県民大会開催に反対


 沖縄戦の集団自決における日本軍関与の記述が、教科書検定により削除された問題で、大多数の方々が政府や文科省を批判しているが、日本軍関与の記述の有無が高校生の歴史教育に大きく影響するとは思えない。

 沖縄戦の悲惨さは日本軍関与の記述の有無とは関係なく十分子供たちに伝わるはずだ。それよりもこの問題に対する一部世論が、「軍国主義化」「戦前回帰」「戦争のできる国へ」など悪意的で論理がめちゃくちゃな言葉を並べることが、子供たちの教育に多大な悪影響を及ぼすということになぜ気付かないのか。不思議である。

 また、県議会が撤回を求める意見書を可決し文科省に撤回要請し、各労組や市民団体も撤回を求めて県民大会まで開催する勢いになっているが、このまま問題を拡大すると「沖縄蔑視の本土人」対「被害者意識から脱せない沖縄人」の戦いにすり替わる可能性もあり、沖縄を戦前以上に日本から乖離させるもので厳に慎むべきだし、繰り返すが沖縄戦における集団自決の歴史教育に軍関与の記述の有無など大した影響はないと言え、県民大会の開催など絶対反対である。

 翻って筆者は、「軍の間接的関与」はあったのだろうと思うが、「軍の命令」があったとは思えないし、軍令があったはずだと主張する方々に言いたいのは「死者を冒涜するな」の一言に尽きる。
 当時、サイパン玉砕など伝え聞いた住民が、戦陣訓の訓えと相まって「事ここにいたっては…」の精神状態になったとすれば無理からぬことであろう。また、一般住民宅に寄宿していた軍人から「捕虜になるより玉砕すべきだ」と説教を受けていたという話も聞くが、それもあったのだろう。

 これらを踏まえても軍令があったということにはならないし、仮に軍令により自決したとすると「肉親の命より軍令が大事」という結論に達しはしないか、皇民化教育下でもそんなことはあるはずもなく、断じて認めるわけにはいかない。
 彼らの死は、生き残ることにより死よりつらい生き地獄が愛する肉親に降りかかることを恐れての行動であり、家族愛以外の何物でもなかったのだろうと考える。

 その彼らの尊厳死を強制集団死と貶(おとし)め、「命どう宝」や「反戦平和」を声高に叫ぶ方々には、何をか言わんやである。
 反戦平和は結構なことだが、それなら米国や中国に向かって運動すべきところ、その覚悟もなく集団自決は軍国主義や皇民化教育の帰結によるものだと、過去に生き、当時を生き、未来に生を受けるであろう同胞を守るために立ち上がった方々を批判し卑下する人々がわれわれと同じ日本人であるのか甚だ疑問である。

 筆者の祖父も守備隊に徴用され戦死しているが、すべての戦没者の犠牲の上に現在の安定した社会が成り立っていることに感謝し祈りをささげることのみが、今日を生きるわれわれに必要なことではないだろうか。

宮平 修(那覇市、地方公務員、42歳)

(琉球新報 2007-9-9)



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