているが、多くの人の目に、彼はそれをかけらも持っていないことが明らかになっているのである。
 詐欺師ほど、「誠実」とか「善意」を掲げる。高利貸の生態を暴いてベストセラーとなった劇画「ナニワ金融道」の著者青木雄二はその中に「誇大広告会社」とか「値切海上保険」とか、さらには「吸血ファイナンス」とかの会社を登場させている。そのものズバリの悪徳業者の実態を反映させたわけだが、しかし現実にはそれを覆うような「愛情保険」とか「親切ファイナンス」といった社名がつけられるのである。

 「駅前留学」で売ったNOVAもそうだろう。「留学」という名前で釣り、予約が敢れ
ない実態などを隠す。介護や教育といった公的な分野に、これらのいわば「吸血企業」が参入してきた背景には、鳴り物入りで推進された規制緩和や民営化がある。
 私は「規制緩和」は「安全緩和」、「民営化」は「会社化」と言い換えているが、郵政「会社化」はまちがいなく過疎を激化させたし、国鉄の分割「会社化」は事故を増大させた。その行き着く先がJR西日本とJR東日本の大事故であり、それは民営化ならぬ会社化の必然の到達点だった。

 言うまでもなく、会社化によって利益は至上のものとなり、安全や公正はその下に置かれる。やはり、介護は公的な事業として会社化すべきではなかったのではないか。私は、コムスンの例を「民営化(会社化〕の敗北」として受け止めるのでなければ、解決の道は探れないように思う。

 「善意」を売り物にして、それと全く違うことをやる折口氏らにモラルを求めてもムダなのであり、もし会社化路線でいくなら、これからも彼に続く人間が出てくることを前提として、違反した場合の排除のルールを決め、違反のチェックを厳格にしなければならない。
 私は折口氏よりも、彼を見逃し、チェックを怠ってきた厚生労働省の責任を厳しく問いたいと思う。彼らは、役所は何のためにあるのかをイロハから間い直すべきである。社会保険庁のおそまつさを知っては、何かむなしくなるが、折口氏の「共犯者」と言えるほど、その責任は大きいのである。

 耐震偽装マンションで逮捕されたヒューザーの小嶋進氏と雑誌の企画で会ったとき、彼は私に「自分は審査を通らなかったマンションを販売したのではない」と強調した。カンニングはしたかもしれないが、試験に通ったものを売ったのだというわけである。
 マスコミは一斉に、そんな小嶋氏を悪者にしてたたきにたたいた。しかし、それによって見逃されたのは国土交通省の役人や審査機関の人間の責任である。折口氏は巨悪ではない.彼を生んだ無責任な官僚たちこそが巨悪なのである。

 さたか・まこと 1945年、山形県主まれ.慶大卒。高校教師、雑誌編集者を経て82年から評論家として独立。近著「許されざる者、筆刀両断!」など。

(琉球新報 2007-6-20)



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