パレスチナ、第3次中東戦争から40年


 イスラエルがわずか6日間で隣接アラブ諸国のエジプト、ヨルダン、シリアに圧勝、広大な領土を占領した1967年の第3次中東戦争から5日で40年。イスラエルはヨルダン川西岸などの占領を事実上固定化し、東エルサレムは併合。パレスチナ和平プロセスは挫折し、紛争解決の糸口はまったく見えていない。

 「67年以降の歴史で、今は最も暗黒の時代だ」。パレスチナ解放機構(PLO)のアリカット交渉局長は最近のテレビインタビューで、パレスチナの治安崩壊を率直に認めた。
 パレスチナは93年の暫定自治宣言(オスロ合意)により翌年から自治を開始。しかし、2000年に最終的解決を図る交渉が決裂すると反イスラエル闘争が起き、パレスチナ武装勢力による自爆テロ、イスラエルの報復による暴力の連鎖が続いた。

 自治政府は機能不全に陥り、昨年の評議会(議会)選で武装闘争継続を掲げるイスラム原理主義組織ハマスが勝利した後は、穏健派ファタハとの内部衝突が日常化した。
 第3次中東戦争前から独立闘争を率いてきたアラファト自治政府議長が04年11月に死去。後を継いだ穏健派、アッバス議長は「和平推進」を唱えるが、指導力を発揮できていない。

 アラブ系イスラエル人の著名ジャーナリスト、ハレド・アプドーマ氏は「自治政府の治安、司法は完全に崩壊し、機能しているのは民生部門だけだ」と指摘する。
 一方、エジプト、ヨルダンと和平合意に達したイスラエルでは、2000年の交渉で最大限譲歩したのに故アラファト前議長が拒否したとして、和平交渉への懐疑論が一気に拡大した。

 シャロン前首相は交渉によらない「一方約撤.退」を提唱し05年9月、ガザ地区から全面撤退したが、ハマス台頭やロケット弾攻撃増加を招き「失敗」との見方が国民に定着しつつある。
 オルメルト首相は「アッバス議長との対話継続」以上の打開策は示していない 。オスロ合意をまとめ和平派をリードしてきた中道左派、労働党では、5月下旬の党首選でどの候補も和平の具体論は示せず、手詰まり状態にあることが浮き彫りになった。

 左派政党メレツ代表のベイリン元法相は6月初めの和平派集会で「戦勝がもたらした『占領』で自縄自縛に陥っている」と、占領地撤退による和平を呼び掛けたが、イスラエルでこうした声は少数派だ。

(琉球新報 2007-6-6)



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