経済危機の行方……恐慌を防ぐ手を正しく打て
   ジョセフ・ステイグリッツ(米コロンビア大教授)



 米国は「毒のモーゲージ(住宅担保債権)」を世界中にばらまいてしまった。サブプライム住宅ローンの証券化による不良債権のことだ。そのせいで世界が危機に陥り、苦しんでいる。
 1929年に始まる大恐慌の時は、危機が主に貿易関係を通じて世界に広がったが、今回は金融市場を通じてグローバルな危機を招いた。責任はまず、金融界やモーゲージ業者、そして私が「共犯者」と呼ぶ格付け会社にある。背景にあるのが、自由な市場経済を口実にしたブッシュ政権の規制緩和と企業優遇策だ。

 問題は、経済思想だけではない。イラク戦争とアフガン戦争、富裕層向け減税は、米国経済を弱体化させ、財政面でも金融面でも政策への重圧になった。それが連邦準備制度理事会(FRB)に締まりのない金融政策をとらせたともいえる。FRBにも不良債権の毒を爆発的に広げた重大な責任があるが、とりわけ非難されるべきはブッシュ政権の政策だ。

 我々は歴史的経験を通じて、危機を大恐慌に転化させないための知識や政策手段を持っている。米国経済のサービス産業化や労働者のパート化も、かつてのように失業率が高まるのを阻んでいる。それでも、恐慌の再現を防げるかどうかは、政府の行動いかんだ。
 苦い教訓として思い出さなければならないのは、97年から98年にかけて起こったアジアなどの金融危機だ。米国も国際通貨基金〔IMF)も正しい方策を採らなかったために、インドネシアなどで金融システムの崩壊や深刻な不況を招いてしまった。知識や政策手段があっても、正しく行使しなくては役に立たないのだ。

「企業だけでなく働く人を助けよ」
 今回の危機に対し、ブッシュ政権は、巨額の金を金融界につぎ込めば他の人々もいくらかは助かるだろうという「トリクルダウン」(金持ちや企業が富めは、そこからしたたり落ちた富で全体が潤うという考え方)の手法をとっている。企業を助けるだけで、働く人々を助けようとはしていない。何もしないよりはましかもしれないが、まずいやり方だ。

 ウォール街の特殊利益を優先する「企業温情主義」の発想が、正しい政策を阻んでいる。ポールソン財務長官やバーナンキFRB議長は、もはや市場の信頼も米国民の信頼も失っている。
 米国政府がまずなすべきは、ローン返済に行き詰まった人が担保の住宅を失うのを防いだり、失業者を支援したりすることだ。景気を刺激して、経済を回復に導かなければならない。予定されている減税は早く実施すべきだし、インフラ整備も必要だ。高速道路の建設も有効だが、長期的な視野に立って地球温暖化対策に力を入れ、「グリーンなアメリカ」をつくるべきだ。

 民主党はそういう政策を掲げている。しかし、(11月の大統領選で民主党のオバマ侯補が当選しても)新しい大統領が政策を打ち出す来年1月の就任式まで、まだ3ヵ月もある。この期間中、共和党内の支持すらも失ったブッシュ氏が大統領の座にあることが、対策を遅らせる要因になっている。
 この危機をきっかけに、新自由主義は終わりを迎えなければならないと思う。規制緩和と自由化が経済的効率をもたらすという見解は行き詰まった。

 ベルリンの壁の崩壊で、共産主義が欠陥のある思想であると誰もが理解したように、新自由主義と市場原理主義は欠陥のある思想であることを、ほとんどの人々が理解した。私の研究はすでにそれを説明してきたが、今回は経験によって示されたことになる。

「特定通貨に依存しない仕組みを」
 基軸通貨としてのドルと、米国の役割も、やがて終わっていくことは明らかだ。
 ただ、私がすでに著書「世界に格差をバラ撮いたグローバリズムを正す」に書いたように、各国が保有する準備通貨がドルから2つや3つに分散すれば、より不安定なシステムになってしまう。

 もし、ドルとユーロの2つになれば、米国に問題が起きたときは、みんながユーロ買いに殺到する。逆に欧州に問題が起きれば、ドルに殺到するだろう。それでは不安定きわまりない。
 結局のところ、特定の通貨に依存しない多角的でグローバルな準備通貨システム、すなわち「グローバル紙幣」が必要とされているのだ。それは各国通貨のバスケット方式であり、IMFのSDR(特別引き出し権)を恒久化したようなものだ。ケインズが44年のブレトンウッズ会議でドルやポンドの代わりに主張した国際通貨「バンコール」の現代版でもある。

 同時に、IMFに代わる国際機関を創立することも必要だろう。新たなブレトンウッズ会議を開催すべき時なのだ。その意味では、今月半ばにワシントンで開かれる「G20サミット」は、今後のグローバルな金融制度について議論を始める場として意義がある。
 しかし、そのG20を、もはや誰もが尊敬しなくなっている大統領が主導するのは問題だ。危機を克服するには素早く行動しなければならないのに、それができないという困った状況に我々は直面している。

 日本はバブル崩壊後の不況を克服するのに長い時間を費やした。今回の危機を長期化させてはならない。
 これまで米国は最大の消費国として世界経済を引っ張ってきたが、現在の世界危機と不況を克服するうえで、「経済成長のエンジンの多様化」も必要だ。とくに日本の役割は重要であり、できる限り力強い経済成長を実現することが求められる。

ブレトンウッズ会議
 1944年7月、連合国44カ国が米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで会議を開き、第2次大戦後の新たな国際経済システムに関する協定を結んだ。国際通貨基金(IMF)と世界銀行の創設が柱で、IMF加盟国には緊急時の借り入れができる引き出し権が与えられ、為替は固定相場制が基本になった。 

 協定に至る交渉では、英国のケインズが国際通貨バンコールの創設などを提案したが、最終的には米国案を中心に協定が成立。関税と貿易に関する一般協定(GATT)とともに、戦後の国際経済体制の基礎になった。IMFの特別引き出し権(SDR)は69年に設けられた。
 71年に米ニクソン政権が金とドルの交換を停止したことで、IMF・GATT体制は実質的に崩壊。主要国通貨の為替は変動相場制へ移行した。

ジョセフ・ステイグリッツさん(米コロンビア大教授)
1943年生まれ。米大統領経済諮問委員長、世界銀行上級副総裁を経て現職。2001年ノーベル経済学賞。著書に「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」など。

2008-11-3 朝日新聞



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