動乱「一転、価値観あべこべ」



 5月15日、米英の投資家が東京で記者会見を開き、日本の企業の問題点をいくつも指摘した。もっとも手厳しかったロンドンの投資ファンドのマネジャーが言った。
 「ブタの貯金箔のように、日本の会社にはありあまる現金がたまっている」
 そう、ついこの間まで、キャッシュをためこむ会社は、プロレスの悪役のようなものだった。意味のある投資に回せないなら配当で株主に返すべきだ、それもできない経営者は株式会社の何たるかを分かっていない、との批判が日本を席巻した。

「現金こそ王様」
 しかし、金融危機で風景は一変した.資金は市場からいいつでも安く調達できるものではなくなった。いまや合言葉は「キヤッシュこそ王様」。なるべくたくさんの現金を手元に持つことが、各国の企業にとって死活問題になった。
 変転はほかにもある。金融機関や企業の価値をきちんと見るために、と広がった時価会計は、資産価格の下落が激しくなると、世界中で凍結に向かった。銀行から保険会社まで政府が支援する米国は、さながら金融社会主義だ。

 マンガのドラえもんがポケットから出す不思議な道具に「アベコンベ」という棒がある。触れるものすべてがあべこべになり、扇風機から熱風が流れ、泥棒がおまわりさんを追いかける。08年の金融の世界は、まるでこの棒が振り回されたかのようだ。
 どうしてこうなったのか。20年前の社会主義陣営の崩壊あたりから話を始める必要がある。

 通常は経済が好調なら、賃金が上がるからインフレ率も高くなる。過熱を心配する中央銀行は金利を上げるはずだ。しかし、旧東側や中国などの賃金の安い労働力が資本主義の世界に加わり、インフレにならない。好景気と低金利が同居した。帰結は世界の中心、米国のバブルだった。

 いま思えば、07年夏のサブプライムショックはバブル崩壊の第一波だった。08年に入っていくつも波が続いたが、大波は9月15日の米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻だった。
 どのバブルにも固有の物語がある。わが国の場合は、日本型経営の礼賛と土地神話だった。それがバブルとともに崩れたように、米国のバブルを支えた金融の物語も急速に色あせていった。

 例えば、「投資銀行」と呼ばれた証券大手の成功物語。借り入れを増やして金融商品や不動産にお金をつぎ込むやり方は、少ない資本で大もうけできると喝采を浴びた。元投資銀行マンで今は英商業銀行スタンダードチャータード銀行在日総支配人のパトリック・ジロ氏は「問題は投資銀行が商業銀行のマネをしたことだ。預金もないのに貸し込んだ」。そんな無理を誰も無理とは思わなかった。米4大投資銀行は破綻、吸収合併、あるいは商業銀行に衣替えするなどして姿を消した。

 貸し出しを証券化すればリスクを完全に分散できるという神話もあった。起きたのは、売る方はリスク評価がいい加減、買う方も中身が分からないので格付けに頼る「無責任の体系」だった。

「産業重視が復権」
 金融が引っ張る米英の経済はここ10年、成長モデルの「正統」だった。抵抗感を示す政府や企業は異端視された。しかし、危機はそんな関係を流動化させている。

 11月15日、先進国に新興国も加えた20の国・地域の首脳がワシントンに集まった金融サミットで、存在感がひときわ大きかったのがフランスのサルコジ大統領だった。発言の番になると会場には緊張感が走った。首脳宣言の修正を要求するのではないか……。事前にそんな情報が回っていたからだ。さすがにちゃぷ台返しはなかったが、「我々首脳はそれぞれ、宣言よりもっと簡潔なメッセージを出そう」と強く訴えた。

 これまで金融業があまり強くない大陸欧州の声はほとんど無視されてきたが、今は違う。サルコジ氏の「金融は金融機関の利益のためではなく、生産や技術革新のためにある」との主張、ドイツが求めるヘッジファンド規制が、国際的な議論の土俵に上る。正統が退場した後の「資本主義対資本主義」の争いだ。

 米国のバブルを支えた物語がウソ八百だったかのように言うのは乱暴だ。証券化は、しっかり運営する仕組みがあれば、リスクを取れる人に取ってもらうという利点を発揮する。一方、ドイツのように、投資家に振り回されるのを嫌う産業重視の考え方にも見るべき所はある。

「戦略ある改革を」
 さて日本。欧米に押されて時価会計を導入し、欧米の流れに沿って緩和した。「我が国だけは透明な会計を続ける」として、投資家を呼び込む手だってありうるのに、検討の対象にもならなかった。歴史を無視し、戦略も持たない「改革」なら、すぐにはげおちる。いまやるべきは危機の火消しだ。しかし、同時に必要なのは、国の力を増すための危機後をにらんだ戦略だ。(有田誓文)

(2008-12-28 朝日新聞)



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