イラク戦争4年


 イラク戦争の開戦から4年になる。米国にとっては第二次大戦参戦期間より長くなった。米兵死者は3200人、負傷者も23000人を超えた。その負傷者らに満足な治療さえ施せない陸軍病院のスキャンダルまで暴かれ、米国民の厭戦(えんせん)気分は高まる一方だ。

 振り返ってみれば、イラクが核兵器を開発していて、それが9.11テロを引き起こした国際テロ組織アルカイダの手に渡ったら、米国ばかりか世界にとって途方もない危機だ、といって始められた戦争だった。
 ところがいまはどうだ。米国がイラクで失敗したという印象を与えない一。それだけが戦争目的になってしまった。「もはや軍事的勝利は望めない」。そんな声さえ米政権内で出ているという。

 本来の開戦理由であった核兵器開発計画が存在しなかったことは早くに明らかになった。それに代わる「大義」としてイラク民主化が前面に押し出され、米国が敷いたレールに乗って、イラク国民が高い投票率で憲法国民投票、連邦議会選挙に足を運んだ時もあった。

 投票が終わる度にブッシュ米大統領は「民主主義と自由の勝利」を高らかに宣言してみせ、一見民主化が機能するかに見えた。しかし、そこから生まれ出たのは結局、血みどろの内戦だった。民主化の強制などあり得えない。そんな厳しい現実を示したかのようだ。

 当初の占領米軍への抵抗が、シーア、スンニ両派の抗争へと転じ、米軍も巻き込む三つどもえの争いの中で、開戦以来のイラク人死者はこれまで65000人とも推定される。きれいな戦争などあり得ない。これも厳しい現実だった。
 核兵器テロ阻止でもなく、イラク民主化でもなく、米軍兵士らがよその国の内戦に巻き込まれて倒れていく事態に、米国民の絶望は深い。といって、そこから一方的に抜け出せば、イラクの混迷は一層深まり、地に落ちた米国の威信がさらに傷づくのは明らかだ。

 イラクが国際テロの温床となり、中東全体の不安定が増すばかりか、米国の威信低下と相まって、国際情勢が一挙に流動化しかねない。米国はにわかに撤兵もできず、あい路にはまり込んだ。
 開戦前にパウエル国務長官(当時)が陶器店の客に例えて、ブッシュ大統領に警告した通りだ。「壊してしまったら、買い取るしかない」。米国には最後まで責任をとる義務が生じた。

 「この数年の自分の国を見て、日本の満州侵略などが以前と違って見えてくるようになった。かつての日本への批判がしにくい気さえする」。最近会ったハーバード大歴史学部長のアンドルー・ゴードン教授が複雑な表情で、そう言った。

 対テロ戦を大義にアフガニスタンに侵攻してかいらい政権をつくり、さらにイラクヘと突き進んで泥沼にはまった米国。国防を大義として「満州事変」から日中全面戦争へと向かっていった日本。日本近代史専攻のゴードン教授の目には、あまりに似て見えるのだろう。

 イラク民主化を推し進めていたころ、ブッシュ大統領はさかんに戦後日本の民主化を例に引いた。最近はそれも聞かれない。いつか、戦前の日本の失敗から教訓を引き出すことになるのだろうか。

(共同通信編集委員 会田弘継)

(琉球新報 2007-3-20)



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