ハンドボールと湾岸戦争



 ハンドボールのアジア予選が迷走している。
 今週は「スポーツ」の番じゃないぞ、と思われるなかれ、ちゃんと「国際情勢」の話です。

 北京五輪に向けた予選で中東の審判の不正があったと日本と隣国が抗議したのに対し、国際ハンドボール連盟が18日、日本で予選のやり直しをすることを決めたものの、結局応じたのはその日本と韓国だけ。絶対反対の意思表明をしたのはアジア連盟事務局長を務めるクウェートとUAE、少し遅れてカタールだった。

 クウェートの無理押し、それを支える湾岸諸国、という構図で報じられているが、クウェートとUAEという組み合わせに思わず、うなってしまう。さらに、当初は再試合に消極的ともみられた国際連盟の会長がエジプト人だという報道に、なるほど、とも思う。
 これって、17年前の湾岸戦争のきっかけとなった、湾岸危機の構造とそっくりではないか? 思えば先週17日は開戦記念日だった。

 湾岸戦争の原因であるイラクのクウェートヘの軍事侵攻は、そもそもクウェートの石油政策にイラクが反対したことで、行われた。当時イランとの戦争を終えて経済的に苦しかったイラクは、短期に石油収入を増やすために、石油価格の上界を希望。多くのOPEC諸国がこれに同調したが、反対に石油をダンピング売りしたのが、クウェートとUAEである。

 再三の脅しに抗してクウェートが安売りを続けた結果、怒った当時のフセイン政権が軍を動かした。アラブ諸国はクウェートにつくかイラクにつくかで分裂。特に、当時イラクと同盟関係にあったエジプトがイラクにつかずクウェートについた時には、イラクのフセインは激怒し、エジプトを裏切り者扱いして罵った。

 だが軍事侵攻が起こるまでは、クウェートは周辺産油国ともあまり良い関係ではなかった。湾岸戦争でクウェートの代弁者的な役割を果たしたサウジアラビアは、その1年前にはクウェートと大げんかしている。

 そのきっかけは、1990年3月に行われた、アラブ湾岸サッカー大会だった。主催国クウェートは、マスコットキャラクターにある馬を使ったのだが、それがなんと、サウジ建国以前にサウド一族の攻撃を受けて、クウェートが勝った戦争、ジャプラの戦いで大活躍した馬。怒ったサウジは、サッ力−大会をボイコットした。クウェートとサウジの不仲を見たイラクは、サウジがイラクの味方につくのではと期待して、クウェートに侵攻したのかもしれない。

 湾岸戦争で日本は米国に協力し、クウェートの解放に資金援助したが、戦後クウェートが出した感謝広告に、日本の名前はなかった。その屈辱が、「金じゃなく部隊もださねば」という議論になって、今の自循隊貢献論があるわけだが、もっと別の外交努力をしていたら、ハンドボールでクウェートに好き勝手されなくても、すんだかもね。

(2008−1−26 朝日新聞)



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