21世紀に生かす日本文化は……梅原 猛さんに聞く



福岡 私が京都大に入学したとき、京都市立芸大の学長だった梅原さんが講演に来られ、ご自分の魂の変遷を情熱的に語られた。感激したことを覚えています。こういう形で30年ぷりにお会いできて光栄です。
梅原 随分乱暴なことを言ったんじゃないかな(笑)。

福岡 今日は日本文化の源流のお話をしたいのですが、日本人の心の中には、鴨長明が「方丈記」で生命は流れている泡沫(うたかた)のようなものだと書いたように、肯定的な無常観や生命観、自然観が根ざしているように思います。そうした心の起源はいつごろなのでしょうか。
梅原 縄文時代からあるんですよ。「日本の基層文化は縄文文化で、それはアイヌ文化に強く残されている」という私の20年前の仮説が、その後の考古学の研究で裏付けられました。

「人間は自然の一員として生きている」という世界観も、縄文時代と同じように狩猟で生活してきたアイヌ社会に強く見られます。例えば、こういう名前のサケは捕ってはいけない、こういう名前のサケは捕っていいというように、出世魚として名前を変える自然保護の発想が働いています。さらに山や川も全部生きていると考えていた。日本の姓に「山背」「山腰」「山手」などがあります。それらは地名に由来すると思いますが、山や川が人間のような体を持って生きているという考えが古代日本にあったからです。

福岡 そうした世界観はどう引き継がれたのですか。
梅原 天台密教の思想的産物に天台本覚論があります。それが基になって鎌倉仏教が生まれたというのが定説ですが、その天台本覚論の思想は「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)という言葉に表現されています。これは、草や木、さらに国土という鉱物あるいは無機物、すなわち万物が仏性を持っていて、仏になれるという思想です。こういう思想はインド仏教にはなく、日本仏教独自のものです。つまり人間中心主義ではない。福岡さんが書かれた、無生物も生物と同じに考える、そういう思想ですね。

福岡 人間の細胞というのは、入れ替わって、流れて、うつろっているわけですけど、それは次の瞬間、ミミズの一部になるかもしれないし、鉱物の一部になるかもしれない。それが巡り巡って別の生命の一部になって、地球全体で循環と共生を繰り返しています。そうしたことに日本人は昔から気づいていたのかもしれませんね。
梅原 西洋と日本では時間のとらえ方が違いますね。西洋は直線、日本は循環。日本文化の根底には、循環や放浪を「よし」とする流れがある。一遍とか西行とか芭蕉とか、映画の「寅さん」もそうですね。

福岡 ところで、最近の生物学で興味深い研究があります。男性だけが持っている染色体にY染色体がありますが、これを分類して写本の系譜のようにたどると、人類の男がどういうふうに旅をしてきたかがわかるのです。それによると、アフリカから出発した波が3回、日本に到達します。1波は旧石器、2波は縄文、3波は弥生時代。日本列島は、ヨーロッパやアジアの抗争でいられなくなった人たちが最終的に流れ着いたのです。人種のるつぽのようなもので、日本人が単一民族という考えは笑止千万ですね。

梅原 日本人を奥までたどっていくと、世界に開いているんですね。日本文化の中にはかつて人類に共通していた文化、思想的伝統があるのかもしれない。それが21世紀、22世紀になって生かされないといけない。私の考えが国家主義者と全く違うところです。
福岡 縄文と弥生との違いをお聞きしたいのですが、縄文人が大事にした森を壊し、田畑を広げる農耕で食糧を確保した弥生人の自然観をどうみますか。

梅原 私も弥生人は自然を荒らしたとみていたが、最近考えが変わってきました。古代エジプトでは、最高の神は太陽神、その次に水の神がいる。太陽の強い光とナイル川の水がないと小麦を作れないからです。稲作も同じで太陽と水が必要。だから日本にも太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)と水の神の豊受大神(とようけのおおみかみ)がいる。仏では大日如来と十一面観音。エジプトも弥生も縄文同様、人間中心ではなく自然中心だった。だから弥生人は森を壊して田んぼを作りながら、一方で神社にうっそうたる森を残した。根源的に森を大事にする縄文的な精神が残っていたのです。

福岡 現代の日本人を見ていると、自然中心の世界観が危うくなっている気がします。
梅原 明治時代以後、近代思想を取り入れた。廃仏殿釈と神仏分離は近代化には必要だったかもしれないが、徹底的に日本の伝統を崩壊させたと思う。自然崇拝に代えて天皇崇拝、国家崇拝をイデオロギーにし、それらは結局、終戦で否定された。そして今の日本は無思想の状態になってしまいました。

福岡 平安時代の熊野詣でのように、日本の歴史の中ではときどき、「縄文に帰れ」という機運が起きます。ある種の解毒剤として縄文的なものを思い出さないといけないですね。
梅原 近代の西洋哲学は、人間だけが理性を持ち、自然を科学的法則で動くモノとして奴隷のように支配できる、という人間中心主義の考え方を持っている。これをひっくり返す原理を作り、自然中心の哲学へと転換しない限り、環境破壊という人類の危機的な運命を逃れられないと思う。そういう思想は西洋に学び、縄文の世界観を持つ日本のような国じゃないとできない。

日本には空海とか紫式部とか世阿弥とか独創的な人がいたんだから、自己の思想に自信を持っていい。私も80歳を過ぎてやっと確信を持てるようになった。漠然と考えてきた日本の思想が、最近の生物学に裏付けられていると聞いて大変心強い。コペルニクス的転回の書を書きたくなった。最後に梅原は誇大妄想狂になって死んだ、と言われるかもしれませんが(笑)。

■梅原 猛(うめはら・たけし)
25年生まれ。哲学者。日本文化、古代史、環境問題など幅広い分野で執筆。京都市立芸術大学長、国際日本文化研究センター所長(初代)など歴任。著書に「隠された十字架」「水底の歌」「神殺しの日本」など、共著に「アイヌは原日本人か」など。99年に文化勲章受章。

■福岡伸一(ふくおか・しんいち)
59年生まれ。青山学院大教授。著書「生物と無生物のあいだ」は07年新書大賞。

(2008-10-6 朝日新聞)



目次   


inserted by FC2 system